「大鵬の肖像画が結ぶ北方領土とウクライナ」
〜極東移民史と現代戦争の交点〜

1:大使館の壁に掲げられた一枚の肖像画
 近年、私は在日ウクライナ大使館を訪問する機会が多くなっています。 そのたびに、応接間の壁に掲げられた一枚の肖像画の前で足を止めます。 そこに描かれているのは、昭和の大横綱・大鵬幸喜です。
 日本の国民的英雄である大鵬が、なぜウクライナ大使館に顕彰されているのでしょうか。 その理由を知る人は多くありません。 大鵬の父 マルキャン・ボリシコ は、ウクライナ東部ハルキウ州の出身であり、ソ連の政治弾圧を嫌って日本統治下の南樺太へ亡命した人物でした。
 私はこの肖像画を見つめながら、 「北方領土問題とウクライナ問題は、実は一本の線でつながっている」 という感覚を覚えました。
 この直感は、私自身が2024年2月に戦時下のキーウを訪れた体験によって、より強い確信へと変わっていきます。

2:キーウ訪問が開いた“歴史の扉”
 2025年2月、私はウクライナ復興支援の調査のため、敢えて戦時下のキーウを訪問しました。 空襲警報が鳴り響く街で、キーウ駅のシェルターに身を寄せる人々の声を聞き、破壊された建物の前で立ち尽くす市民の姿を目にしました。
 そのとき私は、 「ウクライナの戦争は、単なる遠い国の出来事ではない」 と強く感じました。
 キーウの人々は、私が日本から来たことを知ると、 「日本は北方領土でロシアと向き合っている国だ。あなたたちの経験と屈辱は、私たちの戦争と根源でつながっている」 と語りました。
 この言葉は、私の中で大鵬の肖像画と結びつき、 日本・ウクライナ・ロシアの三者関係を“歴史の連続性”として捉える視点を開いてくれました。

3:ポーランドで聞いた避難民の声
 キーウ訪問の2年前、私はポーランド・ワルシャワでウクライナ避難民の実情を聞き取る機会を得ました。 そこで出会った母子家庭の多くは、 「夫は戦地に残り、子どもと逃げてきた」 「眠れない日が続く」 と語りました。
 その声は、戦争が人々の生活を根底から奪う現実を突きつけました。 同時に、彼らの故郷の多くが、大鵬の父が生まれた ハルキウ と同じ地域であることにも気づきました。
 私はその瞬間、 「大鵬の父の故郷を襲った戦争の痛みを、私は今、避難民の声として聞いている」 との思いに襲われました。
 このワルシャワ訪問の際、私はアウシュビッツにも足を運びました。 歴史の暗部を象徴するその場所で、戦争が人間の尊厳を奪う構造を改めて胸に刻みました。 その体験は、ウクライナ避難民の声と重なり、現在の戦争が過去の悲劇と地続きであることを強く意識させました。
 歴史は過去の出来事ではなく、今も続いている“現在進行形の物語”であることを実感しました。

4:朝日村のビーツを大使館に届けるという行為
 こうした体験を経て、私は長野県朝日村で栽培されているビーツをウクライナ大使館に届ける活動を、地域の皆様に勧めました。 ビーツはウクライナの郷土料理ボルシチの主要食材であり、避難民の方々にとって“故郷の味”を思い出す象徴でもあります。
 大使館の職員は、 「これは単なる食材ではなく、心の支援です」 と語りました。
 大鵬の肖像画の下で、ウクライナの食文化と日本の地域資源がつながる光景を見たとき、私は、 「歴史の交錯は、外交や戦争だけでなく、人と人の小さな行為の中にも存在する」 と感じました。

5:極東へのウクライナ人入植と北方領土の歴史的構造
 こうした個人的体験は、帝政ロシア・ソ連期のウクライナ人の極東移住史を読み解く上で、新たな視点を与えてくれました。

(1)帝政ロシアの極東移住政策
 19世紀後半、ロシア帝国は極東の人口不足を補うため、ウクライナ・ベラルーシ・中央ロシアから農民を大量に移住させました。

(2)ソ連期の強制移住とホロドモール
 1932〜33年の大飢饉(ホロドモール)は、ウクライナ人を極東へ移住させる圧力となりました。

(3)樺太・千島への入植
 樺太北部は流刑地として利用され、ソ連期には軍事拠点としてウクライナ人が配置されました。
 この歴史的流れの中で、大鵬の父マルキャンはソ連の政治弾圧を逃れ、日本統治下の南樺太へ亡命しました。
 キーウで見た破壊された街並み、ポーランドで聞いた避難民の声、大使館で見た大鵬の肖像画。 それらはすべて、 「ウクライナ人が歴史の中でどのように移動させられ、どのように生き抜いてきたか」 という大きな物語の断片でした。

6:北方領土問題とウクライナの立場
 ウクライナ政府は2022年以降、 「北方領土は日本の領土である」 と公式に支持しています。 ウクライナにとって、クリミア半島や東南部地域がロシアに不法占領されている現実は、北方領土の状況と重なって見えるのです。
 一方、その北方領土を管轄するサハリン州知事 ヴァレリー・リマレンコ は、皮肉にもウクライナ・ハルキウ出身です。 彼はロシア国家の忠実な行政官として、プーチン大統領の択捉島訪問に同行し、ロシアの対日強硬姿勢を支えています。
 自らの出身地域がロシア軍の攻撃で甚大な被害を受け、そのウクライナが日本の領有を支持している北方領土を管轄する立場にあることを、彼がどのように受け止めているのか。 その本音を聞いてみたいと思うことがあります。
 キーウで見た戦争の現実と、北方領土で進むロシアの軍事化。 その二つは、 本音を押し殺し、機械的に不法行為を押し進める「ロシアの帝国性」 という一本の線でつながっていると感じます。

7:復興プロジェクトへの参画と歴史の連続性
 現在、私はウクライナ復興プロジェクトに関与し、被災者支援の観点から日本の災害対応技術をウクライナへ届ける取り組みを進めています。 戦争が収束し、復興が本格化する時点での対応を想定し、準備を進めています。
 キーウで出会った人々の声、ポーランドで聞いた避難民の苦悩、朝日村のビーツを届けたときの大使館の表情。 それらはすべて、 「歴史の交錯を、今を生きる私たちがどう受け止めるか」 という問いを私に投げかけています。

8:大鵬の肖像画が語りかけるもの
 大鵬の肖像画は、単なる相撲界の偉人の顕彰ではありません。 それは、 ウクライナ人が極東へ移住させられた歴史、ソ連の政治弾圧、日本統治下の樺太、北方領土問題、そして現代のウクライナ戦争 という、百年以上にわたる過酷な歴史の積み重ねを静かに語りかけています。
 そしてその前に立つ私は、キーウでの体験、避難民の声、朝日村のビーツ、復興プロジェクトの現場を通じて、 その歴史の交錯を“自分自身の物語”として受け止めています。

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