「ロシア文学者が語るロシア人の「底無しの闇」」
〜プーチンの精神構造に迫る〜

 元東京外国語大学学長亀山郁夫さんはドストエフスキーの研究で知られています。その亀山先生が、ロシアのウクライナ侵略を理解する上で、ロシア人の精神性を作品に投影したドストエフスキーの考えを探ることが有用であると考えておられ、改めてドストエフスキーの長編を読み返しているという話を信濃毎日新聞の記事で拝読しました。

 ドストエフスキーは社会主義運動に参加して20代の終わりに逮捕され、4年間シベリアで監獄生活を送り、そこで様々な罪人と接し、個人として優れた精神性や知力を持っていても「底無しの闇」を内在させているというロシア人観を持つようになったというのがドストエフスキーのロシア人観に関する亀山先生の見立てです。

 ドストエフスキーの作品にはこうしたロシア人観が投影され、亀山先生は、「罪と罰」の主人公は「強者は弱者の権利をいかようにも蹂躙できる」という思想を育み、「悪霊」では革命結社内の殺人事件が描かれ、善悪の観念や法の観念の希薄さと「成り行き任せ」の精神性、つまり一種の運命論が読み取れると喝破しています。そして、このロシア人観は、ウクライナ侵略を続けるプーチン大統領の精神性にもつながると観察しています。

 私も以前報道で目にしたことがありますが、亀山先生はプーチン大統領のかつてのインタビュー「どうせ死ぬんだから、何をどこまでできたかが大事だなんだ」という趣旨の発言に注目しています。為政者が身勝手な論理により、「どうせ死ぬんだから」と、多くの人々を暴力に巻き込むのではたまったものではないと。

 亀山先生は、これまで肉親のような存在のロシアをかばいたいとの思いがあったのだそうですが、最近その思いを振り切り、純化された形でウクライナ戦争が見えてきたと語っています。ロシアがしていることは悪だとの認識に到達したとの心情の吐露はご本人にとっても重大な判断だったのでしょう。

 私の父親も若い頃、シベリヤ強制労働の憂き目にあいましたが、ロシア政府からは一言の謝罪の言葉もありません。北方領土不法占領も当然の権利のように振舞い続けています。同じ人間であるのなら、多少は良心の呵責を感じるのではないかと思ってきましたが、亀山先生のロシア人観の解説を伺うと、我々の常識で判断してはならない民族であるのだと、自分自身に言い聞かせないといけないのだと考えてしまいます。

 そして、ひょっとしたら、そのロシア人観は、日本を取り囲む他の近隣諸国にも通じるものがあるのではないかと思った次第です。

 ここまでくると、日本国憲法が、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と憲法前文で高らかに謳い上げ、崇高な理念に基づき平和主義を貫徹する規定を導入したことは、実は、我々自身の国際社会に対する認識が異常に甘く、事実誤認の前提の上で成り立っていると言わざるを得なくなります。ロシア文学者の深遠な観察は日本国の基盤形成の在り方に重要な意味を持つものと認識しました。

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