私は自由民主党の役職の一つとして、中谷元学院長の下で中央政治大学院副学長を拝命しています。副学院長として2年目の副学院長の役目を果たさせて頂いていますが、この中央政治大学院活動の一環として、近現代史の専門家をお呼びして時代毎のその時々の歴史を振り返る勉強をさせて頂いております。その模様はインターネットでも中継し、自民党のホームページも収録されています。
令和2年11月中旬の講話には、私の肝いりで佐伯啓思京都大学名誉教授をお呼びしすることが叶い、平成不況の背景としての構造改革路線の問題点を深く分析して頂きました。その分析が我々にとっては目の鱗が落ちるような分析で、私の脳髄が覚醒するが如きの思いがこみ上げました。佐伯先生の論理を私なりに整理すると以下の通りになります。皆様に共有します。
1、1990年代の冷戦崩壊後のグローバリズムの進展、米国による日本たたきの手段としての日米構造協議の結果押し進められた規制緩和、金融自由化、日本的経営の廃止、グルーバル化からなる日本の構造改革は、効率性、成果主義、能力主義を日本社会に持ち込み、それが実は平成不況につながる混乱を生み出した。
2、そしてこれらの改革は、日本社会が自発的に生み出したものではなく米国から「年次改革要請書」を通じて突き付けられたことを実行した結果であり、謂わば、米国社会に根差した価値観を日本社会に浸透させようと行われた改革であった。
3、しかしその構造改革は、ほとんど成果を生み出さず、成長率は滞り、デフレ経済が浸透してしまった。それに対して、第二次安倍政権はアベノミクスによりその出口を探ろうと、3本の矢を手段としたが、マネーサプライを増やしても物価は上がらず、財政出動を発動しても思ったほど経済は動かず、これだけのことをやっても結果はこの程度かという評価が経済学者からなされている。
4、問題は第3の矢だが、この手段はイノベーションが中心ということになるが、イノベーションによる労働生産性はGDPを労働投入量で割り得られるものであることを考えると、イノベーションによる効率化で労働投入量が減ればGDPは増えずに労働生産性が増すことになり、IT革命をやってきたのにGDPは増えていないという現状をまさに説明する事態が起きている。
5、この事態を引き起こした問題は、構造改革が企業という供給側のことばかりを考えていたことが問題であり、一企業で合理的な生産性向上行動も国全体になると経済学でいう「合成の誤謬」のメカニズムにより、労働者の所得が減り、米国の中間所得層が没落したという結果を招いたGAFA現象を説明することになる。
6、果たして生産性が低いということが問題であるという立論が本当に正しいのかを考える必要がある。需要の側面で考えると生産性が低いところが削減されると需要は減ることになる。人口減少社会、グローバリズム、構造改革の3つがデフレの根底にある要因なのだ。
7、ではどうするのかだが、先進国では経済成長主義は求めないという生き方を模索していく時代になっている。先進国も成長率は低下傾向にあり、イノベーションも必ずしも経済成長に寄与していない実態がある。これからは、一定の所得を前提に、お互いの助け合い、家庭、地域社会、人間関係の大切さをより重んじ、医療、介護、福祉、学校教育といった経済的な尺度では測れない社会インフラをより重んじる時代となっている。新型コロナ禍で、我々は期せずしてそのことを学んだ。若者の価値観も大きく転換している。言ってみれば、市場価値に反映できない生産性というものがあることに気が付かなければならない。
以上の講義を伺い、平成不況が何故起きたのかという思いを漠然と懐いていた私としては、その要因についてのヒントを得られたような琴線に触れる思いを懐きました。司会をしていた私は、佐伯講演に対しての感想の中で、「佐伯先生の話によると、日本的経営にしても地域社会の絆にしても、構造改革の中で三本が自ら捨て去ったやり方が実は価値があったものだというように聞こえ、その意味では、メーテルリンクの青い鳥のチルチルミチルが今の日本社会そのものの状態のように思われます」と総括させて頂きました。
これから我々は、アフターコロナの政策を模索していかなければなりません。それを考える上で、佐伯先生の講演は、そのベースとなる思想を我々に共有して頂いたと考えており、需要サイドの経済政策、地域社会を重視する社会政策、精神性をより重んじる社会の模索など自分自身の政策探求を深めていく切っ掛けも頂きました。佐伯先生には深く感謝申し上げます。
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