「東京五輪の閉幕に思う」
〜やろうとしたことの伝え方に課題〜

 東京五輪が終了しました。パラリンピックはこれらですが、正直、コロナ禍の五輪が無事終了してホッとしたという思いがこみ上げてきます。五輪の始まる前には、中止論がマスコミ界、医療界、野党を中心に渦巻いていました。しかし、コロナ禍の五輪は世界の中でも日本しかやり遂げられないとの強い思いの中で、世界が評価せざるを得ない形で大きな混乱もなく完遂することができました。

 多くの日本人は、やはりやってよかったと感じているのではないかと想像します。特に、アスリートの皆様は、日本国民、日本政府が、多くの忍耐の上に、アスリートに対してこれまでの努力の成果を注ぎ込める機会を提供したことに感謝しているのを感じます。2024年に開かれるパリ五輪組織委員会のエチエンヌ・トボワ最高経営責任者が、「厳しい状況で五輪を実現させ、日本の能力を示した。この2週間ほどで、東京は世界の「首都」になった。選手村で見た、世界の選手たちの幸せな表情が忘れられない」と述べているように、これからの五輪の在り方、大規模国際イベントの在り方に大いに貢献する大会にもなったと考えられます。

 にも拘らず、五輪開催を強く主導した菅政権の支持率は非常に低い状態にあります。これはやったことよりも、やろうとしたことの伝え方に大きな課題があると思わざるを得ません。その意味では私自身ももどかしさを感じています。歯切れの悪さ、言葉の少なさ、メッセージ性の少なさ、本質的なことではなく細部の混乱が針小棒大に取り上げられる報道機関の傾向など様々な要素が重なり、このような支持率の低迷に結びついているものと考えられます。こうした点は真摯に受け止め、今後の対応の在り方に生かしていかねばなりません。

 ところで、長野県の地元紙は、東京五輪が閉幕した翌日の朝刊で、大会が無事に終了したことが我慢ならないとしか考えられないような論調で、五輪を腐さす記事や論評をこれでもかというほど並べていました。その論調のあまりの執拗さ、激しさに、胸が悪くなる思いを懐いたのは私だけではないと思われます。政党の機関紙ではない一般紙の記事や論評だけに、この記事を読んだ県民の意識に与える影響について心配になりました。

 仮に、その論調の立場が、反政府の立場ではなく純粋に新型コロナ禍を心配してのものであれば、地元紙は来年の北京冬季五輪にも同じような論調で中止キャンペーンを張るのだろうなと思わず想像してしまいましたが、おそらくその時点では沈黙するのだろうと考えています。

 政権浮揚のための五輪という視点を強調し批判したいマスコミの気持ちは理解できますが、逆に政権に打撃を与えるために五輪中止を声高に主張したマスコミ自身の五輪の政治利用についての自己認識はあるのかと聞いてみたくなりました。

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