〜故諸井虔先生の遺言〜
私は2年ほど前まで、東京アメリカンセンター主催の定例の講演会に参加していた。その折に、ジョージタウン大学外交研究所所長のカシミール・A・ヨースト(Casimir A. Yost)氏から、民主党主導の米国連邦議会が当時の共和党政権との関係でどの様に外交政策に関わっていくのか、また、2008年の大統領選挙と今後の政治・外交に関する概括的な話を伺った。
講演のモデレーションを行った東大法学部教授の久保文明氏の解説によれば、ヨースト氏は、アカデミックな世界だけでなく、外交官として、また上院議員の外交政策スタッフとしてパーシー、ルーガー、マティアスといった穏健派共和党議員を支えてきた経歴の長い方で、米国の政治外交の勘所を知りつくしたプロだということであった。
講演の内容は、報道でしか知りえない米国事情を、インサイダーの観点から伺うことができ、大いに刺激になった。しかし、私にはその講演の内容以上に、ヨースト氏の履歴を伺い、上院の上級スタッフという履歴が特に印象に残った。モデレーターの久保東大教授が指摘されていたが、日本の国会と米国の連邦議会の調査体制・能力には大きな差があるとのことであった。
米国の連邦議会には、このヨースト氏のような政策顧問が沢山おり、連邦議員の政治活動を支え、結果として国会の機能の質量において彼我の差は決して小さくないように感じられる。
翻って、日本では、キャリア公務員の天下りの問題が大議論になっている。私は、識見のある一定水準のベテラン公務員は、出身省庁と縁を切って、国会の上級スタッフとして、国会議員を支える役割を付与すべきと予てから考えてきた。
実は、私が地方分権推進委員会事務局参事官として仕事をしていた頃、諸井虔先生(当時の地方分権推進委員会委員長)に随行し、岩手県に一日分権委員会で出張したことがあった。その折に、たまたま諸井先生から、新幹線の中で、上級公務員の退職後の処遇に関して所論を伺う機会があった。
諸井先生は、「官僚の天下りは本人にとっても社会にとっても余りよいことではない。地方分権改革が進まないのも、官僚がいつまでも出身省庁と縁が続くことに淵源がある。かといって官僚をずっとその役所に置いておくことも組織の活力の観点から宜しくない。そこで私は、国会の上級スタッフとして名誉ある処遇をすることが解決策になると思っている。キャリア公務員が長年の経験の中で培った知見を、天下国家の観点から生かすのだ。親元から切り離すことで親元への遠慮もなくなる。本人の名誉も保たれる。例えば、一人年収2,500万円で処遇。活動費を含めて3,000万円かかるとして、100人で30億円だ。500人でも150億円に過ぎない。1,000人を処遇しても300億円だ。これくらいの費用で今日の日本国が抱える多くの課題は解決する。国会の機能も飛躍的に高まるだろう。各省庁も先輩の面倒を見ることから解放され、自由な政策立案に専念できる。君、どう思うかね!」と語りかけられた。
私は、その時、「アメリカ並みの国会機能が実現しますね。そうなると役人も、専門分野を深めようと更に勉強しますね。しかし、日本の場合は、公務員の定員枠の管理が厳しく、この問題が大胆な制度改革の動きを止めています。先生の発想には大賛成ですが、定員問題の解決が不可欠です。」と申し上げたことを思い出した。
諸井先生はその後お亡くなりになられた。今となっては、この問題について、公式の場で一言おっしゃっていただく機会がないままになったことが残念でならない。
米国の研究者の話を聞いた折に諸井先生のお話を思い出したが、再度、最近の公務員の天下り批判の議論を聞くにつけ、民主党が言うような、単純に公務員を定年まで職場に置き続けることではない、国会機能も我が国の抱える問題も解決できる処方箋を提示する時期が来たように思える。そのことは私がお世話になった諸井先生の御遺志に報いることにもなると思われる。
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