「最近赤トンボが減っている理由」

〜水田農業が育む生物多様性〜

 故郷に戻って2度目の冬を迎えている。故郷に戻って過ぎ去った2度の秋を思い浮かべるに、そう言えば最近赤とんぼを見る機会が少ないことに疑問を感じていた。2009年11月末に安曇野市で行われた勉強会の中でその理由に出くわした。

 福岡県在住の「農と自然の研究所」代表理事である宇根豊氏の講演の中で、日本で生まれている赤トンボ200億匹の99%が田んぼで生まれているのだという話を伺った。最近の休耕田の増加、耕作放棄田んぼの増加により、赤トンボの生息環境が脅かされているということなのだ。同様に日本で生まれている1,000億匹の蛙の子(オタマジャクシ)の97%がやはり田んぼで生まれているのだそうだ。そう言えばこのところ蛙を見る機会もめっきりと減ったような気もする。

 過日、松本市島立の農家の主婦の方から「このあたりの農家は何haも農地を持っている人がいるが、殆ど儲からない。スーパーのレジに立ったほうが収入がいいので耕作を止めている人が増えている」との話を伺った。農業所得が低迷する中で、農家の水田耕作意欲の低下が赤トンボや蛙の数の激減という結果をもたらしていることはどうも間違いのないことのようだ。

 問題は、この事実をどのように考えていくべきか、ということになる。水田は米を作るためのもので、赤トンボや蛙を養うものではない、との意見も当然あるだろう。しかし、どうもそういう見方自体を変えていかなくてはならない、ということを感じる。

 宇根氏は、日本の農業の在り方に新たな視点を提起する思想を展開されている。農業所得にのみ関心を持つのではなく農業の持つ環境保全機能を重視しその価値を社会や国家が重視する仕組みを構築すべきだという考え方だ。その延長線上には、民主党が主唱している「カネ」に着目した戸別所得補償制度よりも、「カネ」に換算できない水田の環境保全機能に着目し、例えば農家に対する環境支出という制度の導入が必要ではないか、との考え方が出てくる。

 実は、同趣旨の話を東京大学名誉教授の月尾嘉男氏からも伺う機会があった。2009年12月初旬、白馬村「仰山塾」の勉強会で、月尾東大名誉教授は、1次産業を環境保全産業、2次産業を資源循環産業といった具合に捉え直し、地球環境重視の観点から産業に対する見方を大転換する思想の必要性を強調されておられた。

 農業を環境保全産業と捉えると、水田が赤トンボや蛙を育む機能の価値がクローズアップされてくる。

 宇根氏によると、田んぼの生き物は5,470種類にものぼるのだそうだ。これだけの生き物を育んでいる日本の田んぼは、生物多様性の豊かさの支え役ということになる。農家は生き物の守り神ということになる。

 残念ながら、産業近代化の過程で農家自身がその役割を見失ってしまった。農薬の多用、除草剤の使用、構造改善事業による小川の喪失、大型農機具の使用、子供を農作業から遠ざける農法などにより、農家自身が田んぼの生き物へのまなざしを見失ってしまったのである。

 宇根氏は、「百姓は仕事をしている時は楽しい。農産物を売るときに頭にくる。」という言葉を紹介されていた。農業を、カネではなく、カネ以外の価値により捉えていってはじめて、地域が、日本が、そして世界が環境重視の時代に大きく脱皮することになるのだろうと思われる。

 最近は環境重視の立場から、フード・マイレージ、ウッド・マイレージ、ウォーター・マイレージ、フェア・トレード、エコロジカル・リックサック、都市鉱山、エコシステムサービス、FSCとMSC、GRH、HPIなどの環境系指標が世界中から続々と示されてきている。これらの考え方は地域資源を大事にして、地球環境の持続性を重視する考え方に立つものである。

 宇根氏は、より具体的な指標を作っておられる。例えば、「ごはん1杯」=「米粒3,000〜4,000粒」=「稲株3株」=「オタマジャクシ35匹」という比較である。人がごはん1杯を食べることで田んぼを維持し、それはオタマジャクシ35匹を養うことにつながる、という理屈である。この理屈で、「秋アカネ1匹」は「ごはん3杯」で養え、「メダカ1匹」は「ごはん83杯」で養えることになる。

 日本の農家そして地域、社会、国家が、伝統農業の持つ位置づけの重さに気がつき、それを継承しようという気持ちになってこそ、地域社会自体も元気になっていくように思われる。


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