自由民主党

衆議院議員 むたい俊介オフィシャルサイト 長野2区 自民党
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理念・政策・メッセージ

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2009.02.24

「内部資源の配分と郵政議論」


 過日、長野県松本地域にある複数の食品加工業を訪問した。いずれも戦前、救農対策事業として発足した経緯のある事業である。その中のある会社の社長が、「務台さん、このトマトジュース缶の一つの原価がいくらか知っていますか?小売価格130円のトマトジュースの原価は500円を超えています。しかし、我々は他の事業の利益をトマトジュース部門の赤字に充てこの事業を維持しています。そうでないと、この地域の農家が困るのです。我々の事業発足の精神は救農にありました。私の会社は、事業採算性だけで事業の善し悪しを判断しません」という話を聞かせて下さった。私は、地元企業の地域貢献を果たそうとするその姿勢に思わず感動した。


 それを伺って、最近麻生総理の発言で再度脚光を浴びた郵政4事業の分社化を連想した。郵政民営化自体は既に実施されており、これを国有に戻すことに関しては、多くの関係者が時計の針を元に戻すことは無理であると判断しているようである。しかし4分社化に関しては事情が異なる。


 果たして4分社化の結果がどうなっていくのか、注視が必要である。私の親類、知人にも何人かの特定郵便局関係者がいる。私が接した特定郵便局関係者は、「4分社化で以前の事業がそれぞれどのように動いているかが全く分からなくなった」、「お客さんから、以前あったサービスをどこでやっているかを聞かれても答えられなくなった」、という戸惑いの声が聞かれる。事業採算ばかりに気を取られ、お客様サービスが低下しているというのである。


 4分社化とは、(1)郵便事業会社(郵便・物流など)、(2)郵便貯金会社(金融・銀行業)、(3)郵便保険会社(保険業)、という3つの会社組織を分離独立し、これに(4)窓口ネットワーク会社という各郵政サービスを受託して販売する窓口業務という第4の業務形態会社を配置するというものである。


 私が総務省の現役であった当時、当時総務大臣であった麻生氏は、郵政民営化担当大臣の竹中平蔵氏と、郵政公社の「分社化」について意見が対立していた。麻生氏は郵政四分社の一体性維持を主張され、竹中氏は一体事業化していた郵政公社の完全分離、四分社化を主張されていた。


 当時、4分社化の目的について、郵便、窓口、貯金、保険の四分社化により一つの事業の損益状況が他の事業に影響を及ぼすことを未然に防ぐことになり、各機能それぞれの専門性が高められ、機能ごとに効率的な経営が行われ、良質で多様なサービスを安い料金で提供できるということにつながる、という説明がなされていた。


 これはこれで一応の理屈である。しかし、一方で、郵便局が所在する地域の立場から見るとどうなるか。各事業の個別経営側の損益状況を最適化させるために部分最適の対応がなされると、採算の悪い事業を抱える地域のサービスが低下をきたすことは明らかになる。先の食品会社の例で言えば、トマトジュースの生産を解消し、地元農家からは地場産トマトの生産が消えることになるのである。


 問題は、それで良しとするのか、良しとしないのか、ということである。現場の状況はどうかと言うと、簡易郵便局の経営が成行かなくなり、全国で4000局ほどある中で、400局(平成19年の数字)以上が「一時閉鎖」になっている。これでは、「ネットワークを守る、全国どこでも郵便・金融のサービスを提供し続ける」とう当初の約束が守られているとは言い難い。郵政事業は明治以来我が国が時間をかけて練り上げてきたシステムである。我が国の地方にあっては、地域社会にとってのソシアルキャピタルとも言うべき存在である。特に最近、米国流の市場原理の手法が大きく崩壊しつつある中で、わが国特有のシステムの価値を評価し直すことは、この際必要なことであるように思える。 


 そのような改革も、外部環境の変化の中で評価は変わりうるものである。郵政民営化や4分社化が議論された世界の情勢と、現在の情勢がどのように異なるのか、その状況変化の中で、当時の議論が今日的な視点で再評価されることは当然あり得ることのように思われる。仮に現在のような経済環境の中で郵政民営化、4分社化議論があったとしたら、それらが実現できたとは私には到底考えられない。


 あの時に一度決めたのだからそれで行くのが当然だ、というのは、ある意味で思考停止である。「潔さ」も時と場合によっては誤りを犯すことになり得る。臨機応変も必要なこともある。


 ところで、ここまで書いてみて、ふと思うことがある。なぜあの郵政民営化議論の時に、国民が圧倒的に改革を支持したのか。私は、その背景に、当時の特定郵便局長が、国家公務員でありながら、政治活動が自由で、かつ事業の公私が判別できないといった指摘をマスコミから受けたことが国民の強い反発を招いたように私には映った。そのような国民の反発を背景に時の小泉首相は改革を上手に主導された。


 翻って現在はどうか。実は構造的には同じ図式があるように思われる。特定郵便局の関係者は、一般の民間会社としては考えられないような組織的な政治活動を行っているとの指摘が強い。これが余りに行き過ぎると、私にはまた国民の反発を招来するように思えて仕方がない。例えば、私の後援会の口座は郵便局にもある。その郵便局の口座への支援者の振込の状況が明らかに特定の政党支持の会社の掌中にあり、万が一それが政治的に利用されかねないとしたらどうなるのか、果たして大丈夫なのかという不安にかられるのは、私だけではあるまい。


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