「“旅に出ない若者”の将来を憂う」

〜義務教育段階で「都市と農村の子どもの交流」を位置づける意義〜

 私は、地域再生のためには都市と農村の子供の教育交流がとても大事だと思っている。その体系的実施に向けて政治の立場からも支援していきたいと思っているが、数年前に飯田市職員で井上弘司さんという飯田市の農業体験型修学旅行を体系化された観光カリスマのお話を伺った事があった。農業体験型修学旅行というプロジェクトを手掛けられた実感のこもった話に心を打たれた思いがした。

 以下そのさわりをご紹介する。

・受け入れ側の問題が大きく、行政と住民との間のミスマッチを解消し、持続するシステム作りが必要だ。
・人材が不足している。NPOも資金難のため商業活動のようなことをやらざるを得ない現実がある。このあたりを支援してNPOが本来やるべきことをできるようにすることが必要だ。
・最近の「ワーキングホリデー」の登録者を見ると、団塊の世代と20代の女性が増えている。こういう潮流をきちんと捉えながらやっていきたい。
・地域資源を使いながら子どもたちを育てていくという方法を「地育力」と呼んでいるが、これは地域内だけでなく、都市と農村に置き換えてもできることだと思う。
・農家民泊は、現在500軒ほど登録している。現在は一泊だけだが、それは既存のホテルや旅館との共存を考えてのことである。一泊は農家、残りはホテル。色々なところへ泊まっている。たった一泊でも都市の子どもたちにとっては衝撃の体験となっている。
・それだけ農村の持つ人の抱擁力は大きい。一度体験するとまた戻ってくる人もおり、定住促進にも資するのではないかと考えている。
・農家民泊は食育の面で大変大きな効果があり、偏食がなくなったというような話はよく聞く。
・地域の人たちの力を使えば学力を落とさずに総合学力を養うことができる。ゆとり教育は良い理念だが、学校の先生が自分たちで抱え込んで対応できなかったのではないか。そもそも先生たちで平日以外は活動する人はいない。
・教員は三年ほどで場所が変わってしまうので、地域愛が十分に育たないのかもしれない。

 ところで、井上さんからは、奈良・京都への修学旅行と違って、飯田に来た子は帰りのバスで子どもたちが寝ないという特徴があるというお話も伺った。その興奮は家に戻ってからの家庭に持ち込まれ、子どもが親と話をするようになるのだそうだ。親子の会話にとっても、切っ掛けとして体験旅行は非常に有効である。

 井上さんの話に加え、実際に農家民泊で子供を受け入れている農家を尋ねた。飯田市の上久堅地区の農家の中山二一さん宅であった。家の前の田んぼの田植えが終わったばかりで、ちょうど、千葉県の女子中学生が4名、ホースで苗代の上にかぶせてあったビニールの掃除の最中であった。

 中山さんの家に上がりこんで伺った以下の話もまた心に沁み入る話であった。

・農家の高齢化で、民泊の受け入れ回数は徐々に減ってきた家が多い。
・大阪府枚方市の中学生は後日手紙をくれたり、千葉県八千代市の中学生は夏休みに再び訪れてくれたりしている。
・親を見れば子どもがわかるのと同様、指導の先生を見ればその学校の生徒の質は分かってくる。教師の質の確保は子供にとって極めて重要だ。
・地元の子どもはかえって農業を手伝わない。機械化により、手伝う用がなくなってしまった。便利になったことがよかったのか悪かったのか。

 この話に関連し、東京でJR東日本で観光交流の企画を手がけてきた曽我治夫氏のお話を伺う機会もあった。曽我さんの話では、最近、「青春18切符」が若い人に売れないのだそうだ。一時の1/3から1/4の売り上げしかなく、この切符はもっぱら60歳過ぎの中高齢層が活用しているのだそうだ。

 「旅に出ない若い日本人」が増えていくわが国の将来はチャレンジ精神が失せるようで何とも心許ない。「かわいい子には旅させよ」、という格言の今日的な意味を問い直さないといけない。その切っ掛けとして都市と農村の教育交流が重要な位置づけとなる可能性を感じる。

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