〜子育てにおばあさんを活用する政策提言〜
2月27日、長野市内である団体の30名ほどの皆さんとの対話集会があった。その中のやり取りの中に、若い女性の子育てにもっと地域のおばあさんに参加してもらうようなことが必要ではないか、との提言があった。その発言を伺い、ふと、以前国際日本文化研究センターの川勝平太教授が総合開発研究機構(NIRA)の政策研究誌に面白い論文を書いておられたことを思い出した。
それは「第3のパクス・ヤポニカの可能性」という論文であった。比較文明論が専門の川勝教授の発言には私も日頃から注目しているが、少子化対策を歴史的視座に立って提言しておれられたことに新鮮な興味を持った。
川勝氏によると、日本の場合、逆説的ではあるが、戦争の時代、社会混乱の時代には人口が増え、社会に平和が戻り生活が安定すると今度は増加率が急減し、やがて人口が安定化するのだそうだ。
弥生時代の日本の人口は60万人。奈良時代は450万人。平安初期は550万人。それから更に100年たった平安前期には640万人まで増えたものの、平安後期になっても人口は680万人にとどまり、900年から1150年の250年間は「人口微増」なのだそうです。弥生から奈良時代の人口急成長期を経て、10世紀、12世紀へと人口成長は鈍化し停滞期になっていったのだそうだ。その後、人口は再び増加に転じ、保元・平治の乱、源平合戦、鎌倉幕府、南北朝の乱、戦国時代と続き、江戸時代初期に至るまで人口が増え、江戸初期には1,200万人となり、江戸中期には3,100万人に達したようだ。江戸時代の最初の100年はまだ暴力行為を社会がコントロールできていない時期と考えられるという認識であった。その人口増が、暴力行為が社会から消えた江戸中期以降に止まり、明治初期でも3,300万人と、150年間で人口は微増にとどまったとのことだ。
このような人口動態のマクロ的な経緯を振り返り、川勝教授は、戦争の時代、社会混乱の時代には人口が増えるが、社会に平和が戻り生活が安定すると今度は増加率が急減し、やがて人口が安定化する、という仮説を立てておられる。
この傾向は明治以降も同様で、明治から太平洋戦争までの激動の時代に、1900年の4,000万人が、太平洋戦争時には8,000万人に増え、戦後復興、高度成長を経て人口は1億人に達した。そして、高度成長も終わって安定期にはいると、出生率が低下を始め、遂に合計特殊出生率は1.3を切っている。
川勝教授は、平和な時代には、女性の社会的意志が働きやすく、社会が不安定であったり、ましてや戦争となると、女性は力を発揮しにくい、とし、平安後期と江戸後期に人口が安定したのは、女性の社会的意思の表れだったと判断されている。平安後期にはたおやかな女流文学が生まれ、江戸後期には、間引きを始め人口調節を女性が行っていたということを証拠に挙げておられる。
さて、そのことを前提に、現代の日本の少子化問題に関し、女性の社会的意思がどのように働くのか見極めが重要と指摘されておられる。そして、現代の女性は、仕事と子育ての両立で悩み、その悩みを克服出来さえすれば、「統計的趨勢」は変えられると予測しておられる。
その上で、事実婚の社会的認知、婚外子の差別撤廃と並び、「おばあさん」の効用を課題として挙げておられる。長谷川真理子教授や松井孝典教授の唱える説に、「おばあさん仮説」というものがあるのだそうだ。哺乳類のメスは子供を産めなくなれば例外なく死ぬ(ペットなどの人間の手の入ったほ乳類は除く)が、現世人類にだけ「おばあさん」という更年期を過ぎて子供を産めなくなった存在がおり、現世人類が人口を増加させることが出来たのは、若い女性が出産や子育てをする上で、その経験を持つおばあさんの存在が大きかったという仮説なのだそうだ。
桃太郎、竹取物語、一寸法師などおばあさんが自分の身内でない子供を育てる昔話があり、実は、おばあさんの存在は現世人類が誇りうる存在だと、結論づけている。
保育園で若い保母さんに加えておばあさんを活用する方策により出生率向上を果たし、人口を定常状態に戻すことにつながる、という面白い発想になるほどと思った次第である。
長野市の対話集会で川勝氏の所論を裏付ける提言を頂戴し、これは真剣に政策化する必要があるかもしれないと思えてきた。
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