8月15日の終戦の日、池田町と松川村の成人式に出席し、晴れて成人になった若者に次のような餞の言葉を贈らせて頂きました。
・73年前のこの日に終結した先の大戦で犠牲となった310万人以上の戦没者は無念の死を遂げた。
・今の若者はこれまでの日本の歴史上、最高の自己実現の機会に恵まれている。皆様には、先の大戦で多くの若者が生きたいと思った人生を無理やり途切らされた犠牲の上に今日の我が国の繁栄があることに思いを馳せ、平和の中で自分のやりたいことに向かって行ける幸せを噛みしめて頂きたい。
・そのうえで、我々が若い頃は、高校を卒業して都会の有名大学に入り、大都市地域に就職して偉くなることが当たり前の価値観であった。しかし少子高齢化が進み、地域社会を支える若者が少なくなっている。地元の願いは、若い皆さんが、一度は都会に出ても、いずれは地元に戻り、生まれ故郷の支え手になって欲しいということである。その強い願いを胸に収め、これからの人生に果敢にチャレンジして行って欲しい。
20歳になった池田町と松川村の若者の3/4は既に既に地元にいないということでした。若い時代に都会に出ていきたいという衝動は抑えがたいものがあります。私自身もそうでした。しかし、故郷を思う気持ちを忘れないで欲しい、その気持ちが心の片隅にあれば、何かの機会の故郷に戻ろうという行動に結びつくことは不自然なことではないと思います。
私の父親も、若き時代に、青雲の志を懐いて満州に渡り、終戦を迎えそのままシベリヤに抑留、何としても故郷に戻るのだという強い意志を持ち続けて生き延び、再び故郷の土を踏むことができました。それ以来、命からがら戻ることのできた故郷をこよなく愛し、89歳で亡くなるまで地域社会の義務教育、高校教育、社会教育の分野に人生を捧げてきました。
私自身も、故郷を離れて仕事をしてきましたが、代議士として故郷に戻るという人生の選択をして、有難くも今は故郷の隅々の課題を探りそれを解決する任務を与えられていると受け止めています。自分自身の故郷からでなければ代議士として立つという選択は私にはなかったと思っています。
そうした思いを20歳を迎えた若者に伝え、それぞれの得意分野でいずれは故郷の担い手として活躍して欲しいと願った次第です。そして政治の役割は、若者がふるさとに戻る気持ちになるような制度的環境を整えていくことだとわきまえ、そのことを私自身の政治課題として努力してまいりたいと思います。
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