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活動報告 平成20(2008)年12月

活動報告動画はこちら 連続ミニ集会の模様はこちら

  • 12月31日
    朝、安曇野市豊科で散髪。大晦日は午前中だけの営業で客は私だけ。ご主人が「最近客足が減った」とのぼやき。その後、新刊本ゲラの校正に没頭。途中、父親を入所先に見舞う。夕方、穂高温泉郷の「シャクナゲ荘」で温泉に浸かる。「深志神社」の初詣に招かれ、夜、松本に向かう。
  • 12月30日
    早朝、豊科駅前、松本駅前で今年最後の街頭演説。その後、安曇野市、大町市、池田町にかけて年末の挨拶回り。途中大町市内の若一王子神社にお参り。その際、年末の氏子の皆様の集まりで御挨拶。観音堂に次いで三重塔が竣工。それぞれ茅葺、檜皮葺の葺き替え工事。地元建築企業の技術の高さを垣間見る。施工事業者の大八木建築の社員の、「この仕事は儲けではなく名誉でやりました」との言葉に地元企業の矜持を感じる。
    写真:晦日の若一若王子神社 写真:若一王子神社三重塔と観音様
  • 12月29日
    早朝、松本市白板交差点で街頭演説。その後、波田町、安曇野市にかけて支援者への年末の挨拶回り。夕方、松本市内で友人との会合の後、松本市消防団の詰め所に年末警戒の激励に伺う。
    写真:年末の松本市内交差点での街頭演説 写真:
  • 12月28日
    一日かけて松本市内、東筑摩郡方面の支援者への年末の挨拶回り。年末の松本市内は閑散。夜、新刊本ゲラの校正作業。
  • 12月27日
    東筑摩郡朝日村から松本市にかけて支援者への年末の挨拶回り。途中、塩尻市平沢の伝統工芸を家業とする知人を訪ねる。また、松本市内の知人のご自宅で、つきたての餅の雑煮を頂戴する。忘れ得ぬ味になりそう。縁起ものの「力餅」だから食べて行きなさいとの奥様のお誘いを有難くお受けする。夜、松本市内にて支援組織の集会に参加。今後、幅広い支援組織への成長を祈念。
    写真:塩尻市平沢で伝統工芸技能を継承する知人宅 写真:
  • 12月26日
    早朝、松本駅前と深志二丁目交差点で街頭演説。松本市内の支援者への年末の挨拶廻り。夜、松本市内の会合を梯子。私の新著のゲラが出来上がる。地元出身の先輩代議士の唐沢俊二郎氏から思いがけない「為書」が事務所に届く。この上ない激励
    写真:地元出身の先輩代議士唐沢俊二郎氏からいただいた為書 写真:
  • 12月25日
    早朝、豊科駅前、大町駅前で街頭演説の後、大町市内を廻る。91歳の古い知人宅も数十年ぶりに訪問。大北広域消防事務局で「大町病院から脳外科が引き揚げられ患者搬送に松本まで2時間の時間距離がかかる。この地域の高規格道路は人命救助に不可欠」との話を承る。商店街を廻る中で、ある書店の主人が我が父親と古い知人であることを発見。「自民党候補予定者」ということで当初冷たい視線を浴びていたものの、その事実が判明したことで雰囲気が一変。こまめに歩き回る必要性を痛感。夕方、大町市内で後援会幹部との忘年会。その後豊科の「檀家廻り」。
  • 12月24日
    早朝、松本駅前で街頭演説後地元マスコミから取材あり。「選挙が延びてどういう活動に心がけていますか」との問。「新人としては有権者に知ってもらう期間ができて嬉しい。街頭演説やら有権者宅の訪問やら、様々なやり方を試している。経費の工面が頭痛の種」との答。その後、年末ご挨拶を兼ね松本市内から安曇野市内を廻る。夕方、白板事務所で打ち合わせの後、松本市内の忘年会を梯子。
  • 12月23日
    早朝、豊科駅前、松本駅前で街頭演説。白板事務所で打ち合わせ後、松本市内を広報車で廻る。途中、市内の駅前商店街を個別に足で廻りつつ、郊外店前で街頭演説。松本旧市内が閑散とした状況であるのに比べ、郊外店がクリスマス前の買い物客で賑わっていることに驚く。夕方、知人の蕎麦会に参加。奈川地区、中山地区の蕎麦が絶品。泡盛の古酒との組み合わせも絶妙。その後、旧市内の忘年会に参加。地元サッカーチームの元監督と遭遇。
    写真:松本市内の蕎麦会にて 写真:
  • 12月22日
    早朝、上京。年明けの政治資金パーティーの打ち合わせも兼ね、関係方面への年末の挨拶回り。夕方、高校同期の東京例会に顔を出す。20時の「あずさ」で安曇野市に戻る。南豊科駅で小学校同期と遭遇。
  • 12月21日
    信濃町の野尻湖周辺を訪問。奥信濃には雪は無し。野尻湖畔で「槇割り機」を発見。この地域を詠んだ小林一茶の俳句「日ぐらしや 急に明るき 湖の方」の句碑にも遭遇。その通りの湖の輝き。その後、知人の案内で飯縄町を廻る。霊仙寺湖が鉄の鉱毒溜め池であったとは知らず。信濃町に戻り、夕方、同町内の集落を廻った後、同町の消防団の忘年会に顔を出す。
    写真:野尻湖畔で発見した「槇割り機」 写真:野尻湖を詠んだ小林一茶の句碑
    写真:冬の野尻湖面の輝き 写真:「鉱毒溜め池」の霊仙寺湖の佇まい
  • 12月20日
    早朝、松本駅前、松本市深志二丁目交差点で街頭演説。街頭演説中、「自民党は消え失せろ」という罵声を車の中から頂戴する。私の印象では、この3年間この選挙区では自民党は存在していなかった、というのが実感。実態とは別に、中央政界の影響がこの地域でも如何に強いかを感じる。松本市内の友人と面談後、父親が入所している有料老人ホームのクリスマス会に顔を出し挨拶。クリスマス会では松本市内のボランティアグループによる「大正琴」の演奏を聴く。その後、松川村の支持者を廻る。その後、安曇野市ビレッジ安曇野前で街頭演説。地元のボランティア青年の手作りのイルミネーションに感激。夕方、安曇野市内で安曇野後援会の忘年会参加。
    写真:安曇野市内の有料老人ホームのクリスマス会の模様 写真:松川村訪問時に見つけた伊藤家の茅葺古民家
    写真:安曇野市ビレッジ安曇野の地元青年手作りイルミネーション1 写真:安曇野市ビレッジ安曇野のイルミネーション2
  • 12月19日
    早朝、松本駅前、松本市中央二丁目交差点、白板交差点で街頭演説の後、松本市内を廻る。途中訪れたタイヤ関連企業から、同社は原料生産から販売まで企業内で完結生産体制をとっている旨伺う。その後、陸上自衛隊13普通科連隊本部の年忘れ餅つき大会に顔を出す。再度松本市内を廻る。白板事務所で打ち合わせの後、夕方、波田の後援会の会合に顔を出す。その後、安曇野市堀金公民館で行われた現役学生主催の公開討論会に出席。「少子化と青少年健全育成」がテーマ。若者の政治離れを食い止めるための意識啓発のための討論会。残念ながら、出席者には若者が極めて少ない現実。2区の現職は欠席。新人候補予定者だけの所見表明。
    写真:陸上自衛隊の餅つき大会で餅をつく 写真:安曇野市堀金で行われた公開討論会の模様
  • 12月18日
    早朝、松本駅前と千歳橋で街頭演説。その後、松本市内の住宅地をじっくりと訪問。その訪問中、広報板2枚の設置場所を確保。夕方、大町市内で業界団体の例会にて挨拶。松本にとって返し、団体の集まりを梯子。
  • 12月17日
    早朝、松本駅前で街頭演説。白板の事務所で事務打ち合わせの後、松本市内の事業所を訪問。あるソフト系会社で同社のシステムエンジニアリングの技術者の相当数が東京で働いている実態を伺う。地元では仕事が無い由。派遣社員ではなく正規雇用を維持してきている同社でも、今やソフト技術者は、「きつい、厳しい、帰れない」の3K職場に嫌気がさしている現状を伺う。納期の縛りがきつい中で厳しい勤務環境に苦しんでいる実態も伺う。年々新規採用社員のレベルが低下している傾向に憂慮の声も。その後、松本空港周辺事業所関係者の会合を傍聴。松本空港を盛りたてるための真摯な議論。夜、松本市内の集まり4件を梯子。
  • 12月16日
    上水内郡飯綱町、信濃町方面を廻る。豪雪地帯にも拘わらず、この時期、平地にはほとんど雪が見当たらず。近所のスキー場も人工降雪により辛うじて営業。人びとの生活には雪は大変ではあるものの地域産業の糧である現実を認識。信濃町野尻地区の古海神社で杉の大木に遭遇し思わずカメラを向ける。飯綱町で地場産品をブランド化している企業を訪問。「夕礼」の場で社員の皆さんの担当業務報告の模様を聴取。社員の情報共有、意見提案姿勢、企業ビジョン共有の仕組みに感心。60名の若手従業員を前に挨拶の機会を得る。英国が地場産農産品を大事にしている実態を紹介。夜、松本にとって返し古い知人と会食。
    写真:信濃町野尻地区の古海神社の大杉 写真:飯綱町の企業の「夕礼」の模様
  • 12月15日
    午前、安曇野市豊科駅前、松本駅前、中央二丁目交差点で街頭演説。その後、松本中央郵便局で深志保育園の年賀状の投函式を覗く。更に、松本市今井の特養、知的障害者支援施設、松本市和田の特養を訪問。特養は大量の待機待ちの現状に愕然。知的障害者施設は、老人関係施設に比べ施設の水準が著しく劣る実態を垣間見る。午後、松本市内の事業所訪問後、安曇野市豊科で安曇野の工業会関係者との意見交換会。国際競争の中でしのぎを削っている製造業の現場の厳しい声に接する。「この地域の教育 水準が芳しくなく、良い人材が採用できない」、「インフラも弱く、東京からの時間距離が遠い地域との認識」、「最低賃金制度撤廃、外国人労働者導入を」という声にはややたじろぐ。その後、松本市内の会合で講演。その後、松本市内で懇親会。
    写真:松本中央郵便局の年賀状投函式の模様 写真:
  • 12月14日
    一日かけて安曇野市内を廻る。アルプスの麓はうっすらと雪化粧。その間、牧地区の公民館の清掃行事で挨拶。訪問先の方から、安曇野の日照時間の長さを活用し自宅にソーラー発電会社を作った話を伺う。穂高有明の酪農家からは肉牛420頭もの畜産経営に関する蘊蓄を承る。たまたま訪問したお宅の蕎麦会で御馳走になる。夜、松本市内でKJ法を用いた勉強会。
    写真:安曇野穂高山麓の雪景色 写真:穂高有明地区の畜産農家にて
    写真:訪問先の「蕎麦会」での懇親会にて 写真:松本市内での勉強会後の記念写真
  • 12月13日
    午前、乗鞍高原温泉スキー場のスキー場開きに出席。雪に覆われた乗鞍岳を背景にしたパノラマスキー場はこの地域の国際的観光資源だと再認識。会場で、ダニエル・ジャンカーというアウトドアー活動家と遭遇。NORTHSTARという団体に属し乗鞍の自然を生かしアウトドア活動のメッカとして全国に紹介している由。民主党の下條代議士と会場で遭遇し会話。その後、安曇野市方面を廻る。途中、自民党広報車も動かす。
    写真:乗鞍高原温泉スキー場開所式での神事 写真:スキー場開所式で二区の現職と会話
    写真:乗鞍高原温泉スキー場のゲレンデにて 写真:
  • 12月12日
    早朝、豊科駅前で街頭演説。その後、安曇野市内の知人、事業所を訪問。古民家を利活用した宅幼老所「あんずの里」訪問の折に通所の老人と一緒に「木曾節」を歌う。ある専業農園では、石炭ガラを用いた土づくりの実証実験についてレクを受ける。環境を重視し、土づくりから始める農業戦略に、近未来農業の将来に希望を見い出す思い。その後、穂高の親戚の案内で池田町の縁戚を訪問。夕方、白板事務所で打ち合わせ。夜、松本市内の会合に顔を出す。
    写真:安曇野市三郷の古民家を利活用した宅幼老所 写真:宅幼老所の通所老人の皆様と「木曾節」を歌う
  • 12月11日
    一日かけ松本市内の企業訪問。松本空港も訪問。空港管理事務所関係者と、「全国一太陽に近い」空港の有効活用について議論。エプソンの専用定期便があるユニークな飛行場。夕方、松本市内のホテルにて電気工業関連企業の安全大会で講師を務める。同ホテルにて別の業界団体の忘年会で挨拶。その後事務所関係者と打ち合わせ。
    写真:松本市内の業界団体学習会後の懇親会にて(リトルリーグの元指導者と偶然遭遇した若手秘書) 写真:
  • 12月10日
    早朝、安曇野市豊科駅前と松本駅前で街頭演説。松本市内の事業所訪問。途中、松本市内四賀地区の知的障害者厚生施設を訪問。生活支援担当者の説明を受ける。この施設を作ったことで、地域の人がボランティアを買って出ることにつながったことを踏まえ、「知的障害者こそが地域の人々の心を開くボランティアになった」ことを確信したとの言葉が印象的。養護学校卒業後の知的障害者の行き先を確保していくことの苦労話も伺う。夜、松本市内と安曇野市内の忘年会を梯子。
  • 12月9日
    早朝、安曇野市豊科駅前と松本駅前で街頭演説の後、松本市内、安曇野市内を廻る。15時から安曇野市堀金地区にて、安曇野市区長会主催による熊井明子氏の「安曇野の田園生活を豊かに〜英国の暮らしに学ぶ〜」を聞く。この地域の地域政策を考えていく上で参考になる話を聞けるかも知れないと思い参加。私がロンドン駐在中に東京のご自宅に電話をして以来の縁。故熊井啓映画監督の奥さんでシェークスピアに因む本を書いている作家。彼女は、英国人気質のエッセンスとして、(1)マイペースであること、人のことは気にしない、(2)一般の人がボランティアに熱心であること、(3)安上がりに「今」を楽しむ術に長けていること、を引き合いに出しながら、英国的な感性を元に、安曇野へのアドバイスとして、(1)山、空、水の美しさを守り、外にアピールすること、(2)古い民家を壊さず現代に生かすこと、(3)遠景を楽しめるスポットを探し売り出すこと、(4)ウォーキングにより廻れる地域としていくこと、(5)オープンガーデンを幅広く導入すること、(6)地域に誇りを持ち、地域の歴史文化を掘り起こしそのことを子供たちに伝えていくこと、(7)「山」の文学を掘り起こし子供たちに伝えること、(8)農業で暮らしが営めるような制度を構築すること、などの提案。暮らしやすい故郷は、「在ると思えば在る」の気持ちで自分自身が作るという主体的な気持ちが大事とのメッセージも。ご主人の熊井啓氏の口癖であった、「俺が死んだら魂の帰るところ」である安曇野に対する気持ちのこもった最大限の応援メッセージ。最後の質疑の時間に、私から、「生垣整備に関するご意見は」、との質問を行う。講演後控室でお茶をご一緒させていただく。
    写真:熊井明子氏の後援会の模様 写真:講演に熱心に聞き入る聴衆の皆さん
  • 12月8日
    早朝、安曇野市豊科駅前で街頭演説。嬉しいことに、小学生低学年の子供から、「務台君、頑張れ」との激励を受ける。その後、池田町の知人によりリレー方式で同町内の御案内を頂く。途中、自然農法の農家や町のハーブ園も訪問。東山中腹にある町立美術館付近から見るアルプスの景色は絶景。夕方、白板事務所で打ち合わせ。
    写真:池田町林中地区から見る爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳 写真:池田町から見る大天井岳
    写真:池田町の有機野菜農園にて 写真:
  • 12月7日
    早朝、安曇野市内の知人を訪問後、党の広報車で長野市戸隠地区、豊野地区を廻る。広報車の車上で街頭演説を5回行う。途中、支持者宅も訪問。東京から駆けつけてくれ学生映画監督が道中の画像を記録。雪化粧の絶景の戸隠山、白馬連峰を背景の画像収録。長野市内の知人宅を訪問後、長野市内豊野で某議員の後援会役員会に参加。沢山の後援会の皆様とじっくりと懇談。
    写真:長野市内豊野での街頭演説の模様 写真:長野市内豊野のある後援会役員会の模様
  • 12月6日
    午前、小谷村の栂池スキー場安全祈願祭に参加。その後、栂池地区、白馬乗鞍温泉スキー場、白馬コルチナスキー場を廻る。栂池スキー場では、里山整備の間伐材を利用し木材チップロードが整備されている現場を拝見。地元の方から、この地域のスキー場は元々民家の屋根を葺くための「萱場」をスキー場に転用するところから始まったとの説明を受ける。午後北小谷の大網地区を訪問。北小谷小中学校大網分校が廃校になりアウトワード・バウンド・ジャパンという野外体験団体の基地として再利用されている場所を訪問。その後、小谷村多目的ホールにて「Waの会」のシンポジウムに参加。「限界集落」の事例として大網地区を取り上げた内容。原俊司さん、梶谷かやさん、横川寛さんの話を伺う。原さんは「大網地区の四季のお祭りが集落の誇り」、梶谷さんは、「『アウト・バウンド・スクール』が縁でこの地域に来て3人の子育てを経験し、風土の持つ教育力の強さを認識」、横川さんは、「大網を離れた後継ぎのネットワークに大網再生の希望」との話。夕方、安曇野市明科の特別養護老人ホームの役員会合で挨拶。夜、友人の紹介により穂高温泉郷で開催された「アイガモ謝肉祭」に参加。
    写真:栂池スキー場の安全祈願祭 写真:白馬コルチナスキー場前の豪華なホテル
    写真:野外体験団体に再利用されている元北小谷小中学校大網分校跡 写真:小谷村大網地区の「限界集落」を取り上げたシンポジウムの模様
    写真:アイガモ謝肉祭の模様 写真:
  • 12月5日
    一日かけて白馬村を知人の案内でじっくりと廻る。白馬村では元オリンピック選手などが民宿を営んでおりその国際性にびっくり。ある民家を訪問した際、「志懐霜雪」、「吉山崖不相」(唐澤俊樹書)といった書を拝見し、その思想性に納得。よく手入れされた人の住む茅葺の民家も訪問の機会を得る。これこそ日々の活動の役得? 夕方、安曇野市歯科医師会月例会で講演。
    写真:白馬村の古民家の階段 写真:白馬村の古民家の囲炉裏端にて
    写真:白馬村の古民家と干柿 写真:白馬村の茅葺の家
  • 12月4日
    早朝、豊科駅前で街頭演説の後、山形村を訪問。支持者の自宅の玄関先に、戦時中まで各学校で御真影や教育勅語を収めていた建物である「奉安殿」が移築されているのを発見。この屋の主の先代が、「奉安殿」がGHQの命で破壊されるのを惜しみ移築した由。この他にも旧山形村役場庁舎建物が残されているのも拝見。古いものが残されている山形村の風景に感動。山形村名産の長芋を堀る最中の農家を訪問。午後、波田町でとり行われた知人の葬儀に参列。夕方、東京から駆けつけてくれた同期生が事務所訪問。松本駅前にて同君の「友情旗持ち」で街頭演説。その後、千歳橋でも街頭演説。夜、松本市内のミニ集会に参加した後、大糸線で豊科に帰る。途中、親戚の息子に出会いその足で彼の実家の家族に挨拶。
    写真:山形村に残された「奉安殿」 写真:山形村旧役場庁舎
    写真:山形村名産の長芋堀の農家の方と 写真:
  • 12月3日
    早朝、豊科駅前で街頭演説の後、知人の案内で松本市内郊外の地区を訪問。午後、松本市戦没者遺族会総会で挨拶。「私の身内で戦没者はいなかったが、終戦直前に召集された父親がシベリヤ抑留経験がある。父親の凍傷の痕を炬燵の中で感じたことが子供心に思い出される。英霊の皆様の犠牲の上に築かれた今日の繁栄が、真に英霊の皆様の犠牲に値するものとなるように努力したい」との話をする。夕方、松本市内の会合を梯子。
    写真:松本市今井地区の旧家の玄関にて 写真:松本市戦没者遺族会総会にて挨拶
    写真:松本市郊外の見事な柿の実1 写真:松本市郊外の見事な柿の実2
  • 12月2日
    早朝、豊科駅前で街頭演説の後、松本市内の事業所訪問。午後、市内の松本市内の「桃仙園」にて消防関係団体の役員会で挨拶。この場所は名前が素晴らしい! 同じ場所で長野県シニア大学の同期会の皆さんにも挨拶。同期会のメンバーに旧知の方がおられ皆様にご紹介頂ける。その後パルコ前広場、松本駅前、千歳橋前で街頭演説。白板の事務所で事務打ち合わせ。
    写真:長野県シニア大学の同期会の皆様と 写真:
  • 12月1日
    早朝、豊科駅前で街頭演説の後、安曇野市内の事業所で模様された「激励会」で、約40人の職人の皆様にご挨拶。その後小谷村に赴く。途中、白馬村で安曇野汽船のバルーン訓練に出会う。スタッフの方に、「一度試乗してください」と誘われ、「私も浮上したいですね」と返事。小谷村では知人の案内で北小谷を中心に地区を廻る。李平(スモモダイラ)では限界集落の現状をお年寄りから聞く。雪が積もった折に再訪の約束。曹洞宗常法寺では平成8年末の蒲原沢災害で亡くなった14名の供養塔にお参り。小谷の「道の駅」では、李平のご婦人の会、ボランティア団体の会合で挨拶。1555年開湯の小谷温泉の老舗旅館では、女将から温泉入浴を勧められる。小谷を流れる「姫川」の名前の由来も伺う。諏訪大社の祭神の母親が小谷出身の神様の由。西郷従道が湯治をした温泉としても知られる。従道自筆の「居逸穿労」(静かにしていても将来のことをいろいろ考えている)という書を拝見。疲れたときには訪ねてほしいとの女将の有難い申し出。
    写真:道中出くわした青木湖と白馬連峰の色彩のコントラスト 写真:白馬村で安曇野汽船のバルーン訓練に遭遇
    写真:小谷の集落を守るお年寄りと 写真:小谷村の地区のご婦人の会合で挨拶
    写真:蒲原沢災害の犠牲者の供養塔 写真:越冬用の野菜を囲う萱を使った簡易な倉

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