「山の日が「祝日」になった本当の意味が見えてきた」
〜第10回山の日記念式典(岐阜県高山市)に参加して感じたこと〜

 2026年も山の日を迎えました。岐阜県高山市で開かれた第10回山の日記念全国大会に参加し、私は改めて「山の日が祝日として制定された意味」が、この10年でようやく輪郭を持ち始めたと強く感じました。

1:10回目の式典が示した“山の価値の総合化”
 今回の式典は、単なる記念行事ではありませんでした。江崎岐阜県知事の肝いりで政策提言まで行う内容の濃さに、山の日が「文化的祝日」として成熟してきたことを実感しました。

江崎禎英岐阜県知事
 山の資源を活かしたエネルギー自立(バイオコークス)という具体策を提示し、林業家として「間伐された山は火災が広がらない」という現場知を語る姿は、山を“産業と安全保障の源泉”として捉える新しい視点だと感じました。

田中明高山市長
 高校登山部出身らしい「山に登る人に悪人はいない」という伝承は、山が人の心を整える場であることを象徴していると感じました。

若い世代の取り組み
 飛騨高山高校の混淆林造成、長野麻子さんの「一社一山」、三宅佳奈恵さんの森林再生、林千晶さんのデザイン思考による林業再生、井上博成さんの地元での大学CoIUの創設など、山と森林の可能性を未来へ開く実践が次々と紹介されました。

これらの取り組みは、山の日が「山をめぐる価値を総合的に語る場」として機能し始めていることを示しています。

2:山の日が祝日化されたことで起きた“意識の転換”

 私は第1回(松本市)から毎年式典に参加してきましたが、山の日が日本で16番目の祝日として制定されたことは、日本人の山への思いを研ぎ澄ませる契機になったと感じています。

@ 山は「生活の背景」から「意識的に向き合う対象」へ
 祝日化によって、山は単なる風景ではなく、国民が年に一度“意識的に思いを寄せる対象”になりました。
 海の日と同様、自然との関係性を国家的テーマとして扱う象徴的な意味を持つようになりました。

A 山岳文化・信仰・産業・観光が一つのまとまりに
 祝日化以前は、登山・林業・観光・信仰などが別々の領域として扱われていました。
 しかし山の日は、それらを「山という総合的価値」として結び直す役割を果たしました。

B 山岳都市・高山市の象徴性
 霊山信仰、森林文化、観光資源、山に囲まれた生活圏。
 高山市は日本の山岳文化の縮図であり、ここで10回目の式典が開かれたこと自体、山の日が文化的祝日として成熟した証拠だといえます。

3:日本人の山への思いが「研ぎ澄まされた」と言える理由

精神文化の再認識
 山は古来、神域・修行の場・境界として特別視されてきました。その文化的記憶が祝日化によって再び語られるようになりました。

自然との距離感の再調整
 都市化で山が「遠い自然」になりつつありましたが、山の日はその距離を縮める役割を果たしました。

産業・地域の価値の再発見
 林業、観光、環境保全、山岳救助など、山に関わる産業が政策的議論の対象として浮上しました。
 これらは、全国山の日協議会が長年取り組んできた産業振興や地域政策とも自然に接続しています。

4:10年を経て見えてきた「山の日の本質」
 山の日は、単なる祝日の追加ではありませんでした。
 日本人の自然観・文化観・地域観を再構築する装置として機能し始めています。

山への思いを社会的に共有する日
山の価値を総合的に語る場
山岳文化を未来へ継承する契機
山をめぐる産業・地域政策を前進させる触媒

 こうした役割が、10年の積み重ねの中でようやく明確になってきました。

5:山の日は「研ぎ澄まされた自然観」を取り戻す日へ
 高山市での第10回式典は、山の日が文化的祝日として成熟したことを象徴していました。
 山への思いを研ぎ澄ます日――その言葉は、山の日が果たしてきた役割を的確に捉えていると感じます。

 山の日は、これからも日本人の自然観を未来へつなぐ大切な節目であり続けることを期待し、それが適切に引き継がれるように全国山の日協議会も果たすべき本来の役割を認識し奮闘努力が求められます。

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