理念・政策・メッセージ
2011.06.12
「菅政権発足一年を振り返って」
〜政治主導に耐えうる政治の質を高める仕組みづくり〜
6月8日、菅直人内閣は発足丸1年を迎えた。その一年の軌跡を振り返ると、消費税増税をぶち上げた上での尻すぼみ、尖閣諸島周辺の中国漁船衝突事件での無原則な対中対応、それを見透かしたようなロシア大統領の北方領土訪問の誘発、TPP交渉参加をぶち上げたものの結局進展なしの対応、社会保障と税の一体改革も方向性が不透明、そしてとどのつまりは東日本大震災での狼狽した対応と国内外からの信用失墜など、功績を探すどころか失敗に次ぐ失敗の連続であった。
私は菅民主党政権の失敗の根底には、逆説的ながら一つの筋の通った基本ラインが存在するように思う。それは、その場凌ぎの対応に終始するという点である。状況主義、御都合主義である。政策に基本原則が存在しないことが取りも直さず民主党政権の基本ライン、ということになる。選挙対策の思いつきの有権者迎合のマニフェストを今後どうしていくかの議論にも手がつかない。
一言で言えば、政権を担うには時期がまだ早かったということである。もう少し時間をかけて実現可能性などの問題を詰め、政権運営のノウハウをしっかりと勉強してから政権に就くべきであった。党の基本綱領もまとめられない政党が、国の政策のビジョンを描けるわけがない。そしてそういう政党が政権を担うと国家に何が起きるか。政権交代時に想定された事態が、想定外の規模の東日本大震災の最中に、想定された以上の規模で生じたにすぎない。
外資系企業の経験がある藤巻健史氏は、トップダウン方式の外資系企業がうまくゆくには前提条件があると指摘している。「自分より明らかに頭脳明晰、経験も能力もある人がトップに座るからこそ部下がついていく」ものであり、「それ無しにリーダーシップは発揮されないし、業績を向上させることはできない」と断じている。藤巻氏は日本政府にそのことを当てはめ、「最高級のプロがトップになれば自負心のある官僚も言うことを聞く。それで初めて政治主導で国難に対処できる」とも語っている。
政治主導を掲げながら、官邸や政府機関のトップに座る人が、政治主導を実現するにふさわしい頭脳、経験、能力を持ちあわせない場合には、その政治主導が空振りになり、特に危機対応が求められる非常事態には悲惨な状況に陥ることは、今回の東日本大震災時の政府の対応を見れば明らかである。
さて、そうは言っても、東日本大震災からの復旧復興、福島第一原発の鎮静化が急がれる中、直ぐに総選挙が出来るわけではない。我々はこの間に何をしなければならないのか。大震災対応に与野党を挙げて心血を注ぐことはもとより必要である。そして、そのことと並行して、我々は政治の質を高めるための仕組みづくりを真剣に考えなくてはならない。
政治の質が劣化していくことが、日本の社会や経済にとってどのような意味を持つのかを、我々は国際的信用の失墜、日本経済の停滞、国民生活の水準の低下という形で自らの身に降りかかる災難としてようやく認識できつつある。
日本全国では政治談議が盛んである。そして多くの人が政治家の質の劣化を嘆く。しかし、その場合、一人ひとりの政治家の吟味を如何にして行うべきかという議論はほとんどなされない。
スウェーデンでは、原発利用に関する国民投票を行う際に、1年間かけて徹底的の原子力に関する国を挙げての国民学習の機会を行った。様々な観点からの問題について国民がきちんと学習した上で国民投票を行った。
政治も同じである。政治の質を高めるために、国民の政治意識を上げ、政治行政に関する知識を高め、その地域選出の国会議員・候補者の中身のチェックをしなくてはならない。例えば、全国の各小選挙区の区域において地元選出の国会議員とそのカウンターパートとなるべき政治家を、定期的に公開の場で討論させ、それを有権者が評価し、検証する機会を設けていかなければならない。
現在、マスコミや経済界は、地域単位でそうした場の設定を行うつもりはないようである。私がかねてより地元マスコミ・経済界にそれを提案しても、まともに取り上げられることはなかった。「政治的中立性」という言葉を言い訳で使ったマスコミ関係者もいた。しかし、政治の評価が中央のメディア情報により大きく左右されるデメリットを、こうしたローカルな地道な民主主義の場の設定により緩和する努力を、我々は真剣に考えなくてはならない。
政治の質を高めるということは、取りも直さず、政治を担う政治家の質を高めるということである。特に衆議院の小選挙区選出議員は、場合によっては総理になる可能性があると考えてよい。総理になり得る人を選ぶのだという真剣さで、政治家の質の吟味という問題に臨む必要がある。
政治主導を実際に機能させる場合の課題が明らかになるにつれ、政治主導を担うべき一人ひとりの政治家を鍛え、その資質を高め、有権者が普段からその能力と主張を的確に評価する仕組みの必要性が明らかになってくる。
来るべき次期総選挙の際には、予めそのような場の設定が全国的に行われるべきことを強く主張したい。政治も危機管理も同じである。普段からの備えがないといざという時に失敗する。