〜日本の「農」の再評価〜
数年前になるが、NHKBS特集の「アジア米はどこに行く」の内容に大変示唆を得た記憶がある。選挙区内を廻り農業の実態を垣間見る都度、この特集の内容を思い出す。この番組で紹介されたアジア農業の新しい芽は、今後の日本農業の行方に大きく参考になるものと思われる。私なりに番組の内容を備忘録的にメモしたものが手元にあり、以下紹介する。
(バングラデシュ)
かつての黄金のベンガル。その土が30年前から大きく変わった。当時国家の悲願としての米の増産。奇跡の米が入ってきた。短期間で大きな生産力。しかしそのために大量の農薬と科学肥料。飢餓は軽減されたが大地は深く傷ついた。
害虫の大量発生。化学肥料でミミズが死ぬ。すると害虫が大量発生。土も硬くなり痩せてしまった。
ゴパルクル村。近代農法を進めてきた結果金がかかり、年々苦しくなり、ついに牛を売ってしまった。鋤を自分で使おうとしても硬くて耕せず。土地を次の世代に引き継げない状況が生まれている。日々の食卓も魚などが捕れなくなり、以前よりも貧しくなってしまった。
(フィリッピン)
IRRI。国際米研究所。アメリカの近代的農業技術をアジアへも導入するという趣旨で設立された国際機関。マニラ近郊。(私も外務省勤務時代の26年程前に訪問)。ロストウの米国流食糧増産思想。IR8が開発され、「奇跡の米」とされた。1973年にフィリピンで計画がスタート。
ヌエバ・エチハ州。飛躍的に生産力は伸びたが、この10年は頭打ち。農業指導が不十分。闇雲に米の種を蒔いているだけ。経費がかかりすぎて米作りが全く儲からない。
農業近代化が、一時は大きな成果を上げたものの大地を疲弊させて農家は生活苦にあえいでいる。
*失敗の原因
・地力を無視した農業
・食糧増産と食
→米を作れば作るほど米作農家が儲からなくなっている。トータルに職や地域のあり方を考えなくなってしまった
・「農」に対する考え方の取り違い
(タイ)
中国系タイ人がタイの米輸出を取り仕切っている。生産はタイ人、流通は中国系タイ人。国際価格の乱高下の影響で、現在は最高値の3分の1の水準。輸出用の米の生産を奨励。そのために除草剤、米成長促進剤を混ぜた農薬を大量に使用。コストも年々上がっている。巨額の借金経営。コストは年々増えているのに、国際価格は乱高下で借金は増えるばかり。
大量の農薬を使った米は輸出用、タイの農家は自分で作った米は食べずに、国内用に別の地域で作られた米を買って食べている。
1997年、タイ国王の重要演説。先ず自給自足し身の丈にあった暮らしを作ることを奨励。自分たちで食べる米を作ることを奨励。タイ政府は昔ながらの農法を奨励し始めている。
(ベトナム)
輸出米のメッカのアンザン省中心に異変。米作りの転換政策。転作計画を推進。エビ養殖や野菜に。米に見切りを付けざるを得ない状況。米価格が半値に低下。
ベトナム戦争後、灌漑設備を完備し、自給を達成したあとは80年代に国際市場に躍り出たベトナム。
VAC。庭、池、家畜の頭文字をとってVAC農法とよばれる農業がベトナムで広がりつつある。米だけに頼るのではなくではなく、米ぬかで池の魚を養い、池の魚やアヒルの糞などで肥料を得、それで果樹を育てる。果樹や魚を売って米収入に加える。
ほとんど自給状態でコストをかけずに農業を営んでいる。それで農家が収入も増え、安定して農業を営めている。
(インドネシア)
70年代以降の近代農法が転換。ジャワ州で変化。マングンサリ村。全ての農家が自然農法に変わった。10年前のスコという一人の取り組みから変わった。クモ爺さんとよばれる人物の取り組み。自宅で蜘蛛を飼い、交尾産卵させる。クモは稲の害虫の天敵。年間10万匹のクモを育てて、頼まれては田んぼに放つ。大きくなると蜘蛛一匹で10匹のウンカを食べてくれる。
近代農法に比べて、コストのかからない伝統農法。かえって儲かる。隣村でも自然農法の会ができた。20代から30代の若者の勉強会。経済危機で都会から戻ってきた若者中心。
堆肥をバクテリアを使って促成製造、といった工夫をしている。単に元に戻るだけの近代の自然農法ではない。
デリンゴという薬草から作る「農薬」を自分でつくって田んぼの状態にあった「手作り殺虫剤」を使っている。ウンカだけを殺し、クモや魚は死なない自然の殺虫剤を知っている。マングンサリ村の農家500世帯全体が自然農法に変えた。
インドネシア政府も自然農法重視に姿勢を転換。
ゴトン・ロヨン=日本の結(ユイ)に相当。家の建築、農業施設の整備を皆で力を合わせて行う伝統も復活。人と人の絆がいっそう深まり、村の伝統行事の復活。
(韓国)
一万羽のアイガモ。ジュ・ヒョンロさん41歳。9年前に日本の農家にアイガモ農法を教えてもらう。アイガモ放流会にソウル市民が駆けつける。
身土不二(シントブリ)体と土は一体でかけがいのないもの。これが今韓国で広がっている。韓国人は多少高くてもこういう農法で作られた米は買う。
農林部長官キン・ソンフン長官(当時)。大学で農産物の安全性を研究していた学者。「身土不二」=自分自身の体と土は一体である、「農都不二」=農村と都会は一体、との考えの下で、大きく「近代農法」から梶を切っている。シントブリという言葉を広めた人物でもある。この人事は化学肥料業界や化学薬品業界とはだいぶもめた。97年には環境農業育成法を成立させ、政府も本腰を入れて取り組んでいる。
ソウル1,100万人の水瓶パルタン湖。この水源を始め、全国の水源地で2003年以降農薬化学肥料を一切使用不可、という政令を政府が布告。農家もこれを受け入れている。パルタン湖が農薬で汚染された際に、都市の問題は農村の問題であることを国民的に共有した。
農協も家畜の糞を堆肥化、有機肥料を製造販売するようになっている。化学肥料や農薬が売れなくなり農協の経営問題にもなりかけたけれども、有機肥料を製造販売することで、農家が必要としているものの生産販売に経営」資源を転換している。
若い人が農業に目を向け始めている。ジュさんの息子と娘も父親の後ろ姿を見て農業に進むことを考えている。アイガモ米は経費がかからない上に、3割も高く売れる。農業に希望がもてる。
(日本農業の経済性重視を咎める熊本大学教授)
「農」=「農業、環境、暮らし、家族」をトータルでとらえていたもの。農が経済問題としての農業だけに限定されたことが間違い。日本は韓国よりも早い段階で同様の問題に直面した。その時に日本の農業政策は、農業の経済性重視に引っ張られすぎた。アジアの動きは昔のアジアらしさを取り戻す動き。国民的な、農、国土を守る動きがアジアには出始めている。ヨーロッパ、アメリカ型のやり方とは異なる動きで注目される。
(「農」の再評価による地域再生)
以上、「アジア米はどこに行く」は、農薬と化学肥料によりアジアの国土が汚染され、土壌はやせ、水源地が危うくなっており、かつそれを乗り越えるために更に農薬や化学肥料を使い悪循環に陥っているが、それに対してアジア各地で旧来の農法に戻り、自然の資源を大事にしていこうという動きが出ている、という特集であった。
熊本大学の徳野貞雄という教授が巨体を振りながら熱っぽく語っておられたが、経済のグローバリズムに対抗する理念である農土不二・農都不二を国民が支持していくような時代が必ず来ると思える。
インドネシアでは経済危機で若者が農村に戻り、この自然農法に意欲的に取り組んでいる。自然農法は農村地域の活性化にも繋がっている。
私も、農山村地域を多く抱える自らの選挙区を訪問する中で、「農」を再評価し、農村社会を元気にすることが日本においても地域再生のカギだと確信するに至っている。
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