「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす」

〜我が「出師の表」〜

 国政に志を立て、生まれ育った故郷に戻り380日が経過した。いよいよ8月18日は出陣の日である。この日は奇しくも私の長男の誕生日でもある。

 現在の政治の状況は混乱状態にある。経済が順調であるときには政治は表舞台に立たなくても大きな弊害はない。しかし経済や社会が混乱状態にあるときこそ、今後の国のあり方に対し政治がしっかとした方向性を出し明確な方向性を示していかないと経済社会の混乱に拍車がかかる。

 今の政治はどうか。残念ながら国会の有り様を見ても与野党を問わず余りにも足の引っ張り合いが目立つ。少子高齢化が進む中にあって、政策の選択肢が余り広くないことから本来政局の道具にしてはならない安定した社会保障の行方に関しても与野党の共通の話し合いの場すらない。その結果、有権者におもねる選挙目当ての財源論無き目に余るばらまきが目につく。経済対策も、世界同時不況の中で我が国の経済の底抜けを起こさないために迅速果敢な経済刺激策を講ずることは世界の共通認識であるにも拘らず、野党は個別の経済刺激策の粗捜しばかりに終始し、こともあろうに補正予算の凍結まで言い出す始末である。

 英国の歴史家アーノルド・J・トインビーは「歴史の研究」の中で、「社会が衰退していくときに共通して現れる5条件」を挙げている。

(1)国民の心にエゴイズムが生じる。
(2)国民が自立心を失う。
(3)指導者が大衆迎合を始める。
(4)若者の指導を怠るようになる。
(5)幸せを金や物の量ではかるようになる。

 現在の日本の社会の混乱の状態を見ると、この5条件が全て当てはまっているように思えて仕方がない。

 トインビーの指摘する社会の衰退を止める為に必要なことの一つに政治の質の向上があるように思われて仕方がない。特に、政治が大衆迎合を始めることの弊害を政治家自身が理解しなければならないことを痛感する。政治とは、社会・経済の危機に際して国民の皆さまにビジョンを示す立場にある。政治が「悪者探し」を行い、国民の怒りに火をつけるようなことは歴史の教える邪道である。

 国民が怒りや熱狂により判断した政治的結果は往々にして大きな誤りを犯すことがある。8月は広島・長崎に原子爆弾が投下され日本が戦争に負けた月である。太平洋戦争も当時のマスコミに煽られた世論が冷静さを失い、米英に対する怒りと熱狂により「一度やってみよう」という無謀な判断に行き着いた面があったとも言えるのではないか。

 我々は先の大戦の惨禍の反省の上に立ち、瓦礫の中から奇跡的な経済発展を遂げた我が国の来し方行く末を反芻し、怒りによってではない、一呼吸置いての冷静な政治的判断を行わなくてはならない。その意味では、国民の皆さまが、お盆に先祖の墓参りを行い先祖の霊と交流し、期せずして、今後の我が国にとって何が必要かということをゆっくりと考える機会がお持ちになったことは、得難いタイミングであったのかもしれない。戦後初の8月の衆議院選挙は、その意味で意味深長である。

 私は、生まれ育った故郷に戻り、いま改めて「帰りなんいざ 田園まさに荒れんとなんとす」という陶淵明の詩の意味を噛みしめている。1年以上にわたり鳥取県とほぼ同じ広さの長野県第2選挙区を巡り、農山村の疲弊、地方都市の空洞化を目の当たりにした。これ以上この美しい我が故郷を疲弊させてはならない。これを反転させ、地域再生を果たすのは政治の役割である。

 日本の地方、特にわが故郷の潜在的可能性は極めて高い。首都圏から移り住みたい地域として最も評価が高いところからもそのことがうかがい知れる。しかし、その潜在的可能性がなかなか発揮されない。わが郷土の良さを自ら知り、客観的にその立ち位置を知ることが何としても必要である。それによりその長所を伸ばすことが可能となる。

 日本人自身の日本への自己認識も同様である。知日家の陶芸家として有名なバーナード・リーチは、「日本にはあらゆるものがあるが、日本がない。今、世界で最も反日なのは日本人なのだ」という言葉を残し西洋を崇める日本人に警鐘を鳴らした。日本人自身が日本に対する評価が低いのである。英国のBBCの調査など世界の世論から見る限り、日本の高評価はほぼ世界の共通の認識である。残念ながらこうした評価は日本の新聞で大きく取り上げられることはない。日々の新聞の一面記事を見ると日本の国を自己否定する記事が満載だ。これでよく日本の国際評価が高く保たれてるか不思議だ。戦争をしない、争いを避ける、他人に思いやりがある、食事がおいしい、武器輸出をしない、声高な主張をしない、キチンとしている、日本製品の品質が高い、環境に優しい国づくりが進んでいる、日本製アニメに親しみを覚えるなどの様々な要因があるとされるが、こうした世界の共通した対日観をもっと日本人自身が正しく認識し、ある意味での「世界的信用」を自己認識し、これを生かした国づくりをする必要がある。

 世界一の長寿国でありながら日本の高齢者が口を極めて政府批判をする国、それが原因となり日本の津々浦々で「一度くらいやらしてみよう」という呪文が大合唱のように繰り返される国。国民の熱狂により開戦に至り敗戦という痛手を乗り越え漸く築きあげた国の繁栄、この事実を歴史認識の上に立って客観的に評価できないとしたら誠に残念なことである。過去の意思決定の過ちの反省に立って、現在の日本の立ち位置について一呼吸置いて再度評価する必要がある。我々が何度も繰り返してきた「失敗の本質」には、過去の失敗を踏まえ、それをもとにものごとを客観的に評価することが不得手であるという側面があることを忘れてはならない。

 ところで、民主党のマニフェストに、「米国との自由貿易協定締結」と「農産物の販売価格と生産費の差額を埋める戸別所得補償制度」がある。この両者の関係を、過日、松本青年会議所公開討論会の場で第2選挙区の民主党前職代議士に質したところ、「農産物輸入自由化により日本の国内の農産物価格が下落する。国内の農産物の価格下落に伴い生産費との差額を埋める戸別所得補償を行うものだ」との明確な答弁を伺った。農産物自由化により地域農業の崩壊が必ず起こることに対し、農村地域を地盤としてきた民主党前職代議士の無頓着さに思わず戦慄を覚えた。民主党に政権運営を「一度くらいやらせる」ということは、「一度くらい農業を崩壊させてみたらどうか」ということと同義のような悪夢に思える。

 私は、「田園まさに荒れんとなんとする」故郷の荒廃を見て見ぬふりができない。「帰りなんいざ」という気持ちで故郷に戻ってきた。これから8月30日までの選挙選が始まる。以上が、私から有権者の皆さまに奉げる「出師の表」である。


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