令和元年9月下旬、私にとって初めてのマルタ共和国訪問を無事に終えました。イタリアの南、地中海に浮かぶ美しい島マルタ共和国の首相が昨年訪日の折、安倍総理との間で「日本とマルタの間に議員連盟がない。ぜひ創設するべきだ」と意見が一致し、西村康稔、遠山清彦両代議士を中心にマルタ議員連盟が立ち上がりました。私もかねてより、マルタ騎士団で有名なマルタに興味があったこともあり、この議員連盟に参加しました。設立総会の折に、私から、是非議員連盟でマルタ訪問を実現して欲しいとお願いしたこともあり、今回実現した議員連盟によるマルタ訪問に参加することにしました。残念なことにマルタ訪問直前に西村代議士が経済財政担当大臣に、遠山代議士が財務副大臣に就任されたため、御両人は訪問できなくなり、急遽団長を松原仁・元拉致担当大臣にお願いし、与党からは山下雄平参議院議員と私による3名の訪問となりました。
訪問の最大の場面は西村議員連盟会長の親書を携えての国家元首のヴェッラ大統領との会談でした。大統領は昭和天皇が皇太子時代のマルタ御訪問のことなどを紹介され、今上天皇陛下の即位の礼への参加を楽しみにしているといったお話をされました。国と国との交流にとって、日本の皇室制度が大変な貢献をしていることを改めて感じました。
日本とはあまり縁がないと思われているマルタ共和国ですが、実は歴史的に日本と深い関係があります。福澤諭吉らの第一回遣欧使節団がヨーロッパで最初に立ち寄ったのがマルタなのです。第一次大戦では当時日英同盟を結んでいたイギリスの求めで護衛艦隊を英領マルタに派遣し、「海の守り神」と呼ばれてその存在感は頼りにされていたとのことです。今日的に言えば、日英同盟を集団的自衛権の行使により実のあるものにしたということでしょうか。その護衛の最中に悲劇もありました。第一次世界大戦中の英国艦船護衛中にドイツ潜水艦の攻撃を受け59名の将兵が犠牲となったのです。今回、マルタ共和国カルカーラ所在の旧日本海軍戦没者慰霊碑に献花させて頂きました。ミフスッド名誉総領事が墓を守り、その経費は日本大使館がしっかりと賄っているということに敬意を表したいと思います。
現在も両国関係は大変良好で、日本はマルタの養殖マグロを大量に輸入しています。イギリス領だったこともあり、マルタは右ハンドルの車を左車線で走るという経緯もあり、多くの日本車が走っています。マルタでは英語も十分通用することもあり、多くの語学留学の若者も滞在しています。その多くが女性であることに、大和撫子の逞しさを感じざるをえません。
先達が築き上げてきた日本とマルタの関係を議員連盟として更に広範に深く深化させていきたいと考え、マルタ側の議員連盟の方々とのマルタ国会での会談は盛り上がりました。租税条約、航空協定の締結を進めたいこと、日マルタの自治体相互の姉妹都市・交流事業の推進、マルタへの投資の促進、日本人薬剤師のマルタへの招聘、国際観光振興のノウハウといった話題に花が咲きました。私からは、次回はマルタ側議員団の訪も要請しました。会談の中で、EU加盟国マルタにもブレグジット(Brexit)の影響があることを実感しました。欧州医薬品庁FDAがBrexitにより英国からオランダに移ったものの、EUは非英語圏なので多くの業務が英語が通用するマルタで行われることにより、薬剤師の絶対数が足りないとのことでした。マルタ議連側から「マルタ大学ではイリノイ大学と提携しており、日本からも薬剤師の資格が取れ、薬剤師に来てもらうことも考えられる」とのオファーもありました。各論の話だけに、後日しっかりと日本の厚生労働省に伝えることを約しました。
金融やデジタルエコノミーを担当するシェンブリ副大臣との会談では、ブロックチェーンや金融サービスに力を入れることで、EUでもトップクラスの成長を続けていることを知り、減税をしつつ経済成長を実現し国の対GDP債務比率を大きく減らしているパーフォーマンスの良さに驚嘆しました。
マルタ大学ヴェッラ学長も訪問し、日本とのより広範な学術、学生交流も要請しました。人口50万の国で14学部を擁する総合大学を維持するのは大変だと思いますが、国の成長には人材確保が不可欠であるとの学長の言葉に納得しました。学生の1割が留学生との説明の中で、私の地元の松本大学との交流協定があることに縁を感じました。
今回の訪問で特に印象深かったのは、マルタが人口50万人の5倍以上の観光客を毎年受け入れているということです。確立された観光客受け入れのノウハウは我が国にも大変参考になります。世界遺産の街を中小のホテル、レストラン、カフェに改修し、街並みを壊さないで心地よい雰囲気を醸し出しています。私どもが宿泊したDOMUSZAMITTELLOというホテルもマルタ騎士団の宿泊施設を観光客用に修復したもので、安くはない宿泊費を当たり前のように確保しています。
世界遺産のバレッタ市、バレッタ市よりも歴史が古いMDINA市などのマルタの見どころを片上慶一大使、佐藤仁美公使、徳尾幸書記官にご案内頂きました。6000年のマルタの歴史を良く練られた映像資料「MALTAExperience」で学習することもできました。第二次世界大戦でバレッタ市が廃墟になった歴史は知りませんでした。今回の議員連盟のマルタ訪問の成功は特に大使館の皆様のご尽力によるものと深く感謝申し上げたいと思います。
今回のマルタ訪問に当たって、スピテリ駐日マルタ大使にもお会いしました。実は、マルタ共和国はまだ駐日大使館がありません。スピテリ大使は大使館の確保に年内は東京に滞在されるとのことでした。日本も負けてはいられません。是非マルタ共和国に日本大使館を設置できるように議員連盟も頑張らないといけません。
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