2025年1月17日は阪神大震災発災から30周年の日です。私は当時38歳で、旧自治省税務局の課長補佐として勤務していました。たまたまイタリア出張の折の発災で、ローマに飛び立ち、到着後、とんぼ返りで帰国し災害対応に当たったという苦い記憶があります。私と税務局企画課で隣同士で働いていた大西秀人課長補佐(現高松市長)が復興本部に出向になり、私は税務局で彼の分の仕事もすることとなりました。当時は国土庁防災局が災害対応のコントロールタワーでしたが、その組織は脆弱で、平時を前提に人員配置も行っており、結局大災害時には災害関連業務と関係のない部署の人を急遽集めて対応組織を立ち上げ災害対応に当たらせるという「伝統」があるのです。
阪神大震災発災までは、日本は地震の静穏期にあると言われていました。阪神大震災を機に、日本は大地震の頻発期に入ったと指摘した地震学者がいましたが、東日本大震災、中越地震、熊本地震、胆振東部地震、能登半島地震と続く地震の系譜を振り返るにつけ、その感を強くしています。そしてこれからは東京直下地震、南海トラフ地震が控え、これらは国難級地震とも称されています。
私自身は、阪神大震災時には公務員として間接的な防災対応に止まりましたが、その後、茨城県庁総務部長時代のJCO臨界事故対応、総務省消防庁防災課長時代、安全保障会議事務局参事官時代に国民保護法制の制定担当、神奈川大学教授時代に東日本大震災ボランティア支援に従事する機会がありました。代議士となってからは内閣府政務官(防災担当、国土強靭化担当)、内閣府副大臣(原子力防災担当)といった政治の立場で政府の一員として様々な防災対応を行ってまいりました。また、一代議士としては、災害時の被災者を迅速に迎える避難施設としてトレーラーハウスの本格的活用を主張し、能登半島にもその導入を推進すべく行動して参りましたが、漸く政府でも本格的に取り組む姿勢を表明するに至っています。その中で、私なりの防災、国土強靭化に対する問題意識を持ち続けてきました。
我が国の災害経験、予測を前提に、更なる災害対応体制を早期に構築していかなくてはなりません。課題は山積しています。予算人員の制約を理由に、対応の難しさを指摘する人々もいますが、これは発想が逆です。事前の準備、対応を行っておけば生じる被害が抑えられ、結果的に財政支出も抑えられることになるのです。防災庁の設置に向けての動きが加速していますが、政治的にリーダーシップを発揮して対応した結果を私は評価しています。
各論についてですが、課題を一つ例示します。自衛隊の積極的活用についても様々な課題を解決することが求められています。阪神大震災時には、地元の自衛隊アレルギーの為に地元から自衛隊派遣要請がなく、自衛隊も自主派遣をためらった結果、迅速対応に支障が生じたとの反省がありました。現在では自衛隊の自主派遣の判断基準が明確化されるといった改善も行われてきました。しかし、自衛隊の活動に関しては、まだまだ様々な制約が残っています。その一つが、自衛隊の地方空港活用です。
東日本大震災時に、私は衆議院選挙に立候補して落選していましたが、国や県に、岩手県の花巻空港に松本空港から自衛隊機を使って支援のピストン輸送を提案しましたが、一顧だにされませんでした。能登半島地震の際にも、陸路での被災地への到達が難しい中、松本空港から能登里山空港への支援員、物資の輸送を提案しましたが、これも実現しませんでした。
実は、松本空港開設時の地元との協定があり、「軍事利用はしない」と書かれているのです。自衛隊が軍隊かどうかは様々な解釈がありますが、協定の運用上は軍隊だと解釈されているのです。その結果、災害時の自衛隊利用さえも「考えてはいけない」こととされてしまっているのです。他の地域で大きな災害があっても応援に使えない、逆に長野県で大きな災害があっても支援に自衛隊機が着陸できない制約を課してしまっています。一見正しい目標であるように響く記述が、安全安心を損なう結果をもたらしてしまっています。更に、協定上、発着便の制限、使用時間の制限も厳しく、その見直しを地元に提案するとすれば、長い時間をかけて協議しなければならない運用になっています。地元協議とは言っても、事実上、地元の同意を取る扱いになっているのが現状で、使い勝手の悪い空港としての評価が定着してしまっています。長野県や松本市の空港担当者に問題意識を伝えると、地元を刺激するようなことは言ってくれるなと困った顔をされる始末です。
こうした制約は、普段はともかく、災害時やその訓練時には制約を取っ払う改善も必要だと強く意識します。非常事態が生じてから対応を考えるのではなく、あらかじめその事態を想定して準備しておくことが大事です。
そして、何といっても、日本国憲法に非常事態が生じた折の政府の対応についての根拠規定が存在していないという事実にも目を向けなくてはなりません。非常時のことを憲法にも規定することで、日本の防災対策が更に前に進むものと思っています。それが、阪神大震災発災30年を迎えて思うことです。
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