理念・政策・メッセージ
2011.11.06
「「傾聴ボランティア」を経験して得られたもの」
〜普段に生活できる感謝の気持ちの大切さ〜
10月下旬、学生たちと津波で壊滅的被害を受けた岩手県大槌町を訪問し、仮設住宅に暮らす年配の御婦人の話を伺った。「傾聴ボランティア」の一環の訪問であった。
話の中で衝撃的なエピソードを伺った。78歳の年配のご婦人は、昭和8年の昭和三陸津波を母親の胎内で経験したのだそうだ。「昭和8年の大津波で私は母親のお腹の中にいた。家族が津波に流され、姉の一人が亡くなった。お母さんは辛くも生き残り私が生まれた。今回の津波で私はまた津波に巻き込まれたがギリギリのところで命拾いした。二度の津波に見舞われこうして生き延びていることは奇跡的だ」としみじみ語っておられた。
周りでこの話を聞いていたご老人達も、それぞれ自分自身や親族・友人が巻き込まれた津波経験を語り始めた。
悲惨な経験を口に出して語ることで体験の共感が行われ、その場でお互いに労わり合う気持ちが満ちた雰囲気を感じた。我々はその場でただただ体験談を伺い、頷くだけだった。
不幸にして犠牲になられた方々のことを慮る時、生き残った皆さんはその幸運を噛みしめるような感情を示される。こうした現実を見るにつけ、我々が普段の生活を通常通り営んでいることの幸せを我々は感謝しなければならないとつくづく感じた。幸福とは、現実の状況に対する感謝の気持ちを持ちうるか否かによって規定されるものではないかということを感じた次第である。
普段通り当たり前の生活を営んでいることに我々はいつしか慣れ親しんで、それが当たり前だと思ってしまう。しかしこの当たり前の生活を営めるために、社会のシステムを多くの人が支え滞りなくそれを維持してできていることは、実は大変な高度な文明の営みなのである。
災害や事故でその一部の機能が不全に陥っただけで全体のシステムがおかしくなることを我々は今回の大震災でサプライチェーンという聞きなれない言葉と伴にいやというほど知った。
今当たり前に生活できていること、生きていることのありがたさを思い、感謝の気持ちを忘れないこと、そのことをしっかりと踏まえれば、我々はどのような試練にも打ち勝てると思う次第である。実は、同じ趣旨のことを、日本の倫理運動の大きな団体では、「不足の思いをいたしません」と自戒している。
学生たちと岩手県大槌町の仮設住宅に暮らすご婦人の経験談を聞いて、感謝の気持ちを忘れないという気付きを与えられ、むしろ救われたのは我々の側であった。