地域の実態を知る上で、特別養護老人ホームや障害者施設を訪問させていただく機会も多くなっている。施設関係者から伺う話は、地域福祉の様々な矛盾を物語る内容が多い。
特別養護老人ホームを訪問して共通して伺うことは、慢性的な入所者待機状態となっていることである。定員60人程の施設に千人以上の待機者がいる状態も稀ではない(もちろん一人の利用者が複数施設に重複申し込みをしているケースもあり実数はこれとは異なる)。
入所者は介護状態や、家庭状況など様々な要素を点数化した上で優先順位が決まってくる。入所自体に所得制限はないものの、相対的に裕福な家庭の入所者であれば負担は多くなるものの有料老人ホームに入る選択をしている現実もあると聞く。介護保険制度に加入し保険料を払っているにも拘らず、いざ介護という保険事故が起きても施設への入居が叶わない事態は、適正な保険給付がなされないということになりかねない。
最近は、入所者の高年齢化、介護度の重度化が進んでいる現状もある。当然職員にかかる負担は増えている。病院に付属していることが多かった療養型施設が廃止の方向に舵を切られた影響で、特別なケアが必要な入所者の受け入れが大きな負担になっている実態もある。
介護施設を「地域密着型」にするため、なるべくベッド数を抑え小規模化の方向に誘導が行われている。この理念とは裏腹に、コンパクトになれば規模の経済が働かなくなるので経営にはマイナスの要因となっている。その結果、施設整備が進まなくなっている実態もある。その結果が待機者の大幅増加となって表れている。
知的障害者施設も訪問したが、施設関係者の共通した声は、知的障害者に対する世間の理解度が低い点である。見学した実感としても、老人施設あるいは身体障害者施設に比べ知的障害者施設は、老朽化が進み人数に比してギリギリのスペース、スタッフでやっている印象を受けた。地域のボランティアもいるが他種の施設に比べれば参加者が少ないという話もあった。政府や自治体の対応も、一般市民の関心の薄さ、或いは家族の声のあげにくさなどを反映してか、遠慮がちの対応があるように見受けられる。
実際の制度運営の問題点もある。障害者自立支援法の認定基準が身体介護を想定しており、知的な障害を特別に配慮する観点がないとのことである。外見からは分かりにくく症状が安定しない知的障害を別途の基準で認定する必要がありそうだ。
知的障害に関し、地域住民の理解という点も大きなネックである。象徴的な事例として、知的障害のある兄弟が自身の資産である不動産を利用し、仲間とともに暮らすためのケアホームの設立の計画が地域の大反対でとん挫した事例があるのだそうだ。ノーマライゼーションの思想のもと地域に溶け込んでいきたくとも、NIMBY(not in my back yard;ほかならいいけどウチの庭ではやらないでくれ)という心理的な壁が立ちはだかる。
ロールズの「正義論」がある。ロールズは社会契約における正義論の前提段階として、「無知のベール」という概念を打ち立てている。「自分が社会の中でどんな境遇に置かれるかわからないとしたら、あなたはその社会がどうあって欲しいか」という概念である。「最も恵まれない人の利益が最大になるように」というのが彼の出した答えであった。自分が、あるいは自分の家族がそうした施設に入るとしたら、という視点が社会に行きわたらないといけない。
社会福祉関係分野の大きな課題に人材確保という問題がある。ただでさえ若年層が都市へと流出していく中で、施設を維持するためのスタッフ、特に専門的な能力を必要とする看護職、介護職などが確保しにくくなっている実態がある。特に近年の介護報酬の引き下げにより、若者が介護職を目指そうにも、生活設計を考え二の足を踏むような状況となっている。高校生の進路指導において、教師が福祉関係の進路を薦めるのにためらいを感じている。私も実際に若手介護職の会合に参加した際に、彼らが、「誇りと心意気」だけで何とか仕事を続けているという言葉を耳にした。
彼らが日夜全身全霊をかけてケアしてもそれを受ける入所者の年金収入にも及ばない現状がある。非正規スタッフを多く抱える施設では、毎年度末になると、仕事に慣れ入所者と信頼関係を築きつつある非正規職員が去っていくのではとの心配が頭を離れないとのことだ。
入所者の安心を支える介護関係者に職責にふさわしい待遇を付与していくべきではないだろうか。仕事のやりがいは報酬だけで測るものではないにしても、社会全体がその職に敬意を評していると認識できるステータスを付与しなければ人材は集まらない。そのためには、財源の議論に勇気を持って乗り出すことも必要である。
一方で、年金、医療、介護等の重複給付という観点も無視できないと思われる。施設に入居できた高齢者の方は、比較的低廉な自己負担によりその後の人生を施設で全うすることがほとんどである。その間、年金は貯まり続けることになる。施設入居ができないでいる人は、年金を財源に生活がカツカツである。入居できた人とできない人の格差が激しい。実際に、入居者がお亡くなりになった際に、手付かずに残った多額の年金貯金をほとんど見舞いにも来なかった家族が持ち帰ったという話を聞く機会は多い。
ある知的障害者施設では、入所者の個人貯蓄が1,000万円にも上る人がいるという話も伺った。障害年金と入所の自己負担の差額が積み上がったからである。一方で施設関係者は非常に低い処遇で職場定着率が悪くなっている。
私は、この実態を伺い、年金と障害者自立支援法の個人負担を差し引いた中で残ったお金を将来に向けて貯蓄するだけではなく、現在の生活の質をより良くするという視点から、例えば施設運営側が独自に通所・入所者やその家族と特別の協定を結び、スタッフの処遇改善、設備の清潔化、充実にその資金を充てるのも一考ではないか、と思えてきた。これは現在の公的財政の制約の中で、一つのやり方ではないか。現に入居している方々の快適さを増進する観点から、地域や施設ごとの創意工夫を大いに促してみるべきだと思えてくる。
最後に、老人施設の順番待ちの多さをもたらす施設の供給不足、特に問題となる施設建設の初期投資にかかる負担軽減への対応策の一つとして、古民家の再利用を推奨したい。既存の歴史的価値のある古民家建造物を、老人施設や、障害者が世話人とともに生活をするケアホームとして再生利用することが各地で少しずつ進みつつある。福祉の財政制度を活用し、地域の伝統建造物を保存継承しつつ、それを現代の切実な福祉需要に生かすという取り組みは、新たな内需創設の起爆剤にもなる。
<参考>
古民家を福祉向けに再生した事例紹介は以下のリンク参照
https://www.mutai-shunsuke.jp/policy26.html
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