1月10日、ワルシャワの在ポーランド日本大使館を訪問し、河野晃大使、田島晃参事官、丸山史康二等書記官と面談しました。我々は、我々自身のウクライナ復興支援に向けての思いを伝え、ウクライナの復興支援に対し、隣国のポーランドから見た支援についての見方を伺いました。
我々からは、今回の訪問の目的は、ウクライナの復興時に役に立つであろう支援機能の一つとして、最近能登半島地震の被災地で注目されているトレーラーの活用、それも自律分散型浄水機能を備えた最新トレーラーハウスが有効であることを情報共有し、併せて戦時下のウクライナにおける地下シェルターの現状についてお話を聞くための訪問であることをお伝えしました。
河野大使からは、ロシアによるウクライナ侵略が始まって以来、累計で1000万を超える避難民を何らかの形で受け入れ、現在でも100万人規模の避難民がポーランドに避難している実態を伺いました。人口が3800万人のポーランドにとっては考えられない規模の支援です。当初は、ポーランド人の各家庭に滞在する形も多かった避難民ですが、戦争が長期化するにつれ、アパートや避難所で暮らす人も多くなっており、生活支援が課題となっているというお話も伺いました。避難民の子供たちはウクライナ本国からのリモート授業を受けていましたが、2024年の秋の学期からはポーランドの公立学校に編入しポーランドの子ども達と共に授業を受けるようになったとの話も伺いました。言葉の問題、学校の教師の負担など新たな問題も生じているとのお話もありました。
歴史的にロシアに虐げられてきたポーランド人の間では今回の戦争被害を受けているウクライナ人を助けたいという気持ちが強く、多くのポーランド人の自宅で避難民を受け入れる対応が行われてきている、しかし戦争の長期化でそれが負担になっていることも事実である、一方で経済成長を続け労働力不足に悩むポーランドでは避難民の労働力が貴重な資源になっており、結果的に経済の下支えの機能も果たしており、大量の避難民が帰国する時のショックはそれなりに大きいとの見方も示されました。
ウクライナと国境を接するポーランドでは、ウクライナとの密接な交流の実績もあり、ウクライナの国情(汚職文化)もよく理解しているという実態があり、ウクライナの復興支援の際にもその前線基地となることが見込まれ、支援に入る日本企業もポーランド企業との連携によりこれを行うことの検討もできるのではないかとの指摘もありました。
日本と異なり、手持ちの兵器をウクライナに譲渡する形でポーランドへの軍事支援も続けるポーランドは、国民の多くが国防費の増額に理解を示しており、2024年の対GDP比で4.7%という高い比率を実現しているが、これもロシアに対する伝統的不信感の表れであるという見解もありました。ポーランドでは、旧ロシア、ソ連時代から独立を目指す蜂起が相次ぎ、放棄した国民はシベリア流刑になり、そこで日露戦争などの戦争に徴兵され、例えば日露戦争時には、ロシア兵として日本軍と戦いながらも日本に同情的で、戦争の意義を感じない兵士は「マツヤマ、マツヤマ」と言って投降した経緯もあるとの話を奥さんがポーランド人の田島参事官から伺いました。マツヤマとは松山市のことで、ここには日露戦争時に捕虜収容所があり、国際条約に沿った適切な捕虜対応がなされ、ロシア兵の間では「憧れの地」と映っていたという歴史の挿話も伺えました。
河野大使の話によると、ポーランド人は、日本人と似て、真面目で勤勉で我慢強いところがあるのだそうです。欧州の中では低賃金、二次産業に従事する国民も多く、地道に国の発展を支えているようです。昔は西欧への労働力供給基地であったものが、最近では自国に留まって働く人が増えているようです。これは非常に良いことです。在ポーランドの日本人は現在2000人程度のようですが、両国の交流もこれから進展していくことが期待されます。ウクライナ復興支援もそのきっかけになるかもしれません。2024年には長野県坂城町とワルシャワ郊外のツェレスティヌフ郡との友好協力関係が締結されたというお話も伺いました。自治体間の交流もその重要な手段です。
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