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活動報告 令和6(2024)年
- 2月21日
早朝、愛犬スーの散歩。日毎に元気になるスーにご近所の方もお声がけいただく。スーを動物病院に連れて行くと、炎症の指数が大きく低下しているとの話を伺い、更に安心。ところで、足かけ18年間私の活動拠点としていた松本事務所の撤去作業を開始。2月末に閉鎖という決断をし、自民党長野県連の了承を得る。参議院選挙を控えて申し訳ない気持ちなるも、活動資金が完全枯渇。自民党長野県連に要請した借金で維持する術も封じられ、やむを得ない閉鎖。私も荷物の搬出。思い出の品々が出てくるわ出てくるわ。議席を失い、次の支部長選任がなされないことの厳しい現実を突きつけられる。16年かけて涵養した自民党長野県第二選挙区は一体どうなってしまうのか。
- 2月20日
早朝、愛犬スーの散歩。日毎に元気になるスーを見てほっこりする。午前から一日中、自宅に籠り、ウクライナ訪問記を記す。できれば、本にまとめたい。訪問記の触りは以下の通り。
ウクライナ訪問記〜義を見てせざるは勇無きなり。能登からウクライナへ〜
(代議士退任後の私の行動原理)
私は、2025年10月の総選挙の結果を受け、衆議院議員を退任しました。12年間に及ぶ議員活動で、文字通りありとあらゆる課題に直面し、国会議員としての判断を迫られ、案件によっては、私自身でないと対応が難しい課題(私に委ねられた案件、地元案件など)に対しても対応してきたつもりです。国会議員として副大臣、政務官として政府の中に入っての活動もできました。個別の課題に直面するたびに、様々な人的ネットワークを作りあげることが出来ました。国会議員として活動するメリットは、こうしたネットワークを強力に作り上げることが出来る立場が与えられてきたということを再認識しました。
さて、国会議員を退任した今後の活動に関し、何に取り組んでいったらよいかと自問自答して来ました。私としては、ライフワークである地域振興、防災対策・国土強靭化、東京一極集中是正、中山間地対策などに関して、問題解決について深堀してまいりたいと考えてきました。
そうした中で、わが国では災害対応に関して、防災庁の設置を通じて対応能力、事前防災資源を充実していくことにコミットしています。私も、消防庁防災課長、安全保障会議事務局参事官などを経験した公務員時代から、内閣府防災担当政務官、内閣府原子力防災担当副大臣、、自民党災害対策特別委員会事務局長など、国会議員となってからも災害対応を任務とする立場に立ってきました。各地の被災地にも通い、最近では能登半島地震対応でトレーラーハウスを活用した迅速な被災者支援対応をバックアップするなどの活動をしてまいりました。
(災害対応ノウハウを戦災復興に役立てる)
こうした我が国の災害対応のノウハウ、資源を、グローバルな展開に向けることができないかと、常々考えてまいりました。こうした中で、日本ウクライナ友好議員連盟事務局長を務めていた私は、ウクライナの和平機運が出てきていることに着目し、日本の災害対応ノウハウの一部をウクライナ側に提供することで、復興時にあってのウクライナ支援手段の複線化、多様化に資することを企画しました。復興支援の手段は膨大なものがあります。私の場合は、自分自身が能登半島地震などでその投入に加わったトレーラーハウスについてウクライナ側に日本における進化の現状とウクライナに投入する場合のODA利用、投資案件としての組み立てについて、こちら側の考え方を説明しました。もとより、トレーラハウス開発製造事業者関係者の参加も得て、構成員4名の訪問となりました。
(戦時下のウクライナ訪問の難しさ)
そうは言っても、現時点では戦時下のウクライナです。邦人にはウクライナからの退避命令が出ており、日本からのウクライナ訪問も基本的には禁止されています。空襲警報も毎日のように発令されています。外務省とも相談し、例外的に渡航禁止解除が認められる取り扱いになっているウクライナ復興支援の目的をはっきりさせ、訪問の目的遂行の緊要性を示し、かつ滞在日数を最小限とし、警備会社の警護を盤石にする、ウクライナへの入国はポーランドからキーウへの列車利用に限る、などの条件をすべてクリアーしました。その上で、2月9日に日本を発ち、ロンドン、ワルシャワを経由し、11日から13日の2泊3日の短期滞在ながらもウクライナのキーウを訪問する機会を得ました。
それでも、滞在期間中、ロシアによるキーウへのミサイル攻撃があり、我々も宿泊場所のホテル地下のシェルターに2度駆け込みました。12未明に行われた6基のミサイル攻撃ではキーウで1名が犠牲になったと翌日伺いました。ホテルから、対空砲火の音が聞いた初めての経験は驚きでした。
(10名の国会議員にトレーラーハウスの機能を説明)
今回のウクライナ訪問の目的は、日本の災害復興の経験を活かし、それをウクライナの戦災復興に役立てることにありました。様々な支援手法がある中で、我々の切り口は、機能性と環境負荷の低さ、経費の節約に優れたトレーラーハウスに注目し、その活用について関係者と議論を行うことでした。4名の訪問団は、トレーラーハウス製造会社、トレーラーハウスを所有し実際に災害現場でそれを活用している防災ボランティアの方、そしてシェルター整備の専門家に私を加えたチームでした。
日本ウクライナ友好議員連盟の会員を含むウクライナ国会議員10名、経済省、ウクライナ投資庁、復興庁、国会避難民支援委員会、商工会議所の幹部の皆様が我々の提案に耳を傾けて頂きました。更に、駐ウクライナ日本大使館、駐ポーランド日本大使館、JETROの関係者にもお話をすることができました。
- 2月19日
早朝、愛犬スーの散歩。前日よりも元気になった印象。午前中、地元防災系企業から新規事業の展開について相談を受ける。昼過ぎに、知人の訃報に接し弔問。夕方、キーウ訪問についての地元紙の取材を受ける。ウクライナでは350万人が家を失った実態を伝える。 - 2月18日
午前中、自宅で人材発掘会社との面談に臨む。昼に、お世話になった松本の経済人のお別れの会に参列。夕方、山の日協議会の臨時理事会にリモート参加。ところで、私がキーウから戻ってから、元気のなかったスーが次第に体調回復。「SU is back after MUTAI's back from Kyiv.」とのSNSに記す。この日、水の関する優れた技術「亜臨海」に接し、感動。
- 2月17日
早朝、羽田空港に到着の後、新宿駅から松本駅に戻る。松本事務所に立ち寄った後、元気がない愛犬スーの元に駆け付ける。ぐったりしていたスーが、多少の元気回復。9日に羽田を発ってから足かけ9日間の長旅。実は私が不在の間、愛犬スーが元気がなくなり、心配した妻が動物病員に連れていったところ、脱水症状、血液中の炎症の値が高くなり、懸念する事態に陥り、点滴を打ってようやく小康状態に。帰宅して弱ったスーの体を撫でる。飛行機の中で観たキアノ・リーブスのアクション映画の主題が、愛犬をマフュアに殺された男の復讐劇であったのは、愛犬の重みが当事者にとって如何に大きいかとの我が認識と偶然の一致。
- 2月16日
早朝、ロンドンヒースロー空港を発ち13時間の飛行旅でユーラシア大陸を横断、17日の早朝、羽田空港に到着。飛行機の中で、何と3本も映画(ジョンウィック、ティファニーで朝食を、ゴッドファーザー)を鑑賞。帰路も清水国明さんと一緒。清水さんとも様々なコラボの予感。
- 2月15日
午前中、ワルシャワ市内のシチェンシリビツカ公園を散策。首都の公園に何とスキー場が備わっている。ノンリールの犬も散歩。氷が張った池に恐る恐る立つ。昼過ぎにワルシャワからロンドンに飛び、トランジットに若干時間の余裕があることから、地下鉄を乗り継ぎロンドン中心部のホワイトホールにあるパブで自治体国際化協会の有志と懇親。現在の松谷朗所長の18年前には私が所長を務めた懐かしの勤務地。
- 2月14日
未明、ウクライナからポーランド国境の駅プシュミシルで下車。税関手続きを経てプシュミシルでクラクフ行きの列車に乗車、クラクフで再び乗り継ぎワルシャワに向かう。クラコフの西にアウシュビッツ、ビルケナウ絶滅収容所があることを想起。ウクライナの車内で荷物を沢山抱えた若いウクライナ男性が拘束されたのを目撃。徴兵逃れの出国を咎められたのだろう。ワルシャワに到着。JETHRO ワルシャワの石賀康元所長、余田知弘次長を訪問し、ウクライナ支援の取組みについてのアドバイスを頂く。ワルシャワ事務所がウクライナ支援も担当。
- 2月13日
午前中、キーウ市内の建築物の地下に設置された堅牢なシェルターを視察の後、ウクライナ商工会議所にてゲンナジー・チヅイコフ会頭、コンスタンチン・トカチェフ日本代理人、復興庁ヴィアチェスラフ・ディドキフスキー次長と意見交換。ウクライナ政府閣僚ビルで、経済省経済開発局マラショーク・ミハイロ副局長ウクライナを訪問。議事堂近くで避難民支援委員会委員長パブロ・フロロフ議員と面談の後、国会委員会室(地下に設置)で日本ウクライナ友好議連のウクライナ側議員4名(ミハイリューク議員、ジェレズニャーク議員、セミンスキー議員、ラディナ議員)の皆様と順次会談。中込大使にも御同席頂く。皆様、異口同音に日本の支援に対する深い感謝の念を表明し、トレーラーハウス活用への期待も確認できた。この間、昼に、キーウJETRO事務所に勤務の坂口良平氏がご挨拶にお越しになる。長野市出身(長野高校卒)の坂口氏はウクライナ人の奥様とキーウで暮らす。今後の日宇交流に心強い味方。夕方、ミサイル攻撃で飛騨したキーウ市内の建築物を臨む。道を隔てた発電所を狙ったとの見方を伺う。夕刻、キーウを列車で発ち、リビウを経由しポーランドに入国。途中、何度も空襲警報が鳴る。丸2日、キーウで通訳をお務め頂いたペトロフスカ・ナタリアさんに感謝。急なお願いにもかかわらず対応して頂きあり難かった。在ウクライナ大使館の皆様には、中込大使をはじめ大変お世話になり深く感謝。お土産の朝日村のボルシチレトルトには、皆様びっくり。
- 2月12日
早朝、ドニプロ川の河畔、キーウの中心街で朝食。キーウ市内のウクライナ独立記念碑、聖ソフィア大聖堂付近の戦没者慰霊施設を訪問。日本人の義勇戦没者も。シェルターとしても機能しているキーウの地下鉄を見学。105mのエスカレーターで下る世界一の深さ。昼前に、日本独自の機能を備えたトレーラーハウスをウクライナ復興支援に活用する可能性についてウクライナ投資促進機構のアンドリー・リツバニューク投資顧問に説明。復興時だけではなく現時点で需要がある、との前向きな発言。昼に、外務省欧州局長時代に日本ウクライナ議員連盟でお世話になった中込正史在ウクライナ日本大使を表敬訪問。大使に朝日村のボルシチをPR。午後は、キーウの宿泊先ホテルで6つのミーティングをしっかりとこなす。実業家のオレグ・マガレツキー氏の紹介で、与野党の国会議員、コンサルタント、社会活動家の皆様と順に4時間半に及ぶ議論。我々が提案の自立型トレーラーハウスの機能については現時点での活用の可能性について深く認識を頂き、関係当局との情報共有についてコミット頂けた。オデッサ市の市長も務めたオレクシー・ゴンチャレンコ議員は、オデッサ市の避難施設需要が大きいこと、避難民対応の当局への情報共有の必要性の認識を頂く。ウクライナの教育機関での日本とに連携についての要請も頂く。オレグ・ドンダ議員は地方開発庁との接触をアドバイス。米国のUSAIDがウクライナ支援から撤退する懸念を示し、日本側への期待感も示す。4月14日から18日には訪日の予定の由。ウクライナで情報機関勤務経験のあるオレグ・シニャンスキー氏は、避難民エージェンシーとの連携についてのアドバイス。ウクライナ南部のニコライエフ地方では水の供給に制約があり、自立型トレーラーハウスの役割が大きいと指摘。ハリコフを選挙区に持つ女性議員のマリア氏は、ハリコフでの需要が大きいと期待感を示す。復興開発NGOエイジェンシーのタラス・バイク氏は被災地支援の枠組みにトレーラーハウス、シェルター整備も組み込む必要性を指摘。反植民地支配NGOのバレリ・ペカール氏は地方開発庁との連携を示唆。「make russia small again」という考え方も披露。ヤロスラフ・ユルチシン議員は、復興省、避難民エージェンシーとの連携、戦地に近い地域の需要が大きいこと、地元やNGOの意見を聞くことの必要性をアドバイス。ところで、通訳をお願いしているナタリアさんのご主人は東部戦線で戦死とのお話を伺い言葉を失う。夕方、ホテルのレストランで本場のボルシチを食する。夕食後、警戒アラートが鳴り、ホテルのシェルターに連日の待避。今回は30分でアラート解除。この日の活動記録をまとめるのは大変。
- 2月11日
早朝、ワルシャワのホテルを発ち、ワルシャワ中央駅に向かう。駅のスタンドで朝食のサンドイッチを食べ、列車(電車)に乗車。国境の街ヘウムで列車(ディーゼル車)を乗り換える。車中で同行の警備会社の方からウクライナのセキュリティ環境のレクを受ける。IFAKという携帯非常時対応キットの説明も受ける。列車には1両に4つの監視カメラが設置というセキュリティ対策。広大な平原をひたすら直線的に広軌道の線路上を走る列車は安定走行。ポーランドの語源は平原という意。ヘウムのスーパーで食料を購入。ヘウムの西でポーランド国境を超え、ウクライナに入る。国境は沼沢地が隔てる。ウクライナもポーランドと同様、見渡す限りの平原の土地。茅野原が果てしなく広がっていることに何故か感動。私は茅葺き文化伝承議連事務局長も務めていた。線路沿いの電柱がやけに華奢で丈が低いことも気になる。深夜、待望のキーウ駅に到着。警備関係者に迎えて頂く。羽田空港を出てから丸2日をかけての到着の初っ端、ドローン警報発令により駅地下シェルターに直行。ドローンが遠ざかった情報を得て、中心部のホテルにチェックイン。ホテルのシェルターも下見。午前1時過ぎにドローン警報が解除との通知を受ける。
- 2月10日
前日の深夜、急遽フィンランド航空から日本航空便に振り替え、羽田空港からロンドンヒースロー空港に向かい、10日の早朝到着。若干のトランジット待機の後、英国航空機でポーランドショパン空港に到着。羽田を出てから丸一日。11日のキーウ行きの列車の切符を郵便局で受け取った後、駐ポーランド日本大使館に河野章大使、田島晃参事官、丸山史康二等書記官を訪問し、ポーランドから見たウクライナ支援の在り方を伺う。人口3800万人のポーランドが現時点で100万人のウクライナ避難民を受け入れ、累計1000万人の避難民の経由地となっている現状、ポーランドがウクライナに対して格別な支援の気持ちを持っている経緯、今後のウクライナ支援の拠点地としてポーランドが重要な位置を占めるであろう予想などについて、大使の率直な視点を伺う。大使公邸訪問の後、訪問団で世界遺産の旧市街地を散策。
- 2月9日
ウクライナ訪問の朝、スーと暫しの別れを惜しむ。昼前に、松本市内の宗教団体の例会で講演。午後、上京。4名の有志で、日本の防災対応資源能力をウクライナ復興に生かしたいという思い。9日夜に羽田空港を発ちヘルシンキ→ワルシャワ→キーウ→ワルシャワ→ロンドン→東京という行程予定が、いきなりフィンランド航空が、故障で欠航。代わりにロンドン経由でワルシャワに向かうことに。前途多難?
- 2月8日
降雪のため、朝のスーの散歩は見合わせる。昼に松本市内で青木崇県議の新春の集いに参加。地元と県を繋ぐ役割を精力的にこなす姿に頼もしさを感じる。午後、雪が融け、待ちかねたスーの散歩。空いた時間は、9日からのウクライナ訪問の最終調整。
- 2月7日
昼に安曇野市内で催行の知人の市議会議員の親族の葬儀に参列。それ以外の時間は、自宅で来週からのウクライナ訪問について先方と打ち合わせし、今回の訪問の目的を、以下の通り文章にする。
ウクライナ訪問の目的
2月の中旬にウクライナのキーウを訪問することとしました。ポーランド経由で訪問してまいります。外務省のガイドラインに沿って、外務省のご理解を頂き、戦時下の首都を訪問する意味をわきまえて、安全対策には万全の対応をしての訪問となります。
ロシアのウクライナ侵略後、日本国民の間ではウクライナに対し国民を挙げて同情の気持ちが満ち溢れています。今回のロシアによるウクライナ侵略については、日本は人道上の観点、正義という観点に加え、ロシアの暴挙が見過ごされることになると辛うじて保たれている現在の国際秩序が根底から覆され、中国などの独裁国家に対して誤ったメッセージを送ることになりかねないとの思いが広く国民の間に共有されているためです。
それでもなお、日本は憲法上の制約があり、軍事的な支援はできないことになっています。一方で、ウクライナの国民を守る地対空ミサイルなどの迎撃用兵器くらいは何とかならないかとの意見もありますが、今の日本の政治状況でそれを直ちに決断していくことは難しいように思われます。いずれにしても、人道的、復興時の支援については、わが国には様々な分野で支援できる能力と資源が備わっています。
私は衆議院議員をやっている間、森英介会長の下で日本ウクライナ友好議員連盟の事務局長を務めさせて頂きました。ウクライナ支援の為に松本駅前で何度も募金活動を行いました。昨年2月にはウクライナのシュミハリ首相を国会にお迎えし、超党派の議員連盟でウクライナ支援について話し合いも行いました。その際に、ウクライナ支援については、与野党問わず全面賛成であるというメッセージをお伝えすることが出来ました。
ロシアによる執拗な軍事攻撃の中で、現在のウクライナを巡る状況は厳しさが増していると認識しています。しかし、平和が訪れるであろう時に備えて、我々も手を拱いて待っているわけにはいきません。
今回の訪問は、考えられる数ある日本の支援策の中でも、新たな日本の技術アイデアの進歩について情報を共有しようというものです。その一つとして、トレーラーハウスを活用した機動的な復興支援をご紹介したいと考えています。日本は災害大国です。災害対応、復旧、事前準備については、大きな蓄積があります。被災地での被災者の生活支援の一環として仮設住宅の建設が日本では一般的ですが、そのコスト、スピード感に課題があり、最近ではトレーラーハウスを活用した被災者支援が注目されています。私も能登半島地震の際に、その投入の手伝いをしてきました。
トレーラーハウスは需要に応じてどこにでも赴くことが出来ます。おまけに最近の技術の進歩で、水の循環システムが研究され、上下水道に繋ぐことなく、自律独立循環型で稼働する仕組みが生み出され、実装されています。今回のウクライナ訪問ではそのシステムのご説明に伺います。トレーラーハウスの活用は、住宅事情に困難を抱えるウクライナの国民にとっても、そして復興支援の為に駆け付ける日本の人々にも極めて利便性の高いものと考えています。ウクライナ側でもこうしたシステムの存在について今の時点から認識頂けるように努めたいと考えています。
今回の訪問では、ウクライナにおけるシェルターの機能についても注目しています。ウクライナはシェルター大国だと認識しています。戦時下でシェルターの存在感が際立っていると思います。一方、日本では地下シェルター整備がほとんど進んでいません。私は、シェルター整備の議員連盟の事務局長もしていましたが、議員連盟の動きもあり、漸く、中国と国境を接する沖縄県での整備が始まったばかりです。今回は、戦時下におけるシェルターの実際の機能についても具に見て参りたいと考えています。
今回の訪問では、日本ウクライナ友好議員連盟のウクライナ側のメンバーとの会合も予定されています。前議員連盟の事務局長の立場としては、まず、ウクライナ側の議員連盟の皆様のお気持ちを、日本側議員連盟にお伝えすることを想定しています。また、日ウクライナ政府間の交流に加え、議員連盟としての交流も重要であると考えています。実は私の地元の朝日村では、ウクライナ名産のビーツを栽培しており、そのビーツを原料にボルシチを作り、レトルトにして販売しています。朝日村では、いずれ平和が訪れ際にビーツの産地との交流をしたいとの希望もあります。そういう地域レベルの関係強化も視野に入れて息の長いお付き合いをしてまいりたいと思っており、議員連盟の皆様にはその橋渡し役も期待しています。
6日には、永田町で訪問団の結団式も行いました。キーウ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏からウクライナ戦争の今後の展望について、ロシア側の本質的な狙いを見据えた冷静な見方を伺いました。ロシアとしては、ウクライナ全土を掌握することが目的であり、停戦案もその目論見に沿ったものでなくては受け入れない、仮に停戦が実現するとしたら、戦っても占領地が拡大する見通しが立たないこと、戦費が枯渇することといった外的な事情がない限りは戦争は続くとの見立てを披露していました。その意味では、復興支援と言っても、戦時下の復興支援という限定された支援活動にならざるを得ない、とのご指摘をいただきました。それでもなお、現時点で訪問する意義はあると考え、行ってまいります。
- 2月6日
昼に永田町に向かい、議員会館で水の安全保障の専門家、吉村和就氏から、水を巡る諸課題を承る。私は、自民党水道議員連盟事務局長、超党派水制度改革議員連盟幹事を務めていた経緯もあり、水問題に関して少しでも貢献したいとの思いもあり、今後の「水政策」について意見交換。午後、日本令和研究所の三萩祥理事長、兎田中子理事さんらと日本の伝統文化を支える萱文化、麻文化の再興について意見交換。夕方、キーウ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏からウクライナ情勢の今後の展開について聞く。来週からのウクライナ訪問予定の団の結団式の一環。その折に、加藤康子さんとも遭遇。夜、地元に戻る。
- 2月5日
早朝、松本市営果樹試験地跡の公園をスーと散歩。リンゴ畑では山羊と遭遇。寒波が襲う中、自宅で事務作業。最近、在宅の時間が長いが、それなりにすべきことはある。夕方、上京。
- 2月4日
早朝、スーの散歩。昼に、大町市内で催行の相模一男さんのお別れの会に参列。大町市で再結成した自民党大町支部の初代支部長に就任していただき、大変お世話になった保守本流の方。親しい友人との懇親会にも何度もお誘い頂いた思い出が蘇る。夕方もスーの散歩。
- 2月3日
早朝、リンゴ畑をスーと散歩。何とは無しに、西郷隆盛の気分。昼に浅間温泉で寛いだ後、松本事務所でキーウでオペレーション中の警備会社の関係者に現地事情のレクチャーを受ける。近いうちに、キーウ訪問の予定。
- 2月2日
早朝、雪の公園をスーと散歩。お世話になった複数の支援者の葬儀に駆け付ける。夕方、自宅で節分の行事を行う。公の行事からのお誘いが無くなり、プライベートの時間が増えている実感。どちらが幸せか、悩むところ。
- 2月1日
早朝、スーの散歩。午前中、松本市内のロータリークラブ幹部と防災関係のセミナー実施について打ち合わせ。防災に知見を有するものとして相談を承る。その際にAIを活用しセミナー実施プランを作成してみたところ、内容が充実したプランが短時間で作成される。夕方、朝日村スキー愛好者の新年会にお呼ばれ。
- 2月8日
- 1月31日
早朝、スーの散歩。松本事務所でスタッフと今後の事務所運営を打ち合わせ。総選挙後、事務所が無収入でやってきたものの、そろそろ限界。新支部長に円滑に引き継げるようにスタッフは頑張る。この日の地元紙に山岳環境整備の要請を長野県の市議会議長会で行った旨の記事に接する。私は予てからその提案をして来たが反応が良くなかったものの、多少は私の思いも伝わってきたのかなあと自分を慰める。
- 1月30日
午前中から都内の防災系事業所を訪問。午後、日本ウクライナ議員連盟会長森英介代議士を訪問の後、議員会館で船橋洋一氏の話を聞く。
- 1月29日
早朝、スーの朝散歩。午前中、松本事務所で来月の外国出張に向けての作業。午後、知人の葬儀に駆け付ける。午後、上京し、代々木の自宅に予期せぬ客人を迎える。映像コンテンツの著名人。ところで、この27日はアウシュビッツ強制収用所が解放され80年を迎えた日。2023年7月にアウシュビッツを訪問する機会があった。「憎しみにまみれた人間がいかに冷酷になれるかを知った」とのゼレンスキー大統領の呟きに同感。
- 1月28日
早朝、スーの朝散歩。午前中、松本事務所で作業。昼に地元市議の若手と政策勉強会。午後、法人設立に向けた内容調整と来月の出張計画について相手先関係者と打ち合わせ。紛争地域への出張はハードルが高い。 - 1月27日
早朝、スーの代々木界隈の朝散歩。いつもと違う犬仲間との遭遇にスーは興奮。午前中から昼過ぎに、都内の防災系企業を訪問。午後、外務省中東欧課を訪問しウクライナ関連の相談を行う。夕方、国会内で麻の活用に関する勉強会に参加。麻産業創造開発機構新田均氏、厚労省麻薬対策課長小薗英俊氏、ヘンプイノベーションCEO禹田中子氏が講演。私からは、麻産業復活に向け、選挙公約で麻産業振興基本法制定を訴えた旨、お話する。夕方、スーを連れて地元に戻る。
- 1月26日
早朝、スーの散歩の後、自宅でAI講座を受講。翌日の活動のに備え、昼過ぎに車で上京。スーも同行し、代々木界隈を散歩。 - 1月25日
早朝、スーの散歩。午前中、松本事務所に安曇野市在住の高校先輩が来訪。「務台さんのことを誤解していた。これまでの活動を改めて確認しその志の高さと実績に驚いた。落選運動をしていたことを詫びる。これからの活躍を支援する」とのお話を慎んで承る。午後、山形村長選挙に立候補を検討中の百瀬氏を訪問の後、安曇野市で展示中のトレーラーハウスも見学。夕方から、自宅でスーと一緒にAI学習。試しにAIを活用し、作曲を試みる。成果物が結構すごい。
- 1月24日
早朝、2日ぶりにスーの散歩。自宅と事務所で次の一手に向けて作業。これまで私を敵視していた有権者の方から、じっくりと務台さんのこれまでの政治活動を調べたところ、誤解していたと謝りのメッセージもちらほら。
- 1月23日
午前中から、八王子→日本橋→目黒→笹塚→新宿と一日かけて都内を巡る。防災系事業所を訪問し、防災情報共有プラットフォームの設置に関する打ち合わせ。昼に、村井仁先生と会食。長野県第2選挙区選出の元代議士、元長野県知事を歴任の高校先輩の村井先生に近況報告。夕方、防災関係者の勉強会で防災関係事業者の皆様と意見交換、講演。現場の声は心に染みる。消防団の操法大会は、消防機器業界にとっては、機器の性能が試される大事な機会だと、新たな視座を賜る。その足で地元に戻る。
- 1月22日
午前中、代議士時代に活用した自転車を使い、代々木公園、明治神宮、西麻布、表参道界隈を廻る。新宿で防災事業者の方と意見交換の後、駐日ウクライナ大使館にコルスンスキー大使を訪問し、ウクライナ復興支援の具体的ツールを紹介。カンバーランド、WOTAの関係者も一緒。午後、日弁連の関係者と打合せの後、横浜に向かう。横浜中華街で防災系事業者の幹部と意見交換。スーが地元紙に登場。
- 1月21日
早朝、スーの散歩。午前中、松本市内の自民党関係者と打ち合わせ。午後、自ら持つ技術によりウクライナ復興支援に関わろうとする関係者間でリモートによる調整作業。夕方、不動産関係業界の皆様との新春の集いに参加。夕方、上京。SNS、テレビで、米国トランプ新大統領の就任式の模様を観る。政権交代で政策が劇的に覆される現実を見せつけられる。それに比べて日本の政策の穏便なこと穏便なこと。 - 1月20日
早朝、スーの散歩。午前中、東筑摩郡内の自民党関係者と打ち合わせの後、亡父の従妹の訃報に接しご自宅を弔問。午後、外務省にウクライナに関する問い合わせ等を行う。夕方、安曇野市の自民党関係者と打ち合わせの後、松本空港ロータリークラブの新春の集いに参加。
- 1月19日
早朝、スーの散歩。昼に白馬村、小谷村の支援者の皆様と懇談。白馬村、小谷村への道中は、豊富な雪。午後、安曇野市明科の駅前であめ市終了後の皆様と懇談。
- 1月18日
早朝、新宿から地元に戻り、珍しく昼のスーの散歩。午後、日本山岳会信濃支部の懇親会に参加。学校登山再興の話題で盛り上がる。その後、アルプスを眺望しながら、長野市に向かい、長野市商工会の新春の集いにお招き頂く。
- 1月17日
早朝、スーの散歩の後、上京。午後、防災庁設置担当の赤澤大臣に米国femaをよく知る防災系事業者を紹介。その後、wotaの前田社長とカンバーランドジャパンの原田社長とのコラボの仲介。夕方、報道系YouTuberと音楽系YouTuber、脳神経外科医師を交えての懇談に参加。異業種のシナジーが面白い。30年前のこの日、阪神大震災が発災。その間の災害対応を踏まえ所見を述べる。
- 1月16日
早朝、スーの散歩。午前中、阪神大震災から30年を振り返る小論を書く。明日は大震災後30年のその日。午後、北アルプスを臨む安曇野市内の歯科で歯の治療。かみ合わせが良くなった。夕方、妻の指導の下、冷蔵庫にある残り物で食事を作る。
- 1月15日
午前中、生成AIの習熟に関する2時間のイントロセミナーにネット参加。生成AIの概念は理解していても、自分自身で使い込む技術がないため、プロンプト(AIに分かりやすい指示を出す技術)の習得を目指すこととする。生成AIの登場により、文系の人にもチャンスが訪れたとのプロンプトエンジアリングの解説者の説明に大いに勇気づけられる。自分自身もリスキリングに臨まなければと実感。午後、大北地域の知人の葬儀に参列の後、支援者を廻る。 - 1月14日
朝から夕方まで、年始の挨拶で都内の防災系事業所を巡る。総務省消防庁、内閣府防災にも、現在私が構想中のアイデアを説明。一日の歩数が14000歩に達する。夕方、地元に戻る。 - 1月13日
早朝、スーの朝散歩。午前中、松本市今井の法輪寺の厄除け祈祷祭、午後、安曇野市豊科成相のあめ市本祭、夕方、松本市放光寺の厄除け祈祷祭りに駆け付ける。その足で上京。ホームページで能登半島訪問の記事をアップ。
- 1月12日
早朝、スーの朝散歩。松本市内の宗教団体の月並祭、朝日村古川寺の厄除け祈祷、松本市内の三九郎を順繰りに廻る。身の回りの平穏無事を願う人々が如何に多いか、を実感。夕方も、スーの散歩。心地良い、ルーティーン。
- 1月11日
午前中、在京実業家と近況について意見交換。午後、日本山岳スポーツクライミング協会の新年懇親会に参加。その足で地元に戻り、松本市内の税理士の皆様と今後の活動について意見交換。
- 1月10日
早朝、スーの朝散歩。前日にしっかりと睡眠をとり、朝までに体調が回復。松本市内の事業所の恒例の新年会にお呼ばれ。落選者を呼んで頂ける矜持に感謝。その足で上京し、芝の増上寺で催行の足立敏之氏の通夜に参列。参議院議員として脂の乗り切った時期の不慮の事故。共に国土強靭化を推進してきた仲間として口惜しい。代々木の自宅に戻ると、中国の週刊新聞が無償配布。中国共産党の宣伝がこのような形で浸透。
- 1月9日
早朝、スーの朝散歩の後、俄かに体がだるくなし、一日中自宅で静養。食事も最小限にとどめる。スーが寄り添ってくれる。選択的夫婦別姓についての私の考えをブログでアップ。
- 1月8日
早朝、宿泊先の珠洲ビーチホテル周辺の仮設住宅を訪問の後、珠洲市内の陶芸家のご自宅を訪問し、北前船の伝統を受け継ぐ屋敷の活用について意見交換。泉谷珠洲市長も9ヶ月振りに訪問。公費解体が順調に進んでいる様子を伺う。午後、能登半島内灘町の被災者向けトレーラーハウス内部も拝見。快適だと、住人の感想。帰路の能登里山海道は大荒れ。夕方、金沢駅→長野駅→松本駅という経路で地元に戻る。
- 1月7日
早朝、スーの散歩。その足で、篠ノ井線、北陸新幹線を乗り継ぎ、カンバーランド原田社長と共に、1年振りに石川県志賀町を訪問。昨年、志賀町に最初のトレーラーハウスを納入して以来、志賀町には22台の設備導入し、仮設住宅代わりに活用。石川県全体では80台以上が設置。仮設住宅に比べ、安価で早い対応が可能。断熱、床暖房あり。輪島市門前町に所在の門前高校にトレーラーハウス3台が設置され、鍵の引き渡しに立ち会う。特別支援学級の生徒さん向けの臨時教室をカンバーランドが1ヶ月間の貸与。教室の改修が遅れ、新学期に間に合わせる為の緊急対応。門前高校の至近の總持寺祖院も訪問。曹洞宗門徒の私にとっては得難い機会。總持寺祖院は被災したままで最も復旧が遅れている印象。ここにも憲法の政教分離規定が影響。總持寺祖院に収蔵の山岡鉄舟の襖の揮毫も見る。昼に、輪島市門前町黒島の食堂「おやじ」で昼食。被災者から見た復興の赤裸々な課題を聞く。午後、珠洲市の有志の皆様と、トレーラーハウスを活用した地元振興のアイデアについて意見交換。一般の訪問者が安心して泊まれる施設がないことの解決策としてのトレーラーハウスの活用、それを拡大したRVパークの夢を語る。夕方、珠洲市の居酒屋で地酒に親しむ。
- 1月6日
早朝、スーの散歩。昼前に、長野県護国神社の月次始祭に参列。今年の正月は参拝が多いとの奥谷宮司の話を伺い、総代会長としては嬉しく思う。午後、安曇野市内の歯科医院で歯の治療。自宅に戻り、尊敬する佐伯啓思先生の現代文明論「近代の虚妄」を読む。最近の各国の国政選挙の混乱の背景にある民主主義の自壊状況についての以下の解説に頷く。
・民主主義が言論を通じた討議によって真実に接近する政治であるというのは虚飾。
・民主主義が国民の意志という何ものかが政治的に実現される仕組みだというのは擬装。
・民主主義を辛うじて機能させていた「何か」が崩れ落ちた。
・その何か、とは、「相互に対する寛容」、「組織的な自制心」、「手続きへの信頼」といった目に見えないルールであった。
・それが失われた時、民主主義はデマゴーグを生み出し、独裁政治を生み出す土壌となる。
・民主主義の根底にあるものは、「寛容」、「自制心」、「手続き」といった常識によってしか緩和することができない「敵対」だ。
・過剰なまでの民意の尊重や自己主張の権利や平等性への要求などという民主主義的価値が、常識を崩し結果的に民主主義を破壊する。それは破壊ではなく自壊というほかない。
・客観的で誰もが納得する事実などは存在せしない。政治が取り扱うのは、事実というより価値だからである。人々は自己の利益や価値の実現を求める。そして利益も価値も衝突する。
・民主主義の根本にある権力への熾烈な欲望は、寛容、自制によって、辛うじて「むき出しではない権力闘争」へと置き換えられてきたが、それが失われた。
- 1月5日
早朝、スーの朝散歩。正月休み最後の日は自宅で保守的観点からの選択的夫婦別姓についての私の考え方を整理してSNSに投稿。夕方、松本市消防団第2分団の出初式に顧問として参加。皆様から今後の身の振り方を心配される。長野県第2選挙区に衆参共に自民党国会議員がいない状態を皆様懸念。
- 1月4日
午前中、初めての上京のスーが、今日も精力的に同類交流。在京居所近くの参宮橋公園に伺うと、近所の愛犬家が集う様子に愛犬コミュニティの層の厚さを実感。近くの愛犬用品ショップも盛況。代々木公園ドッグランを始め、行き届いた配慮のレベルの高さに、これまで知らなかった世界の広がりを感じる。お互いの愛犬を介すると初対面のみ皆様との会話も弾む。午後、スーのバギーを購入。犬を連れてお店に入る手段の一つ。年末年始はスーとの時間共有が非常に長く、それによる発見が多いとの実感。夕方、車で地元に戻る。それにしても東京の駐車場代は高いこと高いこと。
- 1月3日
午前中、初めての上京のスーが、代々木公園のドッグラン、東京ミッドタウンの公園で精力的な在京ワンコ交流。正月休みのスーの散歩の合間に、福沢諭吉先生の福翁自伝を読了。私より2歳年下の66歳で記した諭吉先生の自伝は、私が若い頃に読み飛ばした読了感とは全く違う感動を与えるもの。「艱難辛苦も過ぎてしまえばなんのこともない」、「貧乏は苦しいに違いないが、その貧乏が過ぎ去ったあとで昔の貧苦を思い出して何が苦しいか、かえっておもしろいくらい」という記述は私も同感。福沢先生も参加した幕府の使節で欧州訪問の折りに、オランダで彼の地の土地所有の自由に関して安全保障上の観点からの議論を江戸幕府使節側から投げかけたエピソードは、ひょっとしたら、幕府の意識が今の日本政府より危機感があったのかもと、考えされられる。代議士として活動していたときとは異なる年末年始の過ごし方は、それなりに新鮮。
- 1月2日
早朝、安曇野市内の年始の早起き会に参加の後、朝日を浴びてスーの朝散歩。神々しい朝日に体中にエネルギーが満ちる。昼過ぎに車でスーと共に上京。途中、諏訪大社下社秋宮に参拝。スーは鳥居の前で待機。中央道は結構渋滞。「バカの壁」の中での養老孟司先生の指摘、「現代社会では、欲を欲だと思っていない人が非常に多い。欲を正義だと思っている」、「ジャーナリズムも、多くの人の意見を自分たちの考えで統一しようという欲が裏にある」に何故か同感。
- 1月1日
1月1日早朝、松本市内の年始の早起き会に参加の後、再び就寝。その後、スーの元旦朝散歩。お雑煮を3世代家族で頂く。浅間温泉の日帰り浴場で体を温めた後、娘の誕生日祝い。4月に高校3年生になる娘に「1年の計」を聞く。夕方、娘を初詣参拝に送る。NHKで発災1年になる能登半島地震の特集を観る。元旦に以下のメッセージを発出。
「令和7年の新年を迎えて」
〜「逸居窺労」の心境〜
令和7年の新年、皆様それぞれの思いでお迎えのことと存じ上げます。昨年中は大変お世話になりました。ありがとうございました。
昨年は国内外とも大きな変革がありましたが、世界中の先進国で、選挙の結果、与党が苦杯をなめる結果となっているとの報道に接しました。物価高をはじめ日々の生活苦に対する有権者の不満が政権与党に向かったとの評価があるようですが、わが国もその例外ではないようです。
一方で、そうした有権者の声にどのように答えるのが適切かについては、物価高と収入状況の現状、地球温暖化に対する政策の在り方、財政赤字との関係、ポピュリズムへの対応といった論点に対する考え方により、出口対策の方向が異なってくるようにも思われます。
国際的人道問題に前向きに対応した結果、欧米で移民、不法就労問題が有権者の不満を掻き立てている問題も座視できません。我が国でも、不法就労、難民認定の問題で人権派弁護士が強力に政府の対応を批判してきた結果が地元で混乱を生じている現状は、理念と現実の乖離、矛盾を見せつけています。
私自身は、10月の総選挙で12年間継続してきた代議士の立場を失いました。私が属していた長野県第2選挙区から見ると、衆議院参議院共に自民党国会議員が不在となる事態が生じてしまいました。地元の大きな政治課題が国政に反映される方途が途切れたことに、地元関係者が憂慮している声が伝わってきます。しかし、これも民主主義の冷徹な結果ですので、それはしっかりと受け止めなくてはなりません。
日本を含めた世界的な政治の不安定、地元の政治的空白の出現という現状を踏まえ、私自身がどのように行動していくべきか、お世話になった皆様のご意見を承りながら、臨機応変に対応を考えてまいりたいと思っています。今は、「逸居窺労」という心境です。巳年の今年は、脱皮により新たな環境に臨むべき年と心得ます。
- 12月31日
早朝、スーと大晦日の朝散歩。妻の実家の義母を自宅にお迎えし、3世代の年越し。スーも普段と異なる家族に囲まれリラックス。お節料理に加え、年越しそば、雑煮などを沢山いただく。家族の為に時間をたっぷりと使える立場は、とても意義のあることだと改めて思う。これまでそのことを蔑ろにしてきたことを後悔。紅白歌合戦を観た後、神社の歳旦祭に参加。
- 12月30日
早朝、スーと朝散歩。安曇野市の自宅を大掃除。近所の実業家の方と地元にとっての自民党議員の役割について立ち話。これからのことが心配だとのお話を承る。この日の安曇野から見る北アルプスは秀麗。人は代わってもアルプスは変わらず。
- 12月29日
雪が舞う早朝、スーと朝散歩。前日に引き続き、美ケ原温泉で寛ぐ。年末に読む本を特定し熟読。世界中で政治が不安定化する中で、大局観を得たい思い。
- 12月28日
年末の一日、地元でゆっくりと過ごす。妻と共に、美ケ原温泉に浸かる。夕方は、自宅で鍋物。この日、お世話になった足立敏之参議院議員の訃報に接する。ご冥福をお祈りします。
- 12月27日
早朝、「あづさ」で地元に戻る。安曇野市の歯科医院で歯の被せものが外れたので治療。昼過ぎに、建築家の方が事務所にお越しになり、懸案の議員立法の方向性について打ち合わせ。この課題に関心を持つ国会議員が少なからず落選したことで運動の在り方を再調整。午後、地元県議を訪ね、自民党選挙区支部の今後について意見交換。ところで、地元企業のアルピコホールディングス株式会社が経営危機を乗り越えて株式市場に上場を果たした記事を感慨深く読む。普段の生活に欠かせない同社の活動に頼もしさを感じ、経営基盤が強化されることを歓迎し、経営危機後の同社の歩みはちょうど私の政治活動の期間に重なり、感慨深い思い。 - 12月26日
早朝、スーの朝散歩。午前中、長野市でお世話になっている防災機器業界の役員と意見交換。その足で上京し、麻産業振興に努力している麻農家の方と意見交換。午後、新宿で久しぶりに映画を鑑賞。夕方、半世紀前に東大に同期入学の友と忘年会。様々な出来事を経た上でも健康であることを喜び合う。ホームページで「年収の壁」についての所見を述べる。
- 12月25日
早朝、スーの朝散歩。午前中、自民党職域支部の幹部を訪問。昼過ぎに松本税務署を訪ね、消費税に関する適格請求書発行事業者の登録について相談。午後、これまでは手薄だった冬物の普段着を購入。身の回りの環境変化に対応。夕方、地元事業者からの困りごと相談に対応の後、松本事務所のスタッフとの忘年会に参加。北アルプスの夕暮れが美しい。
- 12月24日
早朝、明治神宮を歩き、ヤマガラ君に年末の挨拶。昼前に、朝日村の小林村長をはじめ朝日村関係者で駐日ウクライナ大使館を訪問し、離任が決まったコルスンスキー大使に朝日村産のビーツとボルシチのレトルト食品をお届けする。ウクライナにはレトルト技術が無く、最前線の兵士にボルシチのレトルト食品を送る発想で盛り上がる。午後、原宿で日本熊森協会の関係者と、新橋で旧知の防災仲間と、馬喰町でベンチャー企業の幹部と意見交換。その足で地元に戻る。
- 12月23日
早朝、上京。午前中、私がロンドン事務所長を務めていた自治体国際化協会の安田理事長を表敬訪問。昼過ぎに、長野市議会有志の皆様を霞ヶ関に迎える。現職代議士でなくとも頼ってくれる議会人の心意気に感謝。午後、外務省を訪問し現在考えている私自身のウクライナ支援対応についてアドバイスを承る。その後、都内の防災関係企業の幹部と意見交換。夕方、代々木の居所で息子たちと家族忘年会。
- 12月22日
早朝、スーの朝散歩。初めて着る防寒着のご満悦のスー。松本市美術館で開催のパレスチナ絵画展を見学。午後、長野県護国神社の大祓祭、干支絵馬御披露目会に立ち会う。松本第一高校の生徒の作品は芸術性豊か。地元の方からの要望を伺った後、朝日村の酒米で作った新酒、「鉢盛山」の御披露目に参加。
- 12月21日
早朝、スーの朝散歩の後、午前中から夕方まで、スーを連れて外出、家庭サービス。スーに防寒着をプレゼント。
- 12月20日
早朝、スーの朝散歩。午前中から午後にかけ、長野市、松本市の自民党職域関係団体を廻る。今後の、第二選挙区の体制の在り方について意見交換。今朝の新聞に脱炭素の現場の取り組みが紹介される。「灯油→薪」、「廃棄物発電」の事例。脱炭素を我が事として取り組む姿勢に好感。その観点に立つと、税制改正議論の中で化石燃料の暫定税率撤廃の動きがあることについては、化石燃料を安くすることで化石燃料依存が更に強まることに懸念を覚える。暫定税率相当を環境税的に位置づける議論が今後見込まれる予感。
- 12月19日
早朝、スーの朝散歩。日中、松本事務所で政策実現のための新たな組織づくりについて打ち合わせ。国会議員の立場は無くなったものの、代替する政策実現の方途について模索中。我が国でもシェルター整備を進める政策を訴える団体の理事に就任することも決まり、YouTubeでは戸隠スキー場の今シーズン開幕をPRする動画も配信。課題深堀を進めるつもり。 - 12月18日
早朝、スーの朝散歩。午前中、長野市に向かい経済団体を訪問。昼過ぎに、駐日カンボジア大使Tuy Ry氏を長野市に迎え、カンボジアの若い人材を労働力減少に悩む我が国で育成活用する勉強会に参加。私は日本カンボジア友好議員連盟の旧メンバー。カンボジアの平均年齢は25歳。我が国と相互補完性があるとの認識が共有される。その後、古民家、古材活用を武器に事業を広げておられる「山翠舎」を訪問。見捨てられている資源を再生する事業は、脱炭素の観点からも意義あり。夕方、ネット勉強会で、NEDO欧州事務所長の海老原史明氏から欧州の脱炭素政策の動きを聞く。クレアーパリ事務所主催の勉強会。パリからの現地最新情報は参考になる。我が国に於いては、再エネ、原発を最大限活用するとのエネルギー基本計画の原案が示され、欧州の動きは、目が離せない。夜、自宅で団欒。
- 12月17日
早朝、渋谷区の緑地再生事業の予定地を歩く。私の渋谷区の居所近くの旧玉川上水緑地にトレーラーハウスを使った情報発信。私はトレーラーハウスを平時活用して、非常時には被災地に派遣という使い方を提唱。その足で地元に戻る。地元事務所を訪問の堀金登山案内人組合の稲越利夫組合長から、三股登山口から常念岳に通じる登山道が荒れており、安曇野市堀金の関係者として残念であり、整備を安曇野市に伝えて行きたいとの思いを承る。堀金登山案内人組合は私が名誉顧問を仰せつかる。午後、安曇野市明科の水浄化システムを販売している企業を訪問。夕方、自民党松本支部役員の皆様と意見交換。
- 12月16日
早朝、スーの散歩。午前中、信濃町の斑尾山麓に展開のタングラムスキーサーカスの安全祈願祭にお呼ばれ。パウダースノーのスキー場は既に稼働開始。その足で長野駅から上京。麻生太郎先生を囲む意見交換会に駆け付ける。
- 12月15日
早朝、スーの散歩。午前中、松本市内の宗教団体の月例会で現下の政治状況を解説。昼に、山形村のコンクリート事業者を訪問し政治活動について意見交換。午後、自宅で事務作業。夕方、安曇野市クラムザッハ友好協会の皆様との忘年会に参加。会員のバイオリン演奏を楽しむ。 - 12月14日
午前中、吹雪の中、戸隠スキー場の安全祈願際に出席。年末の雪に恵まれスキー場は既にオープン。五輪金メダリストの荻原長野市長がデモスキー。私も、妙高戸隠連山国立公園内にあるパウダースノースキー場の繁栄を環境系政治家として支えたい思い。午後、松本市内で、アジアプレスのジャーナリスト玉本英子記者のウクライナ現地レポートを聞く。ウクライナ市民には、ロシア「侵攻」に対する怒りの思いはあるが、被害の大きさに厭戦気分が拡がる現状、地下鉄構内に学校が設置されている現状、シュルター未整備の学校は義務教育レベルからリモート授業という現実は衝撃。一方、玉本氏のレポートで、ロシア「侵攻」という言葉を使い、敢えて侵略という言葉を避けているところに若干の違和感を感じる。悪いのは戦争ではなく、侵略であると私は思う。夕方、松本市内で高校同期の忘年会に参加。爺さん婆さん元気一杯(笑)。最近、参加者が増えている印象。
- 12月13日
早朝、愛犬スーの散歩。余裕がある時間を共にまったりと過ごすのに、愛犬はかけがいの無い存在。昼に安曇野市の支援者宅で今後の活動について相談。私自身が知らないところでの献身的な活動内容を伺い頭が下がる思い。夕方は、妻と買い物。 - 12月12日
早朝、愛犬スーの散歩。午前中、日本年金機構松本事務所に老齢年金受給開始について問い合わせる。マイナポータルからアクセスするも、国民年金と共済年金の加入期間の共有が不十分であることが原因となり、正しい情報確保に不都合を生じていることが判明。昼に、小林鷹之代議士を囲む関係者のリモート会議に参加。夕方、大町市の「折弁」食堂で開催の、「折弁お酒をたしなむ集い」に参加。大町市で開催の「折弁お酒をたしなむ集い」に参加。大町市には3蔵の酒造会社。222回目の月例会。ビンゴで一番のり。ホームページで選挙区の世代交代を図る気持ちをアップ。
- 12月11日
早朝、愛犬スーの散歩。午前中、安曇野市内の馴染みの理容店で散髪。若手後継者がSNSによる予約方式への転換を模索との話を聞く。馴染みの客とネットでの客の対応を分ける由。午後、お世話になった方の2件の葬儀に参列。寂しい年末。自宅の書類の整理も徐々に開始。その都度その都度整理しておく必要性を痛感。12月2日から4日までの訪台記をホームページでアップ。 - 12月10日
早朝、愛犬スーの散歩の後上京。世田谷の谷垣禎一先生宅を訪問し、総選挙のご報告を行い、落選者が相次いだ「山の日」議員連盟の今後の運用についてご相談。登山環境整備法案の行方についてもご心配頂く。都内の支援者を訪問の後、夕方、小学校同級生の明石昌夫氏と、ユーチューブの活用について意見交換。その足で地元に戻る。
- 12月9日
早朝、愛犬スーの散歩。昼過ぎに知人のご母堂の葬儀に参列。松本市内の知人宅にお邪魔して政治に関する女性の視点を伺う。夕方、安曇野市の支援者と選挙の反省会。
- 12月8日
早朝、雪が舞う中、愛犬スーの散歩。この日は落選議員と自民党執行部との意見交換会の日なるも、私は、地元で今後の選挙区支部長の在り方を議論するために、長野市、松本市内の2つの会場で、選挙区内の自民党市町村支部役員、職域支部役員の皆様の意見を伺い、今後の方針を決める会合に出席。自民党長野県第二選挙区内の市町村支部、職域支部役員会で30人以上の皆様の意見を承り、以下の了承を頂く。多くの皆様に続投を要請されるも、客観情勢を踏まえ、世代交代を決断。
1:務台俊介は次期選挙区支部長には手を挙げない。つまり、衆議院選挙には立候補しない。
2:第2選挙区において、衆参共に自民党国会議員が不在の状態を早期に解消するための準備も必要であることから、支部長選任の手続きを迅速に行うことを求める。
3:新支部長は、地元に縁があり、選挙区事情を良く理解し、地元をじっくりと廻ることを厭わない、世代交代を象徴する人物が期待される。
4:務台俊介は、新支部長を強力にバックアップする。そのためにも政治活動は引き続き継続する。
5:なお、議論の中で、参議院選挙への転身を求める声、新支部長として複数の若手を推す意見があった。
- 12月7日
早朝、愛犬スーの散歩。昼に中部山岳国立公園指定90周年記念式典を会場から傍聴。雛壇の国会議員が全員立憲民主党という現実に、会場に集った山岳関係者がため息。午後上京し、日本山岳会の恒例の晩餐会に出席。前段の講演会には、天皇陛下もご出席。講演者の一人、雷鳥を蘇らせた中村浩志信州大学名誉教授も感動の由。過日、中村氏をお招きした山の日議員連盟でのプレゼンが切っ掛けになったと、中村氏に感謝される。夜、地元にとんぼ返り。
- 12月6日
早朝、暫くぶりの愛犬スーの散歩。午前中、後援会幹部の事業所を訪問し、今後の方針の相談。昼に長野県護国神社の新穀感謝祭に参加の後、地元紙の取材、地元カーブルテレビ幹部との意見交換に臨む。午後、長野市戸隠の自民党支部役員会で今後の方針を議論の後、安曇野市で緑化協会の皆様との懇談会に参加。
- 12月5日
台湾から帰国の翌日の午前から午後にかけ、自民党本部、衆議院議員会館内で政界要路の皆様と、今後の私自身の政治的スタンスの対応について意見交換。その間、山の日協議会事務所で登山環境整備法制定に向けて、内閣府赤澤大臣室で赤澤大臣と防災庁構想について議論。私の落選で法制定の動きが遠のいたことの巻き返しを検討。夕方、最低賃金の行方について労組関係者と懇談。引き続き個別政策分野で対応の深堀を進める決意。
- 12月4日
午前中から夕方まで、台北市の故宮博物院を見学。歴代中国王朝の蓄積した宝物、文物は膨大。日本の侵攻、国共内戦という歴史に翻弄され、現在は台湾で大切に保存されている現状の複雑さに思いを馳せる。夕方、台北松山空港を発ち、深夜、羽田に戻る。
- 12月3日
朝から地下鉄で台北市内を歩く。農作物(リンゴ、ブドウ)、スポーツ選手(大谷選手)、スキー場(志賀高原)の宣伝、芸術家(草間弥生さん)などに日本の影響が目立つ印象。地下鉄駅、地下街が充実しているのを見るにつけ、平時から非常時のシェルター機能を意識した都市づくりを目指していることを実感。台北市内の大安森林公園が同市に潤いをもたらしていることも実感。元々、戦前に台湾を統治していた日本政府が企画した公園整備が台湾政府により実現した経緯を知る。
- 12月2日
早朝、羽田空港を発ち台北松山空港に向かう。前年の台湾国慶節以来の訪台。前回とは異なり、政治的会合は設定されていないが、妻と共にじっくりと台北市内を歩く予定。
- 12月1日
早朝、スーの朝散歩。午前中、自民党鬼無里支部の役員の皆様と総選挙の総括。昼に、山田晴通東京経済大学教授とコミュニティ放送について意見交換。浪人中にネット対談の思い出。午後、オリンピアンの出口クリスタ、ケリー姉妹の激励会に参加。日本カナダ友好議員連盟の会員だった立場で駐日カナダ大使の祝辞を紹介。ところで、総選挙が終わり1ヶ月を経過した時点で改めて選挙結果を振り返ったところ、日本全国で衆参共に自民党議員(衆は比例復活含む、単純比例除く、参は全国比例除く)がいない選挙区は、岩手1区、3区、長野1区、2区のみであることが判明。自民党参議院議員が不在なのは、長野県、沖縄県(衆は4区全てに自民あり)、岩手県、山形県(衆は3区とも自民)の4県のみ。地元の課題が与党自民党の政治ルートの目詰まり状態の影響を懸念。夕方、上京。
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