「令和の時代の課題解決の実践を誓う」

 平成から令和への御世替わりを挟む大型連休の間、ぴったりと地元に滞在し、地域の諸行事を巡っています。各地の春祭りは地域の子供をどのように行事に引き出すかがお祭りの賑わいのポイントであることを改めて認識しました。これには学校側も協力が欠かせません。残念なことに、お祭りに子供たちを参加させることに「政教分離」を盾に慎重な学校もあると聞くことがありますが、流石にそれは憲法の規定を誤解した考え方と言わざるを得ません。古来より続く地域の営みをよりによって憲法が禁じることなどあってはなりません。しかし、そういう解釈を許す憲法であれば、その誤解を解く努力も必要です。

 令和の時代は、世界の人口が伸びていく中で日本の人口が急激に減り、日本人一人一人の存在感を示していかないと世界の中で日本のプレゼンスが薄まってしまう懸念があります。日本が、皇室制度を保持できいているということは日本の存在感を高める上でも得難い価値のようにも思えますが、それに加え、日本人一人一人がより良い日本を作っていくための実践が必要となってきます。それがないと日本が将来、衰退の道をたどるとの不安が高じ、希望が失われてしまいかねません。

 経済学者の玄田有史氏は希望について定義を行い。「大切な何かを行動によって実現しようとする気持」が希望であるとしています。令和の開始と共に、多くの日本人が令和の時代を平和な時代になって欲しい、良い時代になって欲しいと語っています。しかし、玄田氏の定義に沿えば、「そうなって欲しい」と願うばかりではなく、「そうしていくのだ」という自らの実践的な努力が必要だということになります。

 平和についての考え方も同じです。幸いなことに明治、大正、昭和の時代と異なり平成の時代は日本が戦争に巻き込まれることはありませんでした。しかし令和の時代もそうあって欲しいと希望するのであれば、どうしたら平和を実現できるのかを日本人一人一人が考えないといけません。目まぐるしく変わる安全保障環境の中でこれまで通りのやり方で果たして日本の安全が確保されるのか、日本の安全確保の実施部隊である自衛隊の位置づけを憲法上どう位置付けることが日本の安全保障の増進に資するのか、そういったことも考えていかねばなりません。

 連休中、72回目の憲法記念日を迎えましたが、憲法改正の議論も含め平成の時代には実現に至らなかった積み残した課題は多々あります。私は現在、衆議院憲法審査会委員を拝命していますが、令和の時代、日本が平和のうちに繁栄できる確固たる基盤を作り上げるために政治家として何をすべきか、日本の将来に希望を持ち、考え抜き、発言し、行動していきたいと心に誓いました。


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