「後藤新平と信濃木崎夏期大学」

~長野県の歴史的無形教育文化財~

 私は後藤新平という人が好きで、後藤新平が創立に関わった東京市政調査会の西尾勝理事長のところに伺うと必ず後藤先生のことが話題にのぼる。西尾先生は私が学生時代のゼミの恩師であり、仕事上も地方分権にかかわる仕事でともに関わった縁もあり、折を見てご指導を仰ぎに伺っている。しかし、縁は異なもので、たまたま私の地元に所在する信濃木崎夏期大学もまた後藤新平と極めて関係が深いのである。

 後藤新平という人は、明治から昭和に至る日本の激動期において、個性的な壮大なビジョンに基づき、内政から外交にいたるまで多岐に亘る政策を実行したことで知られる。

 そのスケールの大きさは今でも語り継がれているが、その仕事の背後にあったのは、「一に人、二に人、三に人」という後藤の名言にもあるように、何よりも「人」にかける気持ちにあったということであるが、その後藤が信濃木崎夏期大学の創立にも関係していることは恥ずかしいながら最近まで知らなかった。

 それを知ったのは、京都大学名誉教授で信濃木崎夏期大学理事でもある岡田渥美先生にお会いしたことがきっかけであった。知り合いの紹介で松本市にお越しになった岡田先生との縁ができ、岡田先生からこの夏期大学の由来を熱っぽく伺う機会があった。

 岡田先生によると、安曇野出身の平林廣人氏と後藤新平が偶然出会ったのは、信州を走る列車の車中であった。平林はデンマークにおける農業と教育の振興による「国づくり・人づくり」を目的とする「国民高等教育施設」からヒントを得て、当時万人に開かれた自由な総合大学としての「サマー・ユニバーシティ」計画を長野県内の各方面で熱心に訴えていた。一方の後藤は、「世界に立って恥ずかしからざる」一般国民の心志向上・醇化を図るため、「学俗の接近ないし学俗調和」を提唱し、当時の日本を代表する各界名士と相語らって「高等学術の普及」を目指す通俗大学会を結成、「広義の国民教育の一助」として庶民対象の高等教育普及に率先努力していた。その二人が、偶然列車に乗り合わせ意気投合、即座に後藤が設立資金「1万円」の提供を約したことから、一挙に木崎夏期大学開設の目途が立ったというものであった。まさに電撃的な出会いにより信濃木崎夏期大学の発足に漕ぎ着けたのである。

 その夏期大学は、大正6年(1917年)以来、今日までの93年間、先の大戦下でさえ一度の休講もなく継続している。毎年8月1日より9日間、自然、社会、人文の3つの学問領域から各3名、計9名の当代第1級の学者たちが「信濃公堂」に立つ。冒頭の西尾勝東大名誉教授も演壇に立ってこられた一人である。私の父親も、往時は常連の聴講生であったし、私も父親に連れられ180畳敷きの高い吹抜け天井の講堂で講義に聞き入った記憶がある。その頃は講義の内容が難しかったという記憶だけ残っている。

 元々教育学者である岡田渥美先生によると、この夏期大学は、わが国で初めて一般国民向けに本物の学問と教養を極めて廉価で自由に開放・提供した庶民高等教育機能であり、我が国におけるメッカでもある、とのことである。更に、岡田先生がご専門の比較教育史の観点からは、欧州と同時期に、世界的にも極めて早い段階で実施された「ユニバーシティ・エクステンション(大学拡張)」の先駆的事例なのだそうだ。「人」を大事に考えた後藤の魂が乗り移ったかのような、当時、世界でも先駆的な試みであった通俗大学が信濃木崎夏期大学なのである。

 後藤は晩年、現在のNHKにあたる東京放送局総裁、ボーイスカウト総裁などを勤め、ボーイスカウトでは、「自治三訣」、すなわち「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」と説いて歩いた。そして、「人を遺す者こそ上品の人」と、国家、地域にとって人材こそがかけがいのない資源であることを説いて回った。

 その後藤の精神を受け継いでいるのが、地元北安曇教育界の現役の先生方である。1世紀近くの長きにわたり、この夏期大学の運営をボランティアで引き受け継続してきている。今は小・中学校の先生は夏休みといえども大変忙しい。その中を、僧院の修行僧のごとく、夏期大学運営の裏方に徹して労力を惜しまない。

 後藤新平と平林廣人というナショナルとローカルのそれぞれの立場の情熱家の思いの融合から生まれた信濃木崎夏期大学。私にはその存在と営みそのものが「歴史的無形教育文化財」のように思えてくる。

 いま日本は岐路に立っている。時代の危機に際して、教育による人材育成こそ危機を切り開く鍵であることは、やはりこの夏期大学の常連講師であった哲学者の務台理作先生も語っておられる。

 世情の風潮が短期的、刹那的雰囲気に流されていく中で、長期にわたる人づくりの観点を忘れず、その証としてこの夏期大学の伝統を多くの皆様の理解と支えにより継承していかなくてはならない。地元にある先人の培ってきた教育遺産の意義を今日的観点で再評価していく必要がある。


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