理念・政策・メッセージ
2024.07.30
「松本空港の将来展開を見据えて考えるべき視点」
〜子供の頃の北アルプス登山がFDA就航の原点〜
2024年は松本空港ジェット化30周年の年です。松本空港は開港以来、紆余曲折の歴史を辿っています。それでもジェット化30年を経て、漸く松本空港の位置づけが正当な評価を得つつあるように思えます。
特に、長野県の中信地域には、新幹線が通らず、残念ながら高速交通網の空白地域になっています。民主党が政権を担っていた時代、リニア新幹線が諏訪ルートを通る原案が撤回され南アルプス直行ルートに変更されてしまいました。それ以来、長野県の中信地域は鉄路での高速交通網からの置き去り感は強まっています。その意味では、空路による松本空港の位置づけは、長野県にとって、中信地域にとって、死活的に重要な意味合いを持っています。
地方空港同士の接続、便数拡充、国際路線開設、災害時の自衛隊機利活用などその利便性を拡充するアイデアはいくらでも出てきます。海と山の交流の観点から、私自身も沖縄県玉城デニー知事に松本空港と那覇空港とを結ぶ定期便の設定を提案しています。台湾の蔡英文総統(当時)、頼清徳副総統(当時)にも、2023年10月の訪台時に台湾の空港と松本空港の往来について申し上げました。予てからの懸案である日韓定期便も、今後、俎上に上ります。
災害時の松本空港の利活用も懸案です。私が衆議院選挙に落選中であった東日本大震災時に、岩手県の花巻空港に松本空港から自衛隊機を使って支援のピストン輸送を提案しましたが、一顧だにされませんでした。能登半島地震の際にも、陸路での被災地への到達が難しい中、松本空港から能登里山空港への支援員、物資の輸送を提案しましたが、これも実現しませんでした。
何故でしょうか。実は、空港開設時の地元との協定があり、「軍事利用はしない」と書かれているのです。自衛隊が軍隊かどうかは様々な解釈がありますが、協定の運用上は軍隊だと解釈されているようです。その結果、災害時の自衛隊利用さえも「考えてはいけない」こととされてしまっているようです。他地域で大きな災害があっても応援に使えない、逆に長野県で大きな災害があっても支援に自衛隊機が着陸できない制約を課してしまっています。一見正しい目標であるように響く記述が、安全安心を損なう結果をもたらしてしまっています。
更に、協定上、発着便の制限、使用時間の制限も厳しく、その見直しを地元に提案するとすれば、長い時間をかけて協議しなければならない運用になっています。地元協議とは言っても、事実上、地元の同意を取る扱いになっているようで、使い勝手の悪い空港としての評価が定着してしまっています。長野県や松本市の空港担当者に問題意識を伝えると、地元を刺激するようなことは言ってくれるなと困った顔をされる始末です。
ジェット化30周年の記念式典の私の挨拶で、今後、協定の在り方についてもしっかりと前を向いて議論していかなければ、航路開設者は前向きな対応をしにくくなると申し上げました。懇親会で私の隣に座られた鈴木与平FDA会長にも松本空港の制約を聞いたところ、他の地方空港と比べても使い勝手は悪く、松本空港の持つ可能性を大きく損なっている協定についての問題意識を強くお持ちでした。
そのFDA鈴木会長は、松本空港の恩人です。日本航空が経営危機で松本空港就航から撤退する判断をしたときに、その路線を引き継ぎ、今日まで維持発展させる判断を下したのは、鈴木会長です。鈴木会長はオーナー会長であり、その判断が鍵でした。私から鈴木会長に、何故、松本空港を手助けしたのかを伺ったところ、子供の頃に、白馬の山々や蝶ケ岳に登りアルプスの絶景に魅入られた思い出が強烈で、北アルプスを擁する長野県の発展に社業を通じて貢献することは天命だと考えたという言葉が返ってきました。その言葉に、私は感動してしまいました。
地元の我々としても、長野県人以外の皆様が、長野県に対する思い入れにより、こんなに支援してくれていることを考えて、松本空港発展に真摯に取り組む必要があると改めて感じました。