1月23日に、95歳で天寿を全うされた、私の元後援会長中澤薫先生の葬儀が27日に催行され、私からは以下の弔辞を述べさせていただきました。医療関係者に加え、岸田総理の供花、弔電、麻生元総理の弔電も寄せられ、故人の活動の幅広さが偲ばれる葬儀となりました。
「弔辞」
私は、中澤先生のおかげで11年以上に亘り代議士として活動できています。16年前の2008年に、生まれ故郷に戻り、代議士を目指す活動を始めた際に、地盤看板カバンのいずれもない私が頼ったのは旧知の有賀正前松本市長でした。その有賀さんが、「後援会長は大事だ、人徳のある中沢薫先生を置いて他にない」とおっしゃったことから、私は全く面識のない、長野県医師会長をお務めになられた中澤先生の門を叩きました。もとより、当初は拒絶でした。特に裏千家の師匠であられる奥様が、世俗の争いに巻き込まれるのはだめとおっしゃっておられたようで、数ヶ月の時間が経過しました。しかし、局面が変わりました。反対急先鋒の奥様が、「あなた、あんなに何度も家に来ている務台さん、かわいそうじゃないの。最初の選挙だけは受けてやったら」とおっしゃって頂いたのでした。その後、中澤先生を後援会長に頂き2009年の選挙に突入しましたが、政権交代選挙の嵐の中で民主党現職に惨敗。その後どうしようかと、中澤後援会長にも相談しながら、再起を期し活動を継続し2012年の総選挙で何とか初当選、結果的に15年にわたり中澤先生には私の政治活動をお支え頂くことになりました。昨年、後継の後援会長に同じく医師の相澤病院の相澤孝夫先生にご就任頂くまで長い歳月が経過していました。高齢になられ、中澤医院をたたみ、晩年には、美ヶ原温泉の介護施設に御夫婦でご入居されておられました。私も何度かお伺いしましたが、最近は体調が優れないということでお会いできなかったのが心残りです。初当選時の喜びを皆で分かち合った際の中澤先生との写真がありますが、あの時の感激が思い起こされます。中澤先生に頂いた恩義を胸に、常に初心に立ち返り、よりよい国民生活の実現のために、頑張って参ることをお約束し、弔辞とさせて頂きます。天国で、奥様と共にお幸せにお過ごしになられることを願っています。私も、いつになるか分かりませんが、合流する際には、積もるお話をさせて頂きます。
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