「槍ヶ岳初登頂を達成して考えたこと」

〜非日常体験を通して得られるものの意味〜

 参議院選挙が終わり、「海の日」の連休明けの3日間で槍ヶ岳初登頂を目指すこととした。上高地に入り、横尾山荘、槍沢ロッジに立ち寄り、槍沢沿いに槍ヶ岳を目指した。槍ヶ岳周辺では、殺生ヒュッテ、ヒュッテ大槍、東鎌尾根を経由し、槍ヶ岳山荘に到着。それぞれの山小屋の皆様に「山の日」PRへの協力をお願いし、快諾を得る。平日にも拘らず、好天候の中、幅広い年代の内外の登山客で賑わう山の活況に嬉しさがこみ上げる。2日目には槍ヶ岳山頂にチャレンジし、恐怖の中、何とか無事に登頂。その達成感は格別であった。夜は、ヒュッテ大槍で宿泊し、アルプスの幻想的なシルエットも満喫できた。

 私にとって、槍ヶ岳は初めてのチャレンジであった。これまで北アルプスの山々の中では、蝶ヶ岳、常念岳、燕岳などに登山の経験はあるが、槍ヶ岳となると別格の趣がある。その中で、181年前の天保6年、私の先祖が播隆上人と伴に槍ヶ岳に登頂した思いを胸に槍ヶ岳を目指した。槍ヶ岳を下ったところに坊主岩という播隆上人が53日間この岩屋に籠って修行したと伝えられている岩屈があるが、ここに安置されている仏像には私の6代前の先祖の名前が刻まれていると槍ヶ岳山荘の穂苅康司社長から伺った。

 今年の8月11日から、いよいよ「山の日」が祝日としてスタートする。7月の「海の日」に次いで8月は「山の日」が祝日として位置付けられることとなった。山岳県であり、「山の日」の全国記念イベントが開催される長野県では特に盛り上がりを見せている。その中でも、記念イベントの開催される松本市上高地は期待感が高まっている。「山の日」議員連盟事務局長として、「山の日」の祝日化に汗を流した身としては我が事のように嬉しい限りである。

 7月19日には、松本市から上高地に向かう主要地方道上高地公園線の上高地トンネルが開通、国道も新規舗装が行われ、上高地の遊歩道が整備され、上高地の宿泊所も新たな設備投資を行っている。記念イベントの準備は粛々と進んでいる。

 槍ヶ岳登山の途中で出会った登山客の年代層も、老若男女の各世代に満遍なく広がりを見せ、外国人登山客も大変多いことに驚いた。ヒュッテ大槍の経営者赤沼健至氏は、一時期中高年層に偏っていた登山客が各年代層に満遍なく広がっていると語っておられるが、今回私もそれを実感した。殺生ヒュッテで出会った英国からのカップルは、新婚旅行先として槍ヶ岳を選んでよかったと破顔で喜びを表していたが、日本の山岳地域がインバウンドの受け皿として極めて潜在力が高いことを確信した。首都圏の小中学校は夏休みに入り、親子登山、爺孫登山の微笑ましい姿も目に入ってきた。

 山小屋に泊まり非日常的な時間を過ごすと、逆説的に日常の生活の便利さを改めて感じる一方、資源の浪費についての反省の意識が自然に高まる。山小屋では電源確保も自家発電で、消灯時刻は午後8時半、コンセントから携帯電話の電源を取るにも30分100円を支払うシステムが導入されている。宿泊者以外の登山客の山小屋のトイレ利用も有料である。風呂は無いのが当たり前で、石鹸や歯磨き粉の利用は厳しく制限されている。利用資源の制約が大きく、環境負荷を小さくするため利用者に不自由を求めているが、山小屋でそれに文句を言う人はいない。山を訪れることで、日常生活の利便性の有難味を再認識し、感謝の気持ちが育まれる効果もある。

 山登りは、自分自身の力で目標を達成するプロセスである。小学生や中学生の時代に山登りを体験しておくことで、その子供たちは逞しく成長するきっかけとなると確信する。小中学校の卒業作文で、学校の思い出で最も印象深いこととして学校登山を書く子供が多いと、知り合いの中学校の校長先生から伺ったことがある。長野県の小中学校では学校登山を学校行事に取り入れているところが結構あるが、全国的な広がりを期待したい。

 登山後の足の痛みに耐えながらも、槍ヶ岳登頂を通じて得たものの大きさに、微笑みながらこの文章を綴らせて頂いたが、この体験は必ず今後の国会活動にも生かしていけると確信している。


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