7月21日に行われた参議院議員選挙で、全国的には自民党公明党の与党が全体の2/3に迫る議席を確保する中で、長野県は野党勢力に完敗という結果になりました。自民党候補が敗れた県では僅差の勝負で勝ち負けが決したところが殆どであったのに対して、長野県は大差で敗れるという結果となりました。この結果、長野県選出の参議院議員として、選挙の時点で捉えると、初めて自民党議員が存在しない事態を迎えることとなりました(自民党議員として当選の後、他党に移籍して自民党議員がいなくなる時期が一度だけありました)。この事態を長野県としてどう捉えるべきでしょうか。
国会議員の役割には二つあると常々思っています。一つは政府の活動の監視、今一つは国家や地元の課題をしっかりと解決していくことであると考えます。今の野党は前者に特化した政府批判に徹しています。後者の機能は、現実には与党だけが果たしています。与党も政府の活動のチェックをしていますが、それに加え、私などは特に地元の課題を解決するために日々の活動を行っているつもりです。
その役割を果たす自民党参議院議員が長野県からは消え失せることになりました。長野県の地元にどの様な影響が生じるのか、特に吉田博美氏が長野県全体をしっかりとフォローしていたこととの落差が大きく、これからその深刻な影響が懸念されます。特に、自民党衆議院議員が不在の選挙区では、衆参通じて地元の課題を政府につなげる与党のルートがなくなり深刻な影響が懸念されます。
長野県の有権者は、こうした地元への影響よりも、政権への物言いを優先したということなのかもしれません。地元紙が、参議院選挙公示の翌日の朝刊の大見出しに「安倍一強に審判」という思い切った文言を記したことをそのまま有権者が受け止め、投票結果で示したように感じられて、いささかショックを受けたのは私だけではないと思います。私は選挙期間中、今回の選挙の争点は、地元紙の見出しとは異なり、「長野県参議院議員から参議院制度始まって以来、自民党議員を消すことが本当にいいのですか」ということなのですと何度も訴えたましたが、私の力不足故に有権者の皆様の心には響かなかったようです。
自民党県連全体の力不足という現実もあるかもしれませんが、私たちは長野県だけにこのような結果がもたらされた原因を真摯に探求しなければなりません。その一方で、若い世代だけを見ると異なる風景が見えてきます。10代から30代の小松ゆたか氏の得票率を見ると53%を超え、相手候補の37%を大きく上回っているのです。何故そうなるのかを分析中ですが、一つの仮説は、「若者は新聞を読まない。高齢者層は圧倒的シェアを誇る地元紙だけをしっかり読む。その結果、長野県の若者は年配者と異なり地元紙の論調に影響されない」という認識を語る事情通が多いです。先ほど申し上げたように、地元紙は選挙公示日翌日の朝刊で今回の選挙の位置付けを大見出しで「安倍一強に審判」と煽ったのである。
しかし、そのことに憤っているばかりでは物事は進みません。地元の報道環境がそういうものであるという現実大肯定の上で、我々としてなすべきことは何かということをしっかりと議論し、次に向けた動きをしていかなければなりません。自民党長野県連の責任は大きいと思います。
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