自由民主党

衆議院議員 むたい俊介オフィシャルサイト 長野2区 自民党
https://www.mutai-shunsuke.jp/

  • トップページ|Top page
  • プロフィール|Profile and career
  • 理念・政策|My policy
  • 講演・著作・論文|Lecture,writing,thesis
  • 活動報告|Activity report
  • 選挙区の状況|Constituency
  • 後援会のご案内|Supporter's association
  • リンク|Link
  • ご意見・お問い合わせ|Tell me your opinion

理念・政策・メッセージ

[印刷用ページはこちら]

2024.12.10

「二度目の台湾訪問」
〜政治交流から日常の姿まで〜


 昨年2023年の10月7日から10日まで日華議員懇談会有志で台湾建国記念式典参加の為、台湾を訪問しましたが、今年の2024年の12月2日から4日まで、約1年ぶりに台湾を訪問しました。


 昨年は国立台湾大学のキャンパスを訪問しましたが、1928年に設立された旧台北帝大を引き継ぐ台湾大学は台湾の最高学府です。大阪、名古屋の旧帝大よりも早い段階で設立された台北帝大に、戦前の台湾で高等教育の発展を願った当時の日本人の強い意思を感じましたが、今回は台北市内の別の場所でも戦前の日本政府の足跡を感じました。


 その一つ、現在、台北市内のカルチャーパークとして脚光を浴びている華山1914文化創意産業園区は、日本統治下に設立された酒造会社の跡地をセンス良くリノベしたものです。台北市内の大安森林公園も散策しましたが、この都市公園が同市に潤いをもたらしていることを実感しました。ここも、元々、戦前に日本政府が企画した公園整備が台湾政府により実現した経緯を知りました。


 昨年は台湾高速鉄道に乗車し、日本の新幹線システムが初めて海外に輸出された事例として台湾に不可欠な交通インフラとなっていることを認識してきましたが、今回は台北市内に張り巡らされているMRT(地下鉄)を縦横無尽に活用する機会を得ました。公共交通が発達し、市内の道路交通もスムースに流れています。そして広い地下鉄駅の構内、地下街の充実を見るにつけ、平時から非常時のシェルター機能を意識した都市づくりを目指していることも確かに実感しました。


 昨年、台南市では、慢性的水不足に苦しんでいた台南地域、嘉南平野に農業用水を供給する烏山頭ダムを作った八田与一技師の足跡を辿り、同氏の銅像に参拝させて頂きました。台南山上花園水道博物館も訪問しました。八田与一技師が農業水利の台湾恩人なら濱野弥四郎技師は上下水道の台湾恩人です。上下水道の整備で当時の台湾の衛生状態は劇的に改善したとの説明を受けました。社会インフラ整備に力を注いだ戦前の日本政府の貢献は今日の台湾の皆様の親日感につながっていることは間違いありません。


 昨年の台湾国慶節の日、台湾総統府に蔡英文総統、頼清徳副総統を表敬訪問した折に、私から蔡英文総統(当時)に、2024年の総統退任で時間ができた際には、我が選挙区の北アルプスに山登りをお誘いしましたが、羽田-台北松山空港往復の折に飛行機から眺望する北アルプスと台湾の山岳地域の類似性に改めて気が付きました。「山の日」を国民の祝日に制定し、日本山岳会信濃支部会員の私としても、日台間の山岳交流も仕掛ける意義がありそうです。


 台湾海峡を巡る国際情勢が緊迫している今だからこそ、過去から今後に繋がる日台の深い絆の足跡を確認しつつ、日常的な日台交流を促進していくことに大いなる意味があるように感じます。何故ならば、そのことが、中国に対する日本の台湾海峡の平和維持に対する揺るぎない姿勢を示すことにもなるからです。昨年は台湾一の高層ビル台北101で、張学舜社長の主催の晩餐会に出席しましたが、今回は昼間に改めて台北101ビルの展望台から美しい台北市内を一望することができました。この美しい公園のような都市を戦火に晒してはなりません。


 帰国最終日には、台北市の故宮博物院を訪問しました。台湾に中国の歴代皇帝の収集した文物が保存されていることには背景があります。日本の侵攻、その後の国共内戦を経て大陸の貴重な文物の一部が台湾に渡りました。戦火の歴史が貴重な文物の現在にも影響しているのです。


←戻る

▲ページTOPへ