「新型コロナウィルス感染症蔓延に見る中国の姿勢」

 2019年8月の下旬、中国四川省成都市で日中韓の国会議員囲碁親善交流に参加してきました。三国間の囲碁という共通文化を通じての友好は意義ある事業です。先方の中国人スタッフの方々とも仲良くなる中で、香港の民主化運動も話題に上がり、「香港の人は経済的に恵まれており、大陸の人から見ると我が儘な要求に思える。我々は経済的にもっと発展しないといけないので政治的に不自由はあるが今の体制が良くないとは思わない」とのやや機微なお話も伺う一方で、当時中国ではやっているブラックジョーク「中国の最大民族は漢民族ではなく不満族である」のご披露も頂きました。

 さて、今回の新型コロナウィルスに関わる推移はこうした微妙な中国の人々の気持ちにどの様に作用するのか、大いに関心があります。申すまでもなく、中国の人々は政治的な自由、情報源へのアクセスに制限がある中、ある程度我慢してきた理由は、共産党政権がとにもかくにも自分たちを豊かにしてくれ、その生活を守ってくれるからと感じてきたからだと多くの有識者が指摘しています。

 今回の武漢で発生した新型コロナウィルスは、昨年12月に見つかったとされていますが、最初の発見者は逮捕され、誤った情報を拡散したことを認める文書に署名させられ、その後新型コロナウィルスに感染して亡くなったと報道されています。この情報が隠蔽されず、共産党指導部が直ちに動いていれば世界はもっと早く対応し、このような世界的な蔓延に至らずに済んだ可能性があります。

 他方で、この事実が中国国内で広く共有されるとどういうことになるのでしょうか。中国共産党は、新型コロナウイルス危機が炙り出した統治上の欠点を国民に強く認識されることを極度に恐れていることは容易に想像できます。そのような論理的帰結に対峙するかのように、3月14日の中国紙「環球時報」はその社説で、「欧米は新型コロナウィルスへの警戒と対応が手ぬるく、感染を広めてしまった。このことを省み、対策を改めるべきだ」と述べています。そしてそれに先立ち、中国は、「自分たちはウィルスの拡散を遅らせるために貢献しており、世界は感謝すべきだ」との主張も展開し始めていました。まるで、火事の火元が「消火をうまくしたから責任はなく称賛されるべき」だと言っているようにすら聞こえます。このような批判、つまりウィルスはそもそも中国から拡散したとの批判を回避するためか、最近、中国外務省のスポークスマンが、「コロナの発生源は中国内ではなく、米軍から持ち込まれたもの」という説を発信し、責任逃れとしか受け止められない対応をし始めています。あくまでも中国共産党の統治体制が欧米の自由民主主義のモデルより優れていることをアピールしたいと観るのが自然です。

 この一連の推移を目の当たりにして、私は2019年9月に国立環境研究所の五箇公一博士を筑波に訪問した際の話を思い出しました。博士はヒアリ対応の第一人者で、中国の港からコンテナでヒアリが日本に入り込んできている可能性を中国の研究者に早くから指摘し中国における水際作戦を要請してきたところ、「中国の港から日本にヒアリが出ているなどというデマを拡散しないうように」と反発を受け、日本国内での対応に集中するようになったとのエピソードを伺いました。中国では政治家や行政当局者だけではなく科学者、研究者までも、エビデンスよりも面子、立場にこだわり、真実に向き合わないというその政治体制からくる染みついた性癖があるのかもしれないとその時思いましたが、今回の新型コロナウィルス禍でも全く同じ構図だと再認識しました。

 振り返れば、昨年日本で蔓延した豚熱も中国発でした、そして今日本への持ち込みが恐れられているアフリカ豚熱も中国からの流入が懸念されています。日本農業新聞が東大大学院、宮崎大学と共同で、アフリカ豚熱の主要な侵入源となり得る豚肉製品の違法持ち込みについて、訪日中国人にアンケートしたところ、2.8%がその持ち込みを認め、それに基づく推計では年間17万人の訪日中国人が違法に肉製品を持ち込んでいる恐れがあることが判明しました。

 グローバリズムやインバウンドを手放しで評価する時代はもはや過ぎたのかもしれません。特に、情報の透明性や政治的自由が制約されている国とのお付き合いの仕方は、安全保障や危機管理の面から慎重に対応していかねばならないことを、改めて認識させられました。それと同時に、世界の安全を確保していくためにどのような政治体制が望ましいのかという議論を真面目に行って行く必要性を新型コロナウィルスは惹起したようにも感じます。

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