令和6年5月29日、四半世紀ぶりに食料・農業・農村基本法が改正されました。「農政の憲法」とされる基本法の改正は、食料安全保障の重要性への認識の高まりを踏まえ、食糧自給率目標に加え食糧安保に関する目標を新たに設定しその達成状況を調査公表する、食料の価格形成では「持続的な供給に要する合理的な費用」を考慮する、農業の環境負荷低減を新たな理念に掲げる、農業の持続的発展や地域社会の維持に向けた農村振興を理念として打ち出す、といった内容が基本法に付け加えられました。
改正法に賛成した政党は、自民党、公明党、日本維新の会であり、立憲民主党や共産党は反対に回りました。私は、内容的に反対する理由が理解できませんが、与野党を超えて、日本農業の将来に向けた建設的な姿勢を期待したいところです。
一方で、改正法成立を報じた日本農業新聞の記事の隣に掲載された王貞治氏のインタビュー記事が目に入ってきました。「野球が上手になるには苦労しなければならない。良いプレーをするには反復練習が欠かせない。農業も同じでしょう。土つくりから始まり、日々のしんどいことを乗り越えてこそ、良いものが出来る。消費者はそうした苦労を理解し、食への感謝を忘れないで欲しい。自給率を自分たちで上げるんだという気持ちを持ってくれたら農業に関わる人も多くなるだろう。今は消費者と生産者があまりにも離れ過ぎてしまっている。互いの立場をもっと理解し、感謝することが距離を縮めることになる」と語っておられました。
食糧安保が重要だと法律で書いても、日本人が自分自身でそれを実践する立場に立たないと、その理念は実現できません。王貞治氏は、スポーツと農業の相似性を引き合いに、生産者の苦労に対する消費者の理解の重要性を指摘しています。
農業において消費者と生産者を近づける発想を最近目にしました。宗教家で思想家の斉藤一治氏は、自身のSNSの中で、「一週間の半日だけでも、畑に入り、家族が食べる野菜だけでも栽培いたしましょう。「国民皆農」のお勧めです」と発信しておられます。
私もそのことに共感します。自分で農作物を作る経験のある人は、如何に農業が創意工夫を要するものであるか、手間をかけなくてはならないものかを知っています。前静岡県知事の川勝平太氏が恰も農業が頭脳を使わないで行える営みであるかのような発言をして辞職に追い込まれましたが、川勝氏も少しでも農業経験があったら知事を辞する羽目に陥らなかったのではないかと思うと、「国民皆農」は政治家にとっても大事な経験なのです。
農業を経験した人は、気候に左右される農業、作物同士の微妙な組み合わせで収穫に大きな差異が生じる農業、手間の割りに儲けが少ない農業、それでも手塩にかけて育てた作物が無事に収穫できたときの喜びが大きい農業、自分の育てた作物を友人や家族に食べてもらうことが喜びに感じられる農業を知っています。その農業者の気持ちが理解できれば、スーパーの店頭でできるだけ安く農産物を買いたいと思う気持ちを転換し、生産者の苦労に報いる感謝の気持ちを込めた買値に納得して頂けることが想定されます。フェアートレードの考え方は、何も先進国と途上国の間だけではなく、国内の消費者と生産者の間でも成り立つ考え方なのです。
そして、その思いは、できれば子どもの時分から身に付けるべき考え方なのです。私たちが幼少のころには、田植休み、稲刈り休みがありました。その時には、親戚の家に農業の手伝いに駆け付けました。今は、農業も機械化が進み、農家の子どもも農業に携わる機会がありません。危ないからと言って見物させられるだけです。王貞治さんが指摘する消費者と生産者の距離の拡大は、子どものころから始まっているのです。したがって、食糧安全保障の確保のためには、子どものころからの農業体験、農山漁村体験、自然体験が不可欠で、そういう仕組みの構築も政治の責任で実現していかなくてはなりません。
食料・農業・農村基本法の改正は、国民皆農、子どもの農業体験の制度化といったことまで視野に入れ、国民が自分事として取り組むきっかけとしていかなくてはなりません。
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