理念・政策・メッセージ
2011.07.29
「エネルギー制約社会とライフスタイルの転換」
原子力、化石エネルギーから再生可能エネルギーへの転換が必須のものとなっている。特に福島第一原発の過酷事故を踏まえて、原子力発電から自然エネルギーへのシフトは、菅総理が言うまでもなく多くの国民の共通の願いとなりつつある。
問題は、どのくらいの時間をかけ、どうやって、どのようにこの転換作業を実現していくかという計画、プロセスである。既に莫大な投資を行い原子力に大きく依存する社会経済システムを作り上げ、更に、民主党政権の下で二酸化炭素25%削減を実現するため、エネルギー基本計画により原発依存度を53%に高める政策が採られてきた中で、その舵を切ることは、短期的には日本の社会経済に大きな摩擦を生じる。
その摩擦熱を抑えながら、再生可能エネルギー比率を高めること、つまり、過渡期を乗り切る対応こそが、今最も重要であり求められる政策であることは言うまでもない。経済界の声を集約すると、電力供給に関する将来の不安定性こそが問題であり、その問題に関して政府が確固たる見通しと計画と手順を示すことが今求められている。
政治がその見通しを立てられず、過渡期乗り切りのタイミングを失すると、日本の経済社会は、見通しの無い中で浮遊し国際競争力の中で埋没してしまう懸念が生じることは言うまでもない。
さて、その見通しが立てられた場合に、わが国にとって何が起きるのか。想像してみると意外に希望に満ちた未来が浮かび上がってくる。
今回の節電努力の中で、残業時間の短縮、早朝からの勤務、夏休みをしっかりと確保するといった取り組みが始まっている。早朝からの勤務になった結果、電話がかかってこない朝のうちに文書作成など集中力を要する仕事をこなすことが可能となり、残業をせずに従来の水準の仕事がこなせるようになった生き生きとした女子社員の姿がテレビで紹介されていた。
これまでは、深夜まで煌々と電気を使い、残業をして、職場に尽くす姿勢が職業美徳とされてきた。家族との関係、地域社会との関係を犠牲にし、職場に全身全霊で尽くす姿勢こそが美徳とされてきた。その結果、日本は経済成長を果たしたが、考えてみればその背後にはそれを許す制約なきエネルギー供給といった前提があった。
これまでも現役時代からの地域社会活動の重要性が説かれながらも、目先の忙しさ、利益確保の観点からなかなか仕事と生活の関係を見直すきっかけがつかめなかった。しかし、「エネルギー制約」という一種の巨大外部ストレスが国家社会に課されることにより、否応なしにこのワークライフバランスの在り方が問われることになる。
翻って、先進諸国では残業はほとんどない。年休もほぼ完全消化するのが当たり前である。仕事に全精力を傾注することがもてはやされる社会システムは、実は「開発途上国型」システムであったのである。
私が一年間滞在したロンドンでも、部下の英国人は、6時になると事務所を退去、年休は完全消化が普通であった。アフター6で何をしているのかというと、大学院でのキャリアアップの勉強、クラシックバレーの練習、パブでの同好の士との意見交換、サッカーやホッケーの練習といった「自分自身への投資」である。仕事以外の広がりを積み重ねることが仕事上も役に立つことを実感できる生活をしている。
日本の社会で縦割りの弊害がよく言われるのも、こうした各職場に過度に勤労者を縛り付けるシステムに問題があったとも言えなくもない。
エネルギー制約社会の過渡期の乗り切りを図る中で、わが国のワークライフバランスを大きく見直し、職場に囲い込まれた現役世代を、地域社会、家庭に取り戻し、日本社会を重層で多様な人間関係のネットワークが張り巡らされたソシアルキャピタルに富んだ国としていく必要がある。