「性差医療と女医の活用」

 少し前に千葉県立東金病院副院長(当時)の天野恵子医師による「統合医療研究会」という勉強会に夫婦で参加したことがある。「更年期以降の男女の健康」という演題のもとに、性差医療、ガン、動脈硬化、心臓病などについて、最新の研究成果を元に分かりやすく解説していただいた。

 この勉強会を企画された関口守衛医師の司会の元に講演は始まった。長く東京女子医大の循環器専門医を務められ、その後信州大学医学部教授をされておられた関口医師は、西洋医学とともに東洋医学の知識の蓄積を生かし、両者を統合した医療を研究し、患者のためになる医療の在り方を目指しておられる方である。

 天野医師からは、男女で医療の在り方には大きな差があるものの、これまでは男性の症例を元に医療が組み立てられてきたために、女性にとってはピッタリとした診断というものが行われない憾みがあり、それを打開するために、男女の性差に着目した医療が最近やっと産声が上がり、急速に普及しつつある、というお話が先ずあった。天野医師は、1990年代に米国で始まった性差医療を日本に紹介し、自ら「性差医療・医学研究会」という学会を立ち上げられた日本におけるこの分野の第一人者である。

 男性ホルモンと女性ホルモンの違いで男女の病気には大きな違いがでるという認識が大もとにある。女性の場合はエストロゲンという女性ホルモンが、更年期にかけて急速になくなり、それが記憶力減退、骨粗鬆症、肝機能低下(悪玉コレステロールを処理する機能が低下)などに直接関係しているとのお話があった。

 それに対して、男性の場合は、アンドロゲンという男性ホルモンは、70歳くらいから徐々に減り始め、90歳になってほぼゼロになる、ということだ。したがって女性の場合のように40歳から50歳にかけて急速に更年期障害になることはないのだそうだ。

 ホルモン的に言えば、天野医師によれば、「男も女も同じ」、といえるのは、90歳になった人の場合のようだ。だから、ピカソが70歳で子供が出来たというのは、十分にあり得ることなのだそうだ。

 「健康寿命」に関して男女の差が大きいというデータの紹介もあった。女性の「健康寿命」が78歳を超えているのに、男性のそれは74歳を少し超えている程度だ。「健康寿命」というのは、健康で過ごせる年齢の長さなのだが、1950年から2000年までの50年間の男女の死因別推移のデータ紹介を見てびっくりした。胆嚢癌や腎疾患を除くと殆ど他の死因は男性の方が多い。胆嚢癌は女性ホルモンが死因に影響しているから女性が多いが、自殺、事故、肝硬変、胃癌、食道癌、肺癌など圧倒的に男性の死亡率が高いというデータだ。特に自殺は、女性の自殺の増減はさほど無いのに対して、男性は近年2.5倍に急上昇しているというデータであった。食道癌も男性は女性の5-6倍の死亡率を示している。

 自殺に関して言えば、天野医師によると、実は自殺未遂は女性が多いのだそうだ。女性は、いわば相手に対する当てつけのために自殺未遂は行うケースがあるものの、実際には死亡には至らず、男性はそうではないのだそうだ。肝硬変に関しても、男性の死亡率が高いのはC型肝炎が多いのだそうだ。胃癌もピロリ菌が原因といわれているが、どうも「男性は感染症に弱い」生物のようだ。

 女性は、通常は心臓病や脳卒中も高齢になってからしか発症しないとのこと。ケーキを沢山パクパク食べてもコレステロール値が高くならないのは、女性ホルモンの効能なのだそうだ。しかし、これも閉経前までで、閉経後は、女性ホルモンの分泌が止まると、一挙にコレステロール値が上昇するのだそうだ。

 このように、女性ホルモンに守られていない男性は、病気、事故、自殺などの率が高く、男性の平均寿命を上げていくのは女性以上に難しいのだそうだ。では男性陣としては何をすべきか、という処方箋になるが、タバコは吸わない、深酒をしない、ストレスを抱え込まないといった当たり前のことに行き着くようだ。

 どうも医師の目、それも女医の目から見ると、「弱きもの、汝の名は、男性」ということになる。

 天野医師が強調したのは、癌検診の必要性でした。糖尿病を早く発見するよりも癌の早期発見が非常に重要だ、ということ。肺癌に関しては、ラセンCTによるチェックが必要とのこと。胃癌は胃カメラでは胃の表面しか見られないので胃カメラと胃のエックス線撮影を組み合わせることが好ましいとのお話であった。胃カメラを2度やったら次の回は胃のエックス線撮影、といった組み合わせが適切なのだそうだ。肝臓は超音波検査、乳癌はマンモグラフィーを2年に1度。乳癌検診を米国では9割が検査を受けているのに日本では3割しか検査を受けないそうだ。乳房の小さい日本人女性は検査時に痛みを感じるのがその理由の一つとも言われているが、乳房のエコー検査がこれに代替できるの?ωで嫌がらずに受けるべきだという話であった。腫瘍マーカー検査は前立腺肥大用。

 一方でコレステロールの値に過度に反応すべきではないとのお話もあった。男性の場合には、コレステロール値が高い人は心筋梗塞による死亡率が高くなるが、一方で、コレステロール値が低い人は癌による死亡率が極めて高いとのデータの紹介があった。欧米人と異なり、日本人の場合は癌の死亡率が圧倒的に高いということを考えると、コレステロール治療に関しては、過度にわたらないことが求められるとの見解であった。

 自治医大の磯教授の研究では、「日本人の心筋梗塞の罹患率は欧米の1/5以下であり、薬物療法による冠動脈疾患の一次予防効果は非常に少なく、薬物療法の効果が少ない対象者に薬物療法を行う場合には、治療効果より薬剤の副作用の影響が上回ることのないか十分に考慮しなければならない」とのことだそうだ。「心筋梗塞の既往のない血清コレステロール値240mg/dlの高脂血症患者では、心筋梗塞の発症を一人予防するために、男性で約1.3億円、女性では5.3億円の薬剤費が必要となる」との推計を行い、「薬物療法は、糖尿病、高血圧肥満、喫煙、家族歴などの他の危険因子を考慮のうえ、より高リスクなものに限って行うべきと考えられる」との見解の紹介もあった。

 これからは医療の無駄を省くためにも、一人一人の症状を見極めて、それぞれに適合した医療が求められている。実証データに基づく医療という意味で「Evidence Based Medicine」という言葉が最近日本でも一般化しつつあるが、コレステロール治療の例などはまさにその通りなのであろう。天野医師によれば、米国では更に進歩し、「Narrative Based Medicine」という言葉があるのだそうだ。よく患者の話を聞いて、患者個人を大事にする医療、という意味である。

 性差医療という概念は、男女を区別しない医療から男女の性差を踏まえた質の高い医療を目指すものであるが、「Evidence Based Medicine」、「Narrative Based Medicine」も考え方としては同じものであり、これにより、ピンポイントの医療行為が可能になり、将来の医療の無駄も節約できるということになる。

 高齢者医療の在り方も問われている。体のあらゆる臓器がガタガタになり、個人のコンディションにあわせた統合医療が求められる中で、漢方薬の有用性についても天野医師から解説された。漢方というと、遅効性ばかりが強調されていますが、すぐに効く漢方薬が結構あり、天野医師はそれを処方しているのだそうだ。実体験に基づく漢方を推奨する本も書かれ、漢方医学界から、「漢方のジャンヌダルク」と呼ばれていると苦笑しておられた。

 講演会の最後に、天野医師から、女医の活用が必要だとの話があった。現在は医師国家試験の合格者の33%が女性、医学部入学者の4割が女性である。その女医さん達が、出産、育児などで医療現場から遠ざかり、現場復帰を思いとどまることは大きな社会的損失だ。天野医師は全国の女医さんに、「あなた達でないと出来ない医療をやろうよ。それが武器になるのよ。」と呼びかけているのだそうだ。女性医療などはまさにその典型だ。

 女医確保へのバックアップ体制も出来つつあるようだ。医師会が女医向けの優秀なベビーシッターを確保している例があるそうだ。出産育児で現場から遠ざかり、最新医療水準に追いつけない事態を避けるため、女医の再教育の機会を確保するなどの取り組みも始まっている。女医はお金を払ってもそういうサービスがあれば現場に復帰する気は大いにあるのだそうだ。天野医師も優秀なベビーシッターに巡り会い、女の子を3人優秀な社会人に育て上げている。そのうちの一人を以前私が旧自治省に採用した経験もある。

 医療を巡る課題の一局面を垣間見ることができる機会であるとともに、結婚して25年近くが経つが、夫婦でこうした講習会を受けたのは良い勉強になった。これからの人生をお互いにいたわりあって生きていくための基礎知識を得ることができたと二人で納得しあえた一瞬であった。


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