過去の活動報告
令和7(2025)年3月
令和7(2025)年2月
令和7(2025)年1月
令和6(2024)年12月
令和6(2024)年11月
令和6(2024)年10月
令和6(2024)年9月
令和6(2024)年8月
令和6(2024)年7月
令和6(2024)年6月
令和6(2024)年5月
令和6(2024)年4月
令和6(2024)年3月
令和6(2024)年2月
令和6(2024)年1月
令和5(2023)年12月
令和5(2023)年11月
令和5(2023)年10月
令和5(2023)年9月
令和5(2023)年8月
令和5(2023)年7月
令和5(2023)年6月
令和5(2023)年5月
令和5(2023)年4月
令和5(2023)年3月
令和5(2023)年2月
令和5(2023)年1月
令和4(2022)年12月
令和4(2022)年11月
令和4(2022)年10月
令和4(2022)年9月
令和4(2022)年8月
令和4(2022)年7月
令和4(2022)年6月
令和4(2022)年5月
令和4(2022)年4月
令和4(2022)年3月
令和4(2022)年2月
令和4(2022)年1月
令和3(2021)年12月
令和3(2021)年11月
令和3(2021)年10月
令和3(2021)年9月
令和3(2021)年8月
令和3(2021)年7月
令和3(2021)年6月
令和3(2021)年5月
令和3(2021)年4月
令和3(2021)年3月
令和3(2021)年2月
令和3(2021)年1月
令和2(2020)年12月
令和2(2020)年11月
令和2(2020)年10月
令和2(2020)年9月
令和2(2020)年8月
令和2(2020)年7月
令和2(2020)年6月
令和2(2020)年5月
令和2(2020)年4月
令和2(2020)年3月
令和2(2020)年2月
令和2(2020)年1月
令和元(2019)年12月
令和元(2019)年11月
令和元(2019)年10月
令和元(2019)年9月
令和元(2019)年8月
令和元(2019)年7月
令和元(2019)年6月
令和元(2019)年5月
平成31(2019)年4月
平成31(2019)年3月
平成31(2019)年2月
平成31(2019)年1月
平成30(2018)年12月
平成30(2018)年11月
平成30(2018)年10月
平成30(2018)年9月
平成30(2018)年8月
平成30(2018)年7月
平成30(2018)年6月
平成30(2018)年5月
平成30(2018)年4月
平成30(2018)年3月
平成30(2018)年2月
平成30(2018)年1月
平成29(2017)年12月
平成29(2017)年11月
平成29(2017)年10月
平成29(2017)年9月
平成29(2017)年8月
平成29(2017)年7月
平成29(2017)年6月
平成29(2017)年5月
平成29(2017)年4月
平成29(2017)年3月
平成29(2017)年2月
平成29(2017)年1月
平成28(2016)年12月
平成28(2016)年11月
平成28(2016)年10月
平成28(2016)年9月
平成28(2016)年8月
平成28(2016)年7月
平成28(2016)年6月
平成28(2016)年5月
平成28(2016)年4月
平成28(2016)年3月
平成28(2016)年2月
平成28(2016)年1月
平成27(2015)年12月
平成27(2015)年11月
平成27(2015)年10月
平成27(2015)年9月
平成27(2015)年8月
平成27(2015)年7月
平成27(2015)年6月
平成27(2015)年5月
平成27(2015)年4月
平成27(2015)年3月
平成27(2015)年2月
平成27(2015)年1月
平成26(2014)年12月
平成26(2014)年11月
平成26(2014)年10月
平成26(2014)年9月
平成26(2014)年8月
平成26(2014)年7月
平成26(2014)年6月
平成26(2014)年5月
平成26(2014)年4月
平成26(2014)年3月
平成26(2014)年2月
平成26(2014)年1月
平成25(2013)年12月
平成25(2013)年11月
平成25(2013)年10月
平成25(2013)年9月
平成25(2013)年8月
平成25(2013)年7月
平成25(2013)年6月
平成25(2013)年5月
平成25(2013)年4月
平成25(2013)年3月
平成25(2013)年2月
平成25(2013)年1月
平成24(2012)年12月
平成24(2012)年11月
平成24(2012)年10月
平成24(2012)年9月
平成24(2012)年8月
平成24(2012)年7月
平成24(2012)年6月
平成24(2012)年5月
平成24(2012)年4月
平成24(2012)年3月
平成24(2012)年2月
平成24(2012)年1月
平成23(2011)年12月
平成23(2011)年11月
平成23(2011)年10月
平成23(2011)年9月
平成23(2011)年8月
平成23(2011)年7月
平成23(2011)年6月
平成23(2011)年5月
平成23(2011)年4月
平成23(2011)年3月
平成23(2011)年2月
平成23(2011)年1月
平成22(2010)年12月
平成22(2010)年11月
平成22(2010)年10月
平成22(2010)年9月
平成22(2010)年8月
平成22(2010)年7月
平成22(2010)年6月
平成22(2010)年5月
平成22(2010)年4月
平成22(2010)年3月
平成22(2010)年2月
平成22(2010)年1月
平成21(2009)年12月
平成21(2009)年11月
平成21(2009)年10月
平成21(2009)年9月
平成21(2009)年8月
平成21(2009)年7月
平成21(2009)年6月
平成21(2009)年5月
平成21(2009)年4月
平成21(2009)年3月
平成21(2009)年2月
平成21(2009)年1月
平成20(2008)年12月
平成20(2008)年11月
平成20(2008)年10月
平成20(2008)年9月
平成20(2008)年8月
活動報告 令和7(2025)年2月
- 2月28日
早朝、スーの朝散歩。スーが途中で何度も座り込み心配に。昼過ぎに、長野県護国神社奥谷宮司と共に長野市に向かい、長野市経済界の皆様と終戦80周年を機に護国神社を支える方策について意見交換。私も護国神社氏子総代会長として少し動かなければ、との思い。夕方、安曇野市の診療所を訪ね健康チャック。
- 2月27日
早朝、明治神宮を歩く。議員会館で、先の総選挙で議席を得られなかった関係者が、木原誠二自民党選挙対策委員長に思いを伝える。私からは、差し迫った参議院選挙に為にも、支部長選任が遅れている選挙区支部も資金的に支える方策について要請。その足で地元に戻る。地元紙の朝刊でウクライナ訪問記事を掲載。
- 2月26日
早朝、明治神宮を歩きヤマガラ君に挨拶の後、原宿駅でIT実業家と面談。駐日ウクライナ大使館にコルソンスキー大使を訪問し、ウクライナ訪問の報告。我が国の防災対応能力のウクライナへの貢献に期待。防災系事業者と断続的に意見交換の後、WOTA本社を訪問し、ウクライナ訪問を経て今後の展開について打合せ。南青山のシンクタンクの幹部を訪問の後、役所の先輩との懇親会に参加。先輩の元気な姿に接する。ウクライナ情勢議論で盛り上がる。
- 2月25日
早朝、久しぶりに明治神宮を歩く。ヤマガラ君とも遭遇。ウクライナ訪問の結果報告に、日ウクライナ友好議員連盟の関係議員を訪問。国交省総合政策局海外プロジェクト推進課の皆様に、ウクライナ訪問の報告。国交省でも社会インフラ復興の訪問団を近々ウクライナに派遣する由。藤井外務副大臣、石川外務省東欧課長にもウクライナ訪問の成果を報告。夕方、消防庁、海上保安庁に防災機器メーカーの新技術を紹介。役所からも新技術紹介を有り難がられる。役所は意外に情報が入って来ないところ。それを埋めるのが、在野のOBの役割かも。この日、ウクライナ訪問の記事がネットで掲載される。
- 2月24日
早朝、愛犬スーの散歩。スーが、今朝はヤギ君に加え、黒い鶏君にも挨拶。昼に上京し、ウクライナ復興支援に関心のある事業者の幹部と意見交換。夕方、ウクライナ訪問についてのマスコミ取材を受ける。その後、ロシアによるウクライナ侵略開始後丸3年を経て、ウクライナとロシアの今後について、グレンコ・アンドリー氏の講演を聞く。講演の途中、私からも最近のキーウ訪問の体験を報告。私のホームページでも私自身のキーウ訪問の記録を記しアップ。
- 2月23日
早朝、愛犬スーの散歩の途中、友犬のドルチェ君、ソラ君に挨拶。昼に、私も会員になっている安曇野ふるさとづくり応援団主催の安曇野屋敷林フォーラムの勉強会に参加。松本大学山根宏文名誉教授から、地元の人が安曇野の有り難みを十分に理解していない、との指摘に私も同感。私も過ごした英国の制度であるパブリックフットパスのような制度を地元の役所が例えば条例で取り組む検討も必要かと感じる。夕方、安曇野市内の支援者の皆様と四方山話。ところで、翌日のロシアのウクライナ侵略から丸3年を控え、深夜キーウの空襲警報が鳴りっぱなし。日本にもどっても警報設定はそのままにし、戦時下の緊張感を共有。ロシアに和平の意思など無いと確信。
- 2月22日
早朝、愛犬スーの散歩。近所のヤギさんにもご挨拶。首を寝違えてしまい、少しぎこちないながらも、松本事務所の残務整理を少し進める。昼過ぎに、安曇野市の支援者の葬儀に参列。夕方、松本市内の病院で健康診断を受ける。血圧の高さ以外は問題は無いとの結果に安堵。ロシアによるウクライナ侵略が開始してから24日で丸3年が経過しようとしている中、1週間前に訪れたウクライナ訪問の記録を整理。
- 2月21日
早朝、愛犬スーの散歩。日毎に元気になるスーにご近所の方もお声がけいただく。スーを動物病院に連れて行くと、炎症の指数が大きく低下しているとの話を伺い、更に安心。ところで、足かけ18年間私の活動拠点としていた松本事務所の撤去作業を開始。2月末に閉鎖という決断をし、自民党長野県連の了承を得る。参議院選挙を控えて申し訳ない気持ちなるも、活動資金が完全枯渇。自民党長野県連に要請した借金で維持する術も封じられ、やむを得ない閉鎖。私も荷物の搬出。思い出の品々が出てくるわ出てくるわ。議席を失い、次の支部長選任がなされないことの厳しい現実を突きつけられる。16年かけて涵養した自民党長野県第二選挙区は一体どうなってしまうのか。
- 2月20日
早朝、愛犬スーの散歩。日毎に元気になるスーを見てほっこりする。午前から一日中、自宅に籠り、ウクライナ訪問記を記す。できれば、本にまとめたい。訪問記の触りは以下の通り。
ウクライナ訪問記〜義を見てせざるは勇無きなり。能登からウクライナへ〜
(代議士退任後の私の行動原理)
私は、2025年10月の総選挙の結果を受け、衆議院議員を退任しました。12年間に及ぶ議員活動で、文字通りありとあらゆる課題に直面し、国会議員としての判断を迫られ、案件によっては、私自身でないと対応が難しい課題(私に委ねられた案件、地元案件など)に対しても対応してきたつもりです。国会議員として副大臣、政務官として政府の中に入っての活動もできました。個別の課題に直面するたびに、様々な人的ネットワークを作りあげることが出来ました。国会議員として活動するメリットは、こうしたネットワークを強力に作り上げることが出来る立場が与えられてきたということを再認識しました。
さて、国会議員を退任した今後の活動に関し、何に取り組んでいったらよいかと自問自答して来ました。私としては、ライフワークである地域振興、防災対策・国土強靭化、東京一極集中是正、中山間地対策などに関して、問題解決について深堀してまいりたいと考えてきました。
そうした中で、わが国では災害対応に関して、防災庁の設置を通じて対応能力、事前防災資源を充実していくことにコミットしています。私も、消防庁防災課長、安全保障会議事務局参事官などを経験した公務員時代から、内閣府防災担当政務官、内閣府原子力防災担当副大臣、、自民党災害対策特別委員会事務局長など、国会議員となってからも災害対応を任務とする立場に立ってきました。各地の被災地にも通い、最近では能登半島地震対応でトレーラーハウスを活用した迅速な被災者支援対応をバックアップするなどの活動をしてまいりました。
(災害対応ノウハウを戦災復興に役立てる)
こうした我が国の災害対応のノウハウ、資源を、グローバルな展開に向けることができないかと、常々考えてまいりました。こうした中で、日本ウクライナ友好議員連盟事務局長を務めていた私は、ウクライナの和平機運が出てきていることに着目し、日本の災害対応ノウハウの一部をウクライナ側に提供することで、復興時にあってのウクライナ支援手段の複線化、多様化に資することを企画しました。復興支援の手段は膨大なものがあります。私の場合は、自分自身が能登半島地震などでその投入に加わったトレーラーハウスについてウクライナ側に日本における進化の現状とウクライナに投入する場合のODA利用、投資案件としての組み立てについて、こちら側の考え方を説明しました。もとより、トレーラハウス開発製造事業者関係者の参加も得て、構成員4名の訪問となりました。
(戦時下のウクライナ訪問の難しさ)
そうは言っても、現時点では戦時下のウクライナです。邦人にはウクライナからの退避命令が出ており、日本からのウクライナ訪問も基本的には禁止されています。空襲警報も毎日のように発令されています。外務省とも相談し、例外的に渡航禁止解除が認められる取り扱いになっているウクライナ復興支援の目的をはっきりさせ、訪問の目的遂行の緊要性を示し、かつ滞在日数を最小限とし、警備会社の警護を盤石にする、ウクライナへの入国はポーランドからキーウへの列車利用に限る、などの条件をすべてクリアーしました。その上で、2月9日に日本を発ち、ロンドン、ワルシャワを経由し、11日から13日の2泊3日の短期滞在ながらもウクライナのキーウを訪問する機会を得ました。
それでも、滞在期間中、ロシアによるキーウへのミサイル攻撃があり、我々も宿泊場所のホテル地下のシェルターに2度駆け込みました。12未明に行われた6基のミサイル攻撃ではキーウで1名が犠牲になったと翌日伺いました。ホテルから、対空砲火の音が聞いた初めての経験は驚きでした。
(10名の国会議員にトレーラーハウスの機能を説明)
今回のウクライナ訪問の目的は、日本の災害復興の経験を活かし、それをウクライナの戦災復興に役立てることにありました。様々な支援手法がある中で、我々の切り口は、機能性と環境負荷の低さ、経費の節約に優れたトレーラーハウスに注目し、その活用について関係者と議論を行うことでした。4名の訪問団は、トレーラーハウス製造会社、トレーラーハウスを所有し実際に災害現場でそれを活用している防災ボランティアの方、そしてシェルター整備の専門家に私を加えたチームでした。
日本ウクライナ友好議員連盟の会員を含むウクライナ国会議員10名、経済省、ウクライナ投資庁、復興庁、国会避難民支援委員会、商工会議所の幹部の皆様が我々の提案に耳を傾けて頂きました。更に、駐ウクライナ日本大使館、駐ポーランド日本大使館、JETROの関係者にもお話をすることができました。
- 2月19日
早朝、愛犬スーの散歩。前日よりも元気になった印象。午前中、地元防災系企業から新規事業の展開について相談を受ける。昼過ぎに、知人の訃報に接し弔問。夕方、キーウ訪問についての地元紙の取材を受ける。ウクライナでは350万人が家を失った実態を伝える。 - 2月18日
午前中、自宅で人材発掘会社との面談に臨む。昼に、お世話になった松本の経済人のお別れの会に参列。夕方、山の日協議会の臨時理事会にリモート参加。ところで、私がキーウから戻ってから、元気のなかったスーが次第に体調回復。「SU is back after MUTAI's back from Kyiv.」とのSNSに記す。この日、水の関する優れた技術「亜臨海」に接し、感動。
- 2月17日
早朝、羽田空港に到着の後、新宿駅から松本駅に戻る。松本事務所に立ち寄った後、元気がない愛犬スーの元に駆け付ける。ぐったりしていたスーが、多少の元気回復。9日に羽田を発ってから足かけ9日間の長旅。実は私が不在の間、愛犬スーが元気がなくなり、心配した妻が動物病員に連れていったところ、脱水症状、血液中の炎症の値が高くなり、懸念する事態に陥り、点滴を打ってようやく小康状態に。帰宅して弱ったスーの体を撫でる。飛行機の中で観たキアノ・リーブスのアクション映画の主題が、愛犬をマフュアに殺された男の復讐劇であったのは、愛犬の重みが当事者にとって如何に大きいかとの我が認識と偶然の一致。
- 2月16日
早朝、ロンドンヒースロー空港を発ち13時間の飛行旅でユーラシア大陸を横断、17日の早朝、羽田空港に到着。飛行機の中で、何と3本も映画(ジョンウィック、ティファニーで朝食を、ゴッドファーザー)を鑑賞。帰路も清水国明さんと一緒。清水さんとも様々なコラボの予感。
- 2月15日
午前中、ワルシャワ市内のシチェンシリビツカ公園を散策。首都の公園に何とスキー場が備わっている。ノンリールの犬も散歩。氷が張った池に恐る恐る立つ。昼過ぎにワルシャワからロンドンに飛び、トランジットに若干時間の余裕があることから、地下鉄を乗り継ぎロンドン中心部のホワイトホールにあるパブで自治体国際化協会の有志と懇親。現在の松谷朗所長の18年前には私が所長を務めた懐かしの勤務地。
- 2月14日
未明、ウクライナからポーランド国境の駅プシュミシルで下車。税関手続きを経てプシュミシルでクラクフ行きの列車に乗車、クラクフで再び乗り継ぎワルシャワに向かう。クラコフの西にアウシュビッツ、ビルケナウ絶滅収容所があることを想起。ウクライナの車内で荷物を沢山抱えた若いウクライナ男性が拘束されたのを目撃。徴兵逃れの出国を咎められたのだろう。ワルシャワに到着。JETHRO ワルシャワの石賀康元所長、余田知弘次長を訪問し、ウクライナ支援の取組みについてのアドバイスを頂く。ワルシャワ事務所がウクライナ支援も担当。
- 2月13日
午前中、キーウ市内の建築物の地下に設置された堅牢なシェルターを視察の後、ウクライナ商工会議所にてゲンナジー・チヅイコフ会頭、コンスタンチン・トカチェフ日本代理人、復興庁ヴィアチェスラフ・ディドキフスキー次長と意見交換。ウクライナ政府閣僚ビルで、経済省経済開発局マラショーク・ミハイロ副局長ウクライナを訪問。議事堂近くで避難民支援委員会委員長パブロ・フロロフ議員と面談の後、国会委員会室(地下に設置)で日本ウクライナ友好議連のウクライナ側議員4名(ミハイリューク議員、ジェレズニャーク議員、セミンスキー議員、ラディナ議員)の皆様と順次会談。中込大使にも御同席頂く。皆様、異口同音に日本の支援に対する深い感謝の念を表明し、トレーラーハウス活用への期待も確認できた。この間、昼に、キーウJETRO事務所に勤務の坂口良平氏がご挨拶にお越しになる。長野市出身(長野高校卒)の坂口氏はウクライナ人の奥様とキーウで暮らす。今後の日宇交流に心強い味方。夕方、ミサイル攻撃で飛騨したキーウ市内の建築物を臨む。道を隔てた発電所を狙ったとの見方を伺う。夕刻、キーウを列車で発ち、リビウを経由しポーランドに入国。途中、何度も空襲警報が鳴る。丸2日、キーウで通訳をお務め頂いたペトロフスカ・ナタリアさんに感謝。急なお願いにもかかわらず対応して頂きあり難かった。在ウクライナ大使館の皆様には、中込大使をはじめ大変お世話になり深く感謝。お土産の朝日村のボルシチレトルトには、皆様びっくり。
- 2月12日
早朝、ドニプロ川の河畔、キーウの中心街で朝食。キーウ市内のウクライナ独立記念碑、聖ソフィア大聖堂付近の戦没者慰霊施設を訪問。日本人の義勇戦没者も。シェルターとしても機能しているキーウの地下鉄を見学。105mのエスカレーターで下る世界一の深さ。昼前に、日本独自の機能を備えたトレーラーハウスをウクライナ復興支援に活用する可能性についてウクライナ投資促進機構のアンドリー・リツバニューク投資顧問に説明。復興時だけではなく現時点で需要がある、との前向きな発言。昼に、外務省欧州局長時代に日本ウクライナ議員連盟でお世話になった中込正史在ウクライナ日本大使を表敬訪問。大使に朝日村のボルシチをPR。午後は、キーウの宿泊先ホテルで6つのミーティングをしっかりとこなす。実業家のオレグ・マガレツキー氏の紹介で、与野党の国会議員、コンサルタント、社会活動家の皆様と順に4時間半に及ぶ議論。我々が提案の自立型トレーラーハウスの機能については現時点での活用の可能性について深く認識を頂き、関係当局との情報共有についてコミット頂けた。オデッサ市の市長も務めたオレクシー・ゴンチャレンコ議員は、オデッサ市の避難施設需要が大きいこと、避難民対応の当局への情報共有の必要性の認識を頂く。ウクライナの教育機関での日本とに連携についての要請も頂く。オレグ・ドンダ議員は地方開発庁との接触をアドバイス。米国のUSAIDがウクライナ支援から撤退する懸念を示し、日本側への期待感も示す。4月14日から18日には訪日の予定の由。ウクライナで情報機関勤務経験のあるオレグ・シニャンスキー氏は、避難民エージェンシーとの連携についてのアドバイス。ウクライナ南部のニコライエフ地方では水の供給に制約があり、自立型トレーラーハウスの役割が大きいと指摘。ハリコフを選挙区に持つ女性議員のマリア氏は、ハリコフでの需要が大きいと期待感を示す。復興開発NGOエイジェンシーのタラス・バイク氏は被災地支援の枠組みにトレーラーハウス、シェルター整備も組み込む必要性を指摘。反植民地支配NGOのバレリ・ペカール氏は地方開発庁との連携を示唆。「make russia small again」という考え方も披露。ヤロスラフ・ユルチシン議員は、復興省、避難民エージェンシーとの連携、戦地に近い地域の需要が大きいこと、地元やNGOの意見を聞くことの必要性をアドバイス。ところで、通訳をお願いしているナタリアさんのご主人は東部戦線で戦死とのお話を伺い言葉を失う。夕方、ホテルのレストランで本場のボルシチを食する。夕食後、警戒アラートが鳴り、ホテルのシェルターに連日の待避。今回は30分でアラート解除。この日の活動記録をまとめるのは大変。
- 2月11日
早朝、ワルシャワのホテルを発ち、ワルシャワ中央駅に向かう。駅のスタンドで朝食のサンドイッチを食べ、列車(電車)に乗車。国境の街ヘウムで列車(ディーゼル車)を乗り換える。車中で同行の警備会社の方からウクライナのセキュリティ環境のレクを受ける。IFAKという携帯非常時対応キットの説明も受ける。列車には1両に4つの監視カメラが設置というセキュリティ対策。広大な平原をひたすら直線的に広軌道の線路上を走る列車は安定走行。ポーランドの語源は平原という意。ヘウムのスーパーで食料を購入。ヘウムの西でポーランド国境を超え、ウクライナに入る。国境は沼沢地が隔てる。ウクライナもポーランドと同様、見渡す限りの平原の土地。茅野原が果てしなく広がっていることに何故か感動。私は茅葺き文化伝承議連事務局長も務めていた。線路沿いの電柱がやけに華奢で丈が低いことも気になる。深夜、待望のキーウ駅に到着。警備関係者に迎えて頂く。羽田空港を出てから丸2日をかけての到着の初っ端、ドローン警報発令により駅地下シェルターに直行。ドローンが遠ざかった情報を得て、中心部のホテルにチェックイン。ホテルのシェルターも下見。午前1時過ぎにドローン警報が解除との通知を受ける。
- 2月10日
前日の深夜、急遽フィンランド航空から日本航空便に振り替え、羽田空港からロンドンヒースロー空港に向かい、10日の早朝到着。若干のトランジット待機の後、英国航空機でポーランドショパン空港に到着。羽田を出てから丸一日。11日のキーウ行きの列車の切符を郵便局で受け取った後、駐ポーランド日本大使館に河野章大使、田島晃参事官、丸山史康二等書記官を訪問し、ポーランドから見たウクライナ支援の在り方を伺う。人口3800万人のポーランドが現時点で100万人のウクライナ避難民を受け入れ、累計1000万人の避難民の経由地となっている現状、ポーランドがウクライナに対して格別な支援の気持ちを持っている経緯、今後のウクライナ支援の拠点地としてポーランドが重要な位置を占めるであろう予想などについて、大使の率直な視点を伺う。大使公邸訪問の後、訪問団で世界遺産の旧市街地を散策。
- 2月9日
ウクライナ訪問の朝、スーと暫しの別れを惜しむ。昼前に、松本市内の宗教団体の例会で講演。午後、上京。4名の有志で、日本の防災対応資源能力をウクライナ復興に生かしたいという思い。9日夜に羽田空港を発ちヘルシンキ→ワルシャワ→キーウ→ワルシャワ→ロンドン→東京という行程予定が、いきなりフィンランド航空が、故障で欠航。代わりにロンドン経由でワルシャワに向かうことに。前途多難?
- 2月8日
降雪のため、朝のスーの散歩は見合わせる。昼に松本市内で青木崇県議の新春の集いに参加。地元と県を繋ぐ役割を精力的にこなす姿に頼もしさを感じる。午後、雪が融け、待ちかねたスーの散歩。空いた時間は、9日からのウクライナ訪問の最終調整。
- 2月7日
昼に安曇野市内で催行の知人の市議会議員の親族の葬儀に参列。それ以外の時間は、自宅で来週からのウクライナ訪問について先方と打ち合わせし、今回の訪問の目的を、以下の通り文章にする。
ウクライナ訪問の目的
2月の中旬にウクライナのキーウを訪問することとしました。ポーランド経由で訪問してまいります。外務省のガイドラインに沿って、外務省のご理解を頂き、戦時下の首都を訪問する意味をわきまえて、安全対策には万全の対応をしての訪問となります。
ロシアのウクライナ侵略後、日本国民の間ではウクライナに対し国民を挙げて同情の気持ちが満ち溢れています。今回のロシアによるウクライナ侵略については、日本は人道上の観点、正義という観点に加え、ロシアの暴挙が見過ごされることになると辛うじて保たれている現在の国際秩序が根底から覆され、中国などの独裁国家に対して誤ったメッセージを送ることになりかねないとの思いが広く国民の間に共有されているためです。
それでもなお、日本は憲法上の制約があり、軍事的な支援はできないことになっています。一方で、ウクライナの国民を守る地対空ミサイルなどの迎撃用兵器くらいは何とかならないかとの意見もありますが、今の日本の政治状況でそれを直ちに決断していくことは難しいように思われます。いずれにしても、人道的、復興時の支援については、わが国には様々な分野で支援できる能力と資源が備わっています。
私は衆議院議員をやっている間、森英介会長の下で日本ウクライナ友好議員連盟の事務局長を務めさせて頂きました。ウクライナ支援の為に松本駅前で何度も募金活動を行いました。昨年2月にはウクライナのシュミハリ首相を国会にお迎えし、超党派の議員連盟でウクライナ支援について話し合いも行いました。その際に、ウクライナ支援については、与野党問わず全面賛成であるというメッセージをお伝えすることが出来ました。
ロシアによる執拗な軍事攻撃の中で、現在のウクライナを巡る状況は厳しさが増していると認識しています。しかし、平和が訪れるであろう時に備えて、我々も手を拱いて待っているわけにはいきません。
今回の訪問は、考えられる数ある日本の支援策の中でも、新たな日本の技術アイデアの進歩について情報を共有しようというものです。その一つとして、トレーラーハウスを活用した機動的な復興支援をご紹介したいと考えています。日本は災害大国です。災害対応、復旧、事前準備については、大きな蓄積があります。被災地での被災者の生活支援の一環として仮設住宅の建設が日本では一般的ですが、そのコスト、スピード感に課題があり、最近ではトレーラーハウスを活用した被災者支援が注目されています。私も能登半島地震の際に、その投入の手伝いをしてきました。
トレーラーハウスは需要に応じてどこにでも赴くことが出来ます。おまけに最近の技術の進歩で、水の循環システムが研究され、上下水道に繋ぐことなく、自律独立循環型で稼働する仕組みが生み出され、実装されています。今回のウクライナ訪問ではそのシステムのご説明に伺います。トレーラーハウスの活用は、住宅事情に困難を抱えるウクライナの国民にとっても、そして復興支援の為に駆け付ける日本の人々にも極めて利便性の高いものと考えています。ウクライナ側でもこうしたシステムの存在について今の時点から認識頂けるように努めたいと考えています。
今回の訪問では、ウクライナにおけるシェルターの機能についても注目しています。ウクライナはシェルター大国だと認識しています。戦時下でシェルターの存在感が際立っていると思います。一方、日本では地下シェルター整備がほとんど進んでいません。私は、シェルター整備の議員連盟の事務局長もしていましたが、議員連盟の動きもあり、漸く、中国と国境を接する沖縄県での整備が始まったばかりです。今回は、戦時下におけるシェルターの実際の機能についても具に見て参りたいと考えています。
今回の訪問では、日本ウクライナ友好議員連盟のウクライナ側のメンバーとの会合も予定されています。前議員連盟の事務局長の立場としては、まず、ウクライナ側の議員連盟の皆様のお気持ちを、日本側議員連盟にお伝えすることを想定しています。また、日ウクライナ政府間の交流に加え、議員連盟としての交流も重要であると考えています。実は私の地元の朝日村では、ウクライナ名産のビーツを栽培しており、そのビーツを原料にボルシチを作り、レトルトにして販売しています。朝日村では、いずれ平和が訪れ際にビーツの産地との交流をしたいとの希望もあります。そういう地域レベルの関係強化も視野に入れて息の長いお付き合いをしてまいりたいと思っており、議員連盟の皆様にはその橋渡し役も期待しています。
6日には、永田町で訪問団の結団式も行いました。キーウ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏からウクライナ戦争の今後の展望について、ロシア側の本質的な狙いを見据えた冷静な見方を伺いました。ロシアとしては、ウクライナ全土を掌握することが目的であり、停戦案もその目論見に沿ったものでなくては受け入れない、仮に停戦が実現するとしたら、戦っても占領地が拡大する見通しが立たないこと、戦費が枯渇することといった外的な事情がない限りは戦争は続くとの見立てを披露していました。その意味では、復興支援と言っても、戦時下の復興支援という限定された支援活動にならざるを得ない、とのご指摘をいただきました。それでもなお、現時点で訪問する意義はあると考え、行ってまいります。
- 2月6日
昼に永田町に向かい、議員会館で水の安全保障の専門家、吉村和就氏から、水を巡る諸課題を承る。私は、自民党水道議員連盟事務局長、超党派水制度改革議員連盟幹事を務めていた経緯もあり、水問題に関して少しでも貢献したいとの思いもあり、今後の「水政策」について意見交換。午後、日本令和研究所の三萩祥理事長、兎田中子理事さんらと日本の伝統文化を支える萱文化、麻文化の再興について意見交換。夕方、キーウ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏からウクライナ情勢の今後の展開について聞く。来週からのウクライナ訪問予定の団の結団式の一環。その折に、加藤康子さんとも遭遇。夜、地元に戻る。
- 2月5日
早朝、松本市営果樹試験地跡の公園をスーと散歩。リンゴ畑では山羊と遭遇。寒波が襲う中、自宅で事務作業。最近、在宅の時間が長いが、それなりにすべきことはある。夕方、上京。
- 2月4日
早朝、スーの散歩。昼に、大町市内で催行の相模一男さんのお別れの会に参列。大町市で再結成した自民党大町支部の初代支部長に就任していただき、大変お世話になった保守本流の方。親しい友人との懇親会にも何度もお誘い頂いた思い出が蘇る。夕方もスーの散歩。
- 2月3日
早朝、リンゴ畑をスーと散歩。何とは無しに、西郷隆盛の気分。昼に浅間温泉で寛いだ後、松本事務所でキーウでオペレーション中の警備会社の関係者に現地事情のレクチャーを受ける。近いうちに、キーウ訪問の予定。
- 2月2日
早朝、雪の公園をスーと散歩。お世話になった複数の支援者の葬儀に駆け付ける。夕方、自宅で節分の行事を行う。公の行事からのお誘いが無くなり、プライベートの時間が増えている実感。どちらが幸せか、悩むところ。
- 2月1日
早朝、スーの散歩。午前中、松本市内のロータリークラブ幹部と防災関係のセミナー実施について打ち合わせ。防災に知見を有するものとして相談を承る。その際にAIを活用しセミナー実施プランを作成してみたところ、内容が充実したプランが短時間で作成される。夕方、朝日村スキー愛好者の新年会にお呼ばれ。
- 2月8日
過去の活動報告
- 令和7(2025)年3月
- 令和7(2025)年2月
- 令和7(2025)年1月
- 令和6(2024)年12月
- 令和6(2024)年11月
- 令和6(2024)年10月
- 令和6(2024)年9月
- 令和6(2024)年8月
- 令和6(2024)年7月
- 令和6(2024)年6月
- 令和6(2024)年5月
- 令和6(2024)年4月
- 令和6(2024)年3月
- 令和6(2024)年2月
- 令和6(2024)年1月
- 令和5(2023)年12月
- 令和5(2023)年11月
- 令和5(2023)年10月
- 令和5(2023)年9月
- 令和5(2023)年8月
- 令和5(2023)年7月
- 令和5(2023)年6月
- 令和5(2023)年5月
- 令和5(2023)年4月
- 令和5(2023)年3月
- 令和5(2023)年2月
- 令和5(2023)年1月
- 令和4(2022)年12月
- 令和4(2022)年11月
- 令和4(2022)年10月
- 令和4(2022)年9月
- 令和4(2022)年8月
- 令和4(2022)年7月
- 令和4(2022)年6月
- 令和4(2022)年5月
- 令和4(2022)年4月
- 令和4(2022)年3月
- 令和4(2022)年2月
- 令和4(2022)年1月
- 令和3(2021)年12月
- 令和3(2021)年11月
- 令和3(2021)年10月
- 令和3(2021)年9月
- 令和3(2021)年8月
- 令和3(2021)年7月
- 令和3(2021)年6月
- 令和3(2021)年5月
- 令和3(2021)年4月
- 令和3(2021)年3月
- 令和3(2021)年2月
- 令和3(2021)年1月
- 令和2(2020)年12月
- 令和2(2020)年11月
- 令和2(2020)年10月
- 令和2(2020)年9月
- 令和2(2020)年8月
- 令和2(2020)年7月
- 令和2(2020)年6月
- 令和2(2020)年5月
- 令和2(2020)年4月
- 令和2(2020)年3月
- 令和2(2020)年2月
- 令和2(2020)年1月
- 令和元(2019)年12月
- 令和元(2019)年11月
- 令和元(2019)年10月
- 令和元(2019)年9月
- 令和元(2019)年8月
- 令和元(2019)年7月
- 令和元(2019)年6月
- 令和元(2019)年5月
- 平成31(2019)年4月
- 平成31(2019)年3月
- 平成31(2019)年2月
- 平成31(2019)年1月
- 平成30(2018)年12月
- 平成30(2018)年11月
- 平成30(2018)年10月
- 平成30(2018)年9月
- 平成30(2018)年8月
- 平成30(2018)年7月
- 平成30(2018)年6月
- 平成30(2018)年5月
- 平成30(2018)年4月
- 平成30(2018)年3月
- 平成30(2018)年2月
- 平成30(2018)年1月
- 平成29(2017)年12月
- 平成29(2017)年11月
- 平成29(2017)年10月
- 平成29(2017)年9月
- 平成29(2017)年8月
- 平成29(2017)年7月
- 平成29(2017)年6月
- 平成29(2017)年5月
- 平成29(2017)年4月
- 平成29(2017)年3月
- 平成29(2017)年2月
- 平成29(2017)年1月
- 平成28(2016)年12月
- 平成28(2016)年11月
- 平成28(2016)年10月
- 平成28(2016)年9月
- 平成28(2016)年8月
- 平成28(2016)年7月
- 平成28(2016)年6月
- 平成28(2016)年5月
- 平成28(2016)年4月
- 平成28(2016)年3月
- 平成28(2016)年2月
- 平成28(2016)年1月
- 平成27(2015)年12月
- 平成27(2015)年11月
- 平成27(2015)年10月
- 平成27(2015)年9月
- 平成27(2015)年8月
- 平成27(2015)年7月
- 平成27(2015)年6月
- 平成27(2015)年5月
- 平成27(2015)年4月
- 平成27(2015)年3月
- 平成27(2015)年2月
- 平成27(2015)年1月
- 平成26(2014)年12月
- 平成26(2014)年11月
- 平成26(2014)年10月
- 平成26(2014)年9月
- 平成26(2014)年8月
- 平成26(2014)年7月
- 平成26(2014)年6月
- 平成26(2014)年5月
- 平成26(2014)年4月
- 平成26(2014)年3月
- 平成26(2014)年2月
- 平成26(2014)年1月
- 平成25(2013)年12月
- 平成25(2013)年11月
- 平成25(2013)年10月
- 平成25(2013)年9月
- 平成25(2013)年8月
- 平成25(2013)年7月
- 平成25(2013)年6月
- 平成25(2013)年5月
- 平成25(2013)年4月
- 平成25(2013)年3月
- 平成25(2013)年2月
- 平成25(2013)年1月
- 平成24(2012)年12月
- 平成24(2012)年11月
- 平成24(2012)年10月
- 平成24(2012)年9月
- 平成24(2012)年8月
- 平成24(2012)年7月
- 平成24(2012)年6月
- 平成24(2012)年5月
- 平成24(2012)年4月
- 平成24(2012)年3月
- 平成24(2012)年2月
- 平成24(2012)年1月
- 平成23(2011)年12月
- 平成23(2011)年11月
- 平成23(2011)年10月
- 平成23(2011)年9月
- 平成23(2011)年8月
- 平成23(2011)年7月
- 平成23(2011)年6月
- 平成23(2011)年5月
- 平成23(2011)年4月
- 平成23(2011)年3月
- 平成23(2011)年2月
- 平成23(2011)年1月
- 平成22(2010)年12月
- 平成22(2010)年11月
- 平成22(2010)年10月
- 平成22(2010)年9月
- 平成22(2010)年8月
- 平成22(2010)年7月
- 平成22(2010)年6月
- 平成22(2010)年5月
- 平成22(2010)年4月
- 平成22(2010)年3月
- 平成22(2010)年2月
- 平成22(2010)年1月
- 平成21(2009)年12月
- 平成21(2009)年11月
- 平成21(2009)年10月
- 平成21(2009)年9月
- 平成21(2009)年8月
- 平成21(2009)年7月
- 平成21(2009)年6月
- 平成21(2009)年5月
- 平成21(2009)年4月
- 平成21(2009)年3月
- 平成21(2009)年2月
- 平成21(2009)年1月
- 平成20(2008)年12月
- 平成20(2008)年11月
- 平成20(2008)年10月
- 平成20(2008)年9月
- 平成20(2008)年8月