「長野県の麻文化の復活を目指す活動が始動」

 令和6年のゴールデンウイーク連休中の4月29日、安曇野市穂高の古民家を借りて、若手農業青年が安曇野グリーンモアプロジェクトという団体を作ってその団体主催の麻文化振興イベントが開催されました。安曇野でも遊休農地が増え続ける中で、産業用大麻(ヘンプ)に注目した活動の一環でした。

 この団体は、「大麻という植物は縄文時代から近代まで、衣食住をはじめ芸術文化に至るまで、日本人の暮らしと共にあった「農作物」でした。その大麻という作物を地元の農家の皆様によって復活したい」との思いにより活動を始めているのです。

 私も、長野県という中山間地域を抱えた選挙区を抱える立場から、古くから地元に根付いてきた大麻という植物の潜在的可能性の大きさを知る中で、長らく栽培規制されてきた制度が改正になり、漸く本来の大麻の持つ有用性を発揮できる時が来ていると期待している一人です。そうした観点からイベントに参加し、挨拶をさせていただきました。

 令和5年12月13日、「大麻取締法及び麻薬及び向精神薬取締法の一部を改正する法律」が公布されました。厚生労働省は、その法改正の目的を「大麻草の医療や産業における適正な利用を図るとともに、その濫用による保健衛生上の危害の発生を防止するため」だと説明しています。これまで濫用防止一辺倒だった厚労省が「医療や産業における適正な利用」に舵を切ったことの意義は大変大きいと認識しています。私自身も、法改正に至る過程で、衆議院予算委員会などでこの問題の打開策を提言してきた立場として嬉しい限りです。

 実は、大麻取締法は日本の敗戦とともに我が国に導入された歴史があります。この問題に詳しい皇學館大學の新田均教授によると、「日本の大麻草は麻薬成分がほとんどなくマリファナの原料にはならないので、縄文時代以来、日本全土で生産され衣食住から神事まで、幅広い分野で活用されてきたが、吸引による濫用の習慣は存在しなかった」のだそうです。ところがGHQは、「日本の大麻草をマリファナの原料と同一視して、栽培の全面禁止を日本政府に求めたのに対し、農林省と厚生省はせめてもの抵抗の姿勢を示し、栽培県と面積を限り、免許制にすることでGHQの圧力を何とか跳ね返そうとした経緯がある」のだそうです。

 こうして制定されたのが大麻取締法で、当初はGHQの意向から大麻草生産農家を守るのが目的だったものが、その後、化繊の普及による大麻草生産地の激減と、1960年以降の密輸されたマリファナの濫用とが相俟って厚労省の方針は大麻規制に大きく傾き、大麻草=マリファナという先入観が一般化する不幸な歴史が刻まれてしまいました。新田教授によると、「この認識を決定的にしたのが、平成28年に起きた大麻草栽培者による乾燥大麻所持事件だった。彼が所持していたのは、栽培していた大麻草とは別物で、実は日本の大麻草はマリファナ原料にはならないことを証明した事件だったのだが、厚労省はこれを契機に栽培農家への締め付けを強化し、実質的に新たな免許は認めるなと各県に通知した」とのこと、その後、新田教授の住む三重県では、「農地は道から容易に見通せない所、2メートルの堅固な柵、監視カメラの設置、県外への販売禁止、免許者以外への栽培地情報の提供禁止など、およそ農業としては成り立たない条件が設定された」といった厳しい行政指導が行われたのだそうです。

 ここまで態度を硬化させていた厚労省が、今回、「医療や産業における適正な利用」に舵を切った理由は何なのでしょうか。新田教授によるとその要因は、「大麻草に含まれる成分は100種類以上あるが、麻薬成分はTHC(テトラ・ヒドロ・カンナビノール)だけだ。このことが大麻取締法制定当時は分かっていなかった。そのため、規制が大麻草という植物自体にかけられてしまい、大麻草由来であるというだけで、麻薬成分でないにもかかわらず、難治性てんかんの特効薬が日本では使用できず、その改善が患者の支援団体等から強く求められるようになっていた」、「大麻草生産者の著しい減少で、神事や伝統建築・芸能で使われる大麻草繊維の多くが中国産やビニールに取って代わられた。昭和29年では生産者3万7313人、耕作面積4917ヘクタールだったものが、令和3年では27人、7ヘクタールにまで減少するという惨状」という問題意識が背景にあったとのことです。

 この課題を克服するため、成分規制への切り替えによる大麻由来の医薬品の施用等の解禁、快楽目的の施用罪の創設、そして安全な大麻草の生産者への過剰な規制の撤廃が75年ぶりの法改正という形で実現されたのです。

 実は、この制度改正を後押ししたのが、安倍晋三元首相、伊吹文明元衆院議長だったのです。安倍元首相は、生前、私も参加した議員勉強会で「カーボンニュートラルを見据えれば、ヘンプ(大麻草)の活用が期待される」と指摘しました。大麻草は成長が早くCO2を効率的に吸収する農作物で、自然由来の強靱な繊維として車のボディーや内装材、家の壁や断熱材としての活用が進み、海外では燃料や電池の原料としての研究も進められているのです。

 こうした経緯により大麻取締法の改正が実現したのですが、その法改正の趣旨は地域社会にはしっかりとは伝わっていません。法律施行を前に、「安全な大麻草の生産者への過剰な規制の撤廃」を前提に、私の知り合いの若手農業者が大麻栽培免許申請を長野県当局に申請しても、当局の対応は政府から厚労省から細則の指示がないので従来の対応に変化はないとの返事に終始しているようです。ましてや、地域社会の大麻に対する大麻草=マリファナという反発、偏見は未だに深刻なものがあります。

 そもそも日本人は、ひとたび規制が導入されると、その規制の設定理由の如何に拘わらず、その規制を徹底的に突き詰め適用する傾向があります。謂わば、「過剰適用」の傾向です。占領下で制定された現行の日本国憲法が制定後一度も改正されることなく今日まで存続していること、大麻取締法が制定時の曖昧な立法事実にも拘わらず最近まで維持されてきたという事実をはじめとして現状維持に関する国民の意識は非常に強いものがあります。自ら設定した規制に国民が自縄自縛となり、結果として地域社会が委縮し、国家の安全保障が脅かされる事態が生じています。

 私としては、長野県が、往年、栃木県、滋賀県と並ぶ大麻栽培のメッカとして、その恩恵に浴してきた歴史を振り返るとき、大麻栽培の過剰規制による大麻衰退の歴史はそのまま長野県の中山間地の衰退の歴史に重なるように思えて仕方がありません。長野県には、麻績村、美麻村(現在は大町市美麻)など麻に因む地名を継承している地域があります。長野市鬼無里の郷土博物館を訪問すると、鬼無里が麻で驚くほど栄えた往年の繁栄をしっかりと学習することができます。これらの地域が現在どのような状態に置かれているかを考えるとき、これらの地域が私の選挙区に所在することもあり大いに心を痛めています。

 日本が戦争に負けたことにより、伝統的な地域産業が人為的に衰退の道をたどった歴史を振り返るとき、終戦後80年を経ようとする今日、地域社会を元気にするための術は歴史に学べるというように思えて仕方がありません。そのために、麻文化を継承する地域から選出されている代議士として、やるべきことは自ずから明らかです。

 冒頭紹介した安曇野市内の麻文化振興イベントには多くの参加者が集いました。規制緩和を機に、閉じ込められていたエネルギーがほとばしり出る予感を感じました。こうした取り組みが浸透し、地域の皆様のヘンプに対する理解が増進し、その有用性を活用して地域がよりよく発展することにつながることを願うとともに、私自身ができることを更に追及して行きたいと考えています。

Copyright(C) Mutai Shunsuke All Rights Reserved.