コロナ禍で世界中が必死の思いで対応している中、まさか国連の常任理事国ロシアがウクライナに攻め入るとは、驚天動地です。この世の中では、我々の予想を超えた異常事態が次々に起こるということを最近は強く感じています。ウクライナに対するロシアの武力侵略は、ロシアがどのように理屈を並べようと武力によって他国の領土と主権を侵害する国連憲章違反の行為であり許されることではありません。世界が、今回のロシアの武力侵略を止められなければ、国際社会は混迷の時代に突入することは必定です。国際法はあっても、それを強制力を持って執行できなければ国際秩序は守れません。ある国が、国際的な非難は聞き流し経済制裁も忍耐により乗り切れると踏めば、独自の言い分により他国の領土を簒奪する侵略行動に出る国は相次ぐでしょう。ロシアのウクライナ侵略への国際社会の対応によっては、明日の中国の台湾侵攻、尖閣占領に繋がりかねません。
今回のロシアのウクライナ侵略を受けて、日本国憲法の在り方に国民の関心が集まっています。第9条の問題と憲法前文の思想が改めて問われています。憲法第9条は「国権の発動たる戦争」、「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄しています。そして「戦力不保持」、「交戦権の否認」を宣言しています。その前提として、憲法前文では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と規定しています。
国際社会の現状は、ロシアのウクライナ侵略、中国の台湾への対応、南シナ海での身勝手な振舞い、尖閣諸島に対する執拗な侵出、北朝鮮の傍若無人な振舞いを見るにつけ、国際社会は決して公正と信義に満ちた国ばかりとは限りません。日本国憲法が望んだ理想のあるべき国際社会の現実は、残念ながら無残な現状にあります。あまつさえ、日本憲法制定時に期待した国際連合は機能不全に陥っています。安全保障理事会の常任理事国のロシア、中国は、拒否権を行使し、明らかな国際法違反のウクライナ侵略すら非難決議ができません。紛争の当事者が安全保障時理解の議長を務めることが許されるなどは噴飯ものです。国際社会の現実がこうした状態にあるのであれば、それぞれの国は、集団的自衛権により自国の安全を確保する方策を目指さざるを得ません。
国連憲章では、紛争解決手段として武力行使を慎み平和的手段で解決することを原則としつつ、それでも平和に対する脅威や平和の破壊、侵略行為が起こった場合は、安全保障理事会が行動することになっています。その上で、ある国に武力攻撃が発生した場合に安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間は、個別的又は集団的自衛権を行使することを認めています。安全保障理事会が機能しない事態もあり得るとして、その場合には、自分の身は自分で守ること(個別的自衛権)、あるいは仲間同士自分達で守ること(集団的自衛権)を認めています。
ロシアの侵略を受けたウクライナはNATO加盟が叶わず個別的自衛権行使でロシアの侵略 に抗戦せざるを得ない状態です。日本は日米同盟を結んでおり、米国の打撃的抑止力の 傘の下にあるという点で米国の集団的自衛権の庇護を受けています。今日のウクライナ の苦境を招いたのは、ブダペスト覚書において核を放棄し軍事力を大幅に削減したこと 以上に、自国の安全を他国に委ねる選択をしたにも拘らず集団安全保障の枠組みに入れ なかったことにあります。
さて、日本の憲法に話を戻すと、日本国憲法は日本の国家権力を縛ることはできますが、他国の国家権力は規制できません。つまり、第9条は日本国が他国に武力行使することは制限していますが、他国が日本国、日本国民に対して武力行使することに何の歯止めにもなっていません。この点で、日本共産党の志位委員長がツイッターで、「プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条だのです」という呟きを発出していますが、憲法第9条がロシアに対しては何の制約にもなっていないことを理解していないかのような呟きです。
日本共産党の委員長ですらこのようなピントのずれた認識ですが、日本国憲法には他国から侵略された場合にどうするか、という視点が完全に欠落しているのです。あえて言うならば、「平和を愛する諸国民の公正と信義」に自らの「安全と生存」を委ねる、という発想で今の状況を乗り越えられるのかということです。ウクライナの現実はその矛盾を露呈しました。
第9条が、他国を武力で侵略しない、侵略のための実力組織は持たないと規定するのは間違っていません。一方で、他国の侵略から自国を守る力を持てないと考えることは日本国民の安全と生存に危険な状況を招きます。この点について、第9条の解釈が分かれるのであればきちんと明確にしておくことは必要です。
憲法をはじめとして、日本の危機管理に関する制度設計の脇の甘さが最近目立ちます。新型コロナ禍の状況に感染症法体系が追い付いていません。国難級大規模災害に対する災害対策の法体系が十分かということが問われています。安全保障法に関する体系も同じです。これまで、イデオロギーに基づいた反発の激しさに怯んで国会の場で正面からの論争を避けてきた矛盾と付けが、ここにきて一挙に噴き出した感があります。
私のところにも、多くの皆様から、いまこそ、憲法をはじめとして非常事態に備える法体系を整備すべきとの意見がこれまでにない勢いで届いています。共産党のトップが敢えて日本国憲法第9条の意義について矛盾に満ちた主張を展開するのも、国民の意識の大きな変化を感じ取っての狼狽行動のようにすら感じられます。我々は、今こそ、日本国民と日本の安全と生存を守るために何が必要か、余計な忖度をすることなく堂々とあるべき主張を展開して国民の意思を問うていくべきです。そうして、国連安全保障理事会の在り方について根本的な議論を行っていくべきことを強く訴えたいと思います。
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