元号が令和に代わっての初めてのお盆を地元でゆっくりと過ごすことが出来ました。お盆前から、広島原爆の日には、広島原爆被災が切っ掛けになって発足した実践倫理宏正会の平和祈念早起き会に参加しました。お盆中は、迎え盆、送り盆をしっかりと行い、戸隠神社例祭、穂高神社霊社御霊祭り、護国神社参拝、旧軍人墓地慰霊祭にも連日のように参列しました。連日、先祖や戦没者の魂に接する機会がお盆の時期に廻って来るということは、日本人が自らの原点に立ち返ることができるという意味で非常に意義深いと感じます。
その中で、終戦の日には池田町、松川村の成人式に伺う機会がありました。自分の年齢の1/3以下の年齢の若者に一人一人握手をさせていただきましたが、日本や地域の将来を担う若者に頼もしさを感じました。私は、挨拶の中で、「一昔前は、皆さんに都会に出て行って頑張って欲しいという意識が一般的であったが、今は、一度は都会に出ていくのも良いことだが、いずれは地元に戻って地域の支え手として頑張って欲しい」という視点を披露しました。長野県は、大学進学の時点で85%の若者が県外に出て行き、就職する時点でも地元を志向する人は多くはありません。従来とは異なり、発想を大転換して、自分が育った地元のために何ができるのかという発想に立ってほしいという挨拶をさせて頂きました。
また、終戦の日の成人式でもあり、「皆さんは、これまでの日本の歴史上、最も自己実現が可能な時代に生きている。それをなさしめているのは今日の日本の平和と繁栄である。これは、先の大戦で軍人軍属230万人、一般の国民80万人、合わせて310万人の尊い犠牲のもとに築かれたものであるということを片時も忘れず、感謝の念をもって自己実現に向け頑張って欲しい」と申し上げました。今の状態が当たり前のように考えるのではなく、先人の筆舌に尽くしがたい苦難の中で築き上げられたものであることに思いをいたして欲しいという気持ちで申し上げました。
どの程度、現代の若者の心に響いたのかわかりませんが、何かを決断する際に頭の片隅で私の言葉が息を吹き返すことがあれば有難いと願うばかりです。
ところで、地域を巡る中で、今の日韓関係に関する一般の皆様の声が厳しいことを痛感します。大変リベラルだと思っていた方からも、「今の韓国のやり方は許せない。これまで我が国が相当の我慢の中で支援してきたことが全く評価されず、反日の敵意を剥き出しにして無理難題を押し付けてくることは許せない。今回は一切妥協せずに徹底的に正論を通すべき」との声に多く接し、普段は大人しい日本人が韓国の政権のやり方対し広範囲に怒っている現実をしっかりと受け止めました。
まとまった期間、地元に滞在できることが代議士にとって大変重要であることに改めて思いを致しました。
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