自由民主党

衆議院議員 むたい俊介オフィシャルサイト 長野2区 自民党
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理念・政策・メッセージ

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2012.11.02

「槍ヶ岳開山から現代に至る山小屋経営の歴史」

〜1世紀に亘る槍ヶ岳山荘経営の苦闘が物語る槍ヶ岳登山の履歴〜


 槍ヶ岳山荘の経営者である穂苅康治社長から、2012年4月に刊行された「槍ヶ岳とともに」という本を頂戴した。(注1)ここには、菊地俊朗という信濃毎日新聞社の元松本本社代表を務められ、現在は山岳ジャーナリストとしてご活躍の執筆者による、槍ヶ岳に魅せられた山小屋経営者3代に亘る苦闘の歴史が綴られている。


 今や人気モデルの「押切もえ」さんも登頂に挑む(注2)槍ヶ岳を代表とする日本アルプスは、その麓に住む我々地元民にとっては、当たり前の風景であるが、その絶景は実は世界でも第1級の自然パノラマであることも当然のように知られている。


 しかし、この国際山岳資源を世に出すために如何に先人が苦闘を繰り返してきたのか、その苦悩の歴史は余り知られていない。


 山小屋無くしては、今日のアルプス山岳登山の隆盛は期待できなかったであろう。この本は、その隆盛を当事者として支えた人々の営々とした苦労がしっかり伝わってくるドキュメンタリー物語である。


 登山好きの松本市内の商店主の肝いりで山小屋経営が始まったこと、槍への登山ルートを巡り従来のルートに権益を有する山小屋グループとの確執があったこと、大学の登山部のマナー違反による山小屋の被害、診療所の開設に至る経緯などが興味深く綴られている。


 中でも私が興味を持ったのは、穂苅家が非常な熱意を持って江戸時代の槍ヶ岳開祖である播隆上人の開山の履歴を紐解いた経緯である。実は、日本山岳会は、播隆上人の開山の歴史的事実を余り重視せずに、英国人宣教師ウェストンのアルプス登山を大いに宣伝してきた経緯があったようである。穂苅家にはそうした「欧化主義」に対する反発心もあり、播隆上人の業績を世に出そうとしたとのことであった。


 穂苅康治社長の祖父に当たる穂苅三寿雄氏により編まれた「播隆」という本を下敷きに、新田次郎氏による「槍ヶ岳開山」が書かれ、新田氏はそれにより山岳小説という新分野を切り開いたと評価されたとある。


 しかしながら、新田氏は小説の面白さを重視するあまり、史実にないことを書き連ねたことから、「播隆」の執筆者の穂苅三寿雄氏はもとより、地元で播隆上人のことを知る多くの関係者からクレームの嵐が巻き起こったことも綴られている。


 本の中には、私個人としても非常に興味深い記述がある。それは、「旧野沢村(安曇野市三郷)の庄屋、務台与一衛門影邦が天保6年(1835年)、播隆が槍ヶ岳参籠中に、4日がかりで槍ヶ岳に登山した山行記『槍ヶ岳道法』に出てきた」とのくだりである。そして、この『槍ヶ岳道法』を含む務台家文書「公私年々雑事記」には、「天保5年以降の播隆の幾つかの消息を具体的に裏付ける書き込みがあった」とし、貴重な古文書と評価がなされている。


 この与一衛門影邦は、実は私の6代前の先祖である。会ったこともない180年前の先祖の営みに現代の本の中で接することが出来るということは、何という感動であるかと、再認識した次第である。


 更に機縁は重なるもので、初代の槍ヶ岳山荘経営者の穂苅三寿雄氏は松本市の六九商店街に店を構えていた縁で、これまた私の妻の先祖である商店経営の傍ら登山家としても知られた土橋荘三という人と共に、山小屋経営を目指したとも紹介されている。


 こういう先祖の足跡を知り、そうした視点も踏まえて槍ヶ岳、日本アルプスを臨むにつけ、この自然を更に付加価値を付け、後世により良い形で引き継がなければならないと思い定める次第である。槍ヶ岳を含め日本アルプスの太宗は、衆議院長野県第2選挙区という私が自民党の支部長を務める選挙区内の自然でもあるのだ。


(注1)槍ヶ岳山荘経営者である穂苅康治さんとのustream対談
http://www.ustream.tv/recorded/21515607


(注2)押切もえさんの槍ヶ岳登頂番組
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kintoku/archives/2012/20120914/index.html


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