令和6年の5月の大型連休の間は、信州の地元でじっくり時間を過ごすことに徹しました。信州の北アルプス山麓の新緑は、神々しいばかりの美しさと憩いを我々に与えてくれています。連休初日の4月27日には、上高地の開山祭に伺いました。本格的なコロナ明けの上高地開山祭には、国の内外から大勢の上高地ファンが訪れ、会場となった河童橋周辺は鈴なりのハイカーで溢れかえっていました。天候も安定し、上高地にしては暖かな天気の下で開山祭が催行されました。
アルプホルンの演奏、穂高神社の神官による神事、上高地に近接する稲核集落に伝わる獅子舞が厳かに挙行され、登山の安全と上高地地域の繁盛を祈念する気持ちがこもった行事となりました。一昨年の開山祭の際には、上高地に通じる道路が開山祭当日の土砂崩れで開山祭が中止になったという異変もありました。その中で、本格的なコロナ明けのシーズン到来に、関係者は万感の思いでこの日を迎えました。
実は、8年前の8月11日、この上高地に当時の皇太子ご一家、現在の天皇陛下御一家をお迎えし、第一回の全国山の日記念式典が開催されました。その2年前の2014年5月には、議員立法により祝日法が改正され、わが国で16番目の祝日である山の日が制定されました。私は、当時の山の日制定議員連盟(現在は山の日議員連盟)の事務局長として、山の日制定に汗をかいた思い出があります。制定に至る2013年には、上高地に議員連盟の有志が集い、山の日制定実現を求める地元の山小屋関係者の皆様と熱い議論を行ったことが懐かしい思い出になっています。
山の日記念全国大会は、コロナ禍で一度延期になりましたが、しっかりと引き継がれ、2023年は沖縄県で開催され、2024年の夏は東京都で開催されることになっています。年に一度の記念式典を持ち回りで開催することで、確実に、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という山の日制定の趣旨が全国に浸透していると実感します。実は私は、これまで行われた全て山の日記念式典に出席している数少ない(あるいは唯一の)国会議員なのです。
山の日制定10年を迎え、肝心の登山をめぐる環境はどうなっているでしょうか。コロナ禍を抜け出し、現在は新たな登山ブームとなっています。私の選挙区の松本市や白馬村には内外から多くの登山客が押し寄せています。一方で、コロナ禍を経て、登山を支える現場は疲弊しています。コロナ禍の間、山小屋は厳しい経営環境に置かれ経営体力が削がれました。山小屋のスタッフ不足は深刻な状況です。その山小屋がボランティア的に整備してきた登山道も整備が行き届かない現状があります。登山客の増加に伴うゴミやし尿の処理の問題も喫緊の課題です。ヘリコプター確保が難しくなる中、大量の物資をどのように山小屋に運ぶのかという課題にも直面しています。地球温暖化の進展もあり、山岳地域の植生にも変化が及んでいます。生物多様性が脅かされています。これらの課題は、環境省をはじめとした関係省庁に幅広く跨る課題なのです。こうした課題にどう対処していったらいいのか、山の日議員連盟では衛藤征士郎会長を中心に、議員連盟が中心となりこうした課題に対して公的関与を強め、そのための財源をしっかり確保する新規立法の検討に入りました。できれば、登山環境整備基本法、山岳振興基本法といった名称を冠した新法をまとめ、次期通常国会で成立を果たせないか、検討の場を開始しました。
4月27日の上高地開山祭では、私も挨拶の機会を賜り、その中で、「上高地をはじめとする北アルプスを自らの選挙区に抱えている幸運な代議士はそうはいない。そのご恩に応えるために、山の日制定に次いで登山環境整備基本法といった山岳環境 整備に国や自治体が本腰を入れる根拠 となる仕組みを作って行きたい」と申し上げました。
実は、槍ヶ岳開山は1828年に槍ヶ岳に初登頂の播竜上人なのですが、私の6代前の先祖の務台与一衛門影邦が1835年に播隆上人と槍ヶ岳登山を行ったとの古文書の記録があるのです。考えようによっては、私はその先祖の思い、遺伝子を受け継いで山の日制定、登山環境整備基本法に熱を上げているのかもしれません。こうした地元課題に取り組みことも、北アルプスという山岳地域を抱えた地元意識の強い代議士の職責なのだと自らに言い聞かせています。
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