理念・政策・メッセージ
2024.01.13
「能登半島地震に対する私の行動」
〜トレーラーハウス、水処理システム投入を提案〜
令和6年元旦の夕刻、私は穂高神社に初詣で参拝していました。そこにゆっくりとした揺れが襲いました。境内に居あわせた参拝客はざわつきました。スマホが一斉に鳴り、能登半島で大きな地震が起きたことを伝えていました。そして、時間を追うごとにその被害の大きさが明らかになって行きました。
最大震度7、マグニチュード7.6という強烈な地震が発生しました。とっさに、13年前の東日本大震災、29年前の阪神・淡路大震災、101年前の関東大震災、そして177年前の善光寺地震の歴史を思い返しました。災害の歴史を顧みる時に、我々は、大きな災害の合間に束の間の平安を享受しているのだと改めて思いました。
そういった思いを胸に、発災後1週間後の1月8日、私は安曇野市から長野市経由で金沢市に向かうことになりました。北アルプスを隔てた石川県能登半島地震の惨状を報道で見るにつけ、防災をライフワークのひとつとして取り組んできた身としては、現地に迷惑をおかけしない形で何とか支援ができないかと切歯扼腕していたところ、予てより、共に被災地支援に取り組んできたトレーラーハウスの先駆者の原田英世カンバーランド社長から能登半島に被災者支援としてトレーラーハウスを供与したいとの相談を受けたのです。
原田社長は長野市内で国産材料のトレーラーハウスを製造しており、これまでも東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震、そして長野市内の台風19号による千曲川決壊時等の被災者救援にトレーラーハウスを供与した経緯があります。私も彼の動きを支援し政府や自治体にその投入を促してきた経緯もあります。今回も、仮設住宅設置を補完する観点で有効と考えた次第です。
そして、たまたま小規模分散型水循環システムを実用化しているWOTAの前田瑶介社長が震源地の石川県珠洲市に滞在していることを知り、彼にも連絡し、金沢市での合流を促しました。WOTAのシステムを初めて目にしたのは、千曲川水害時に豊野西小学校の避難所に設置された循環型水処理システムによるシャワーを目にした時でした。この時に現場で頑張っていた竹村健司WOTAシャワー隊長との知己もでき、その後、WOTAの本社も訪問し、そのシステムの機動性、環境親和性を更に深く理解しました。今回の能登半島地震でもそのシステムが十分機能することは確実だと考えました。
8日の午前中に金沢市の石川県庁を訪問し、馳浩知事、西脇淳子副知事、佐々木紀代議士にトレーラーハウスの受入れ協力を要請しました。仮設住宅に加え被災者受入れの選択肢が増えることは被災者支援の選択肢が増えることになります。小規模分散型水循環システムについては、WOTA前田社長が淡々と説明しました。既に、珠洲市、輪島市、七尾市、志賀町から設置要望のあるとのことでした。
馳知事への説明の後、政府の現地対策本部長の古賀篤内閣府防災担当副大臣、小森卓郎総務省政務官にも同趣旨を説明しました。政府と自治体の災害対応の意思決定権者に直接、新たな災害支援ツールの説明を行うことを通じて、被災地支援が多重化迅速化することを願っています。
今回の金沢訪問には、昔からの知己を得ている防災ボランティアの清水国明氏(元「あのねのね」のメンバー)、国崎信江危機管理アドバイザーの同行も得られました。被災地支援の気持ちが通じるメンバーとの被災地での合流は、得難い機会になりました。
私は、更に、総務省の後輩でもある村山卓金沢市長にも面会しました。金沢市では被災者の受入れを始めているものの、受入れ施設の不足に悩みがあるとの話も伺いました。同行の皆様は被災者支援物資を持参し、珠洲市に向かい、私は松本市にとんぼ返りになりました。そして、翌9日早朝には、豊科駅前、松本駅前で能登半島地震被災者支援募金活動に臨みました。被災地に行けない皆様の気持ちを募金の形で被災地に届ける役割も大切だとの思いで街頭に立ちました。
今後、被災地の道路事情が改善し、一般の防災ボランティアも奥能登に入ることが出来るようになった時点で、改めて伺うことが出来ればと思っています。今回の復興も、時間がかかりそうです。