理念・政策・メッセージ
2025.05.06
「戦後80年に相応しい護国神社の支援」
令和7年4月30日、素晴らしい天候の下、長野県護国神社の例祭が戦催行されました。私も氏子総代会長として、前日祭、前夜祭、そして本祭参列しました。前日祭では御霊和めの舞、前夜祭では花火、そして本祭では胡蝶の舞、民謡の奉納が行われ、英霊の皆様にもお喜び頂いたものと思っています。
さて、長野県護国神社は松本市美須々に存置し、昭和13年(1938年)に創建されました。明治維新から第二次世界大戦までの国難に殉じた長野県出身者を祀るために建立されました。その前身となる招魂社は、戊辰戦争の犠牲者を祀るために明治元年(1868年)に建立されましたが、その後、日清・日露戦争の犠牲者を祭るため、昭和9年(1934年)には全県的な招魂社の造営が計画され、昭和13年に長野県招魂社として仮社殿が創建され、翌年には長野県護国神社と改称され今日に至っています。
私は、代議士に当選の後、縁あって長野県護国神社の氏子総代会長に就任させて頂いてきました。代議士の立場を退いたので、総代会長も退くべきかと考えましたが、総代会の皆様の意向で今しばらく継続させて頂くこととなりました。その理由は、私が思うに、令和7年の年が戦後80年を迎え、そして元号が昭和になって100年の年でもあり、この年に相応しい長野県護国神社の後押しをしっかりと考えろという使命を課されたからかなあと感じています。
私が総代会長に就任後、台風に護国神社の鳥居が倒壊するという災害に見舞われました。再建に向けた寄付を募る事業が記憶に残っています。クラウドファンディングという新たな手法も導入し、目標額を確保することが出来ました。護国神社の近くにある旧陸軍墓地が、地震により損壊した状態に心を痛め、所管する財務省に働きかけ、国会質問までした結果、その本格的改修を実現しつつあることも思い出深い仕事です。陸軍墓地は、令和8年の初頭には改修が終わるとの情報に接しています。その上で、長野県護国神社は、それを支える遺族会の高齢化で先が見通せない状況にあります。戦後80年の今年こそ、何らかの形で護国神社の財政基盤を持続可能なものにしていく必要があると考えています。
本祭に参加した長野4区の後藤茂之代議士も、直会の挨拶で「護国神社の財政基盤の確立が必要だ」と指摘されていました。その通りです。そうであれば、戦後80年の区切りの年にこそ、それを企画し実行する必要があると考えているのです。
私の考えは、崇敬者会に参加する企業を飛躍的に増やし、薄く広く年会費を拠出頂き、英霊の皆様の御霊を末永く祀っていける体制を強化するということです。もちろん、神社としての日々の活動による収入確保はしっかりとやって頂く、その上で戦後の繁栄の成果の上で事業を行っている経済界の皆様に、少しずつお気持ちを寄せて頂く手法を導入したいのです。
今日の日本の繁栄は、尊い命を国のために捧げた英霊の皆様の犠牲の上に成り立っていることは言うまでもありません。であれば、その英霊の皆様の魂をしっかりとお祀りする仕組みを財政的にも支えていかなければなりません。その為に、氏子総代会長としても行動を起こして参りたいと考えています。この場をお借りして、皆様のご協力もよろしくお願い致します。