〜日本の支援が大きな評価を得ている現実〜
2014年8月初旬ミャンマー国の農業支援プロジェクトを日本の国会議員団が視察した。ヤンゴンの空港から内陸のバガンに飛行機で飛び、バガンから悪路を自動車でイェサジョ村のオイスカ農林業研修センターを訪ねた。施設開設後18年目を迎えるセンターでは、ミャンマー全土から集まった若手農業青年たちが、有機農法による稲作、蔬菜、養鶏、養豚、植林、環境教育、地域開発、農業機械修理、縫製、食品加工、日本語会話に取り組んでいる。
オイスカの活動はミャンマーでもよく知られており、研修生の一人が、「イラワジ川流域の農薬や化学肥料を多用した農法では将来が危ういと感じ、オイスカの有機農法を勉強に来た」と話していたことが印象的であった。テレビでオイスカの有機農法が報道されて興味を持ち、応募したとのこと。
実際の研修現場を訪問すると、日本の昔ながらの農法がこの地で再現されていた。噴霧器に木酢を入れ野菜の消毒に農薬代わりとして使われていること、農場内に保育所が併設されていることにも驚いた。
付近の集落のミニダム、灌漑水路建設にも力を貸しているオイスカの活動は農業だけではなく、地域開発に力を注いでいるといっても過言ではない。ミニダムが建設されている集落で議員団の訪問を歓迎する意見交換会が開かれた。78名集落の殆どの老若男女が目を輝かして集まって頂けた。水利さえあれば十分に発展するこの地域。水に恵まれている日本からは想像できない過酷な環境がミャンマーにはあることを再認識した。
イェサジョ村でこの地のオイスカ活動に物心ともに多額の支援をしている野村二郎という松本出身の94歳の実業家の存在を知った。軍隊時代の多くの教え子がインパール作戦で命を落としたその贖罪の気持ちを込めてオイスカに対して長年に亘る支援をしているとのことであった。帰国後、松本市の郊外に野村二郎翁を訪問し、ミャンマー訪問の報告を行ったところ、高校の先輩の野村翁は大変喜んでいただけた。センター訪問の後に、バガン遺跡群の一隅に所在するインパール作戦の日本人犠牲者の慰霊碑にお参りをさせて頂いたことも野村翁に報告させて頂いた。
ミャンマー在住の日本政府関係者、民間企業の皆様によると、ミャンマー人は礼儀正しく、識字率が高く、大変な親日家であるとのことである。今回の訪問の通訳兼ガイド役を担って頂いたミャンマー人のタン・ナイン氏によれば、ミャンマー人は敬虔な仏教徒で、今の自分の境遇は全て自らに原因があると考えるのだそうだ。輪廻転生を信じ、どんな貧しい人でも、来世に報いがあるように所得の10%程度を寺院に喜捨するのが当たり前なのだそうだ。タン・ナイン氏に、ミャンマーを植民した英国に対する恨みはあるのかと聞くと、植民地となったのもミャンマーの側にそれを許す弱さがあったのであり、一般のミャンマー人には恨みの感情は無いと言い切った姿が印象的であった。
ミャンマー人が親日家である理由は、ミャンマー独立に当時の日本政府がミャンマー独立運動を主導したアウン・サウン将軍を支援し、英国からの独立が結果的に実現できたと考えていることが最も大きな遠因だとのことである。軍事政権時代に中国が大きな支援をした経緯があるものの、その見返りにミャンマーの地下資源の多くが長期契約で中国に持っていかれているとのことに比較し、日本の支援が真にミャンマーの将来を考えた支援になっている点も日本の評価が高い理由の一つであるとのことである。オイスカ支援などは、将にその典型例なのだろうと想像する。
現在の日本は、中国、韓国という近隣諸国から、様々な点で非難が寄せられている。歴史認識や従軍慰安婦、はたまた集団的自衛権を巡る議論に関して、である。両国は国際社会でも日本批判を繰り広げている。しかし、ここミャンマーではそうした非難は一切聞かない。むしろ、尊敬すべき存在として日本と日本人のイメージが定着している。国会議員団の中の会話では、「実践倫理宏正会の朝の誓いの中で、『人の悪をいわず、己の善を語りません』、という己に対する戒めの言葉があるが、ミャンマー人全員が実践倫理の会員のようだ」との声が異口同音に上がった。
今回のミャンマー訪問により、外国に来て却って自国の現状を素直に見る機会に恵まれた思いがする。国内の各種マスコミ論調が、如何に自国の在り様を国際的に貶める議論に終始しているかを感じざるを得ない。諸外国における日本の評価をたまにはしっかりと報道しないと、国民が誤った方向に誘導されかねないと心配になる。ミャンマー訪問中、従軍慰安婦に関する朝日新聞の32年前の記事訂正の情報に接した。自国のマスコミが国際社会に誤った日本の悪イメージを平気で発信し続けてきた責任は重い。その贖罪の意味を込めて、諸外国における日本の活動とその評価についてもしっかり国民向けに発信してほしものだと考える。
今回の訪問で、イェサジョ村のオイスカ農林業研修センターで記念植樹の栄に浴した。私が植樹した木がどのように成長し、それとともにミャンマーがどのように発展して行くのか、折に触れてその見極めに訪問したいと考えた。そしてできれば、郷土の先輩、野村二郎翁と伴にミャンマー訪問を果たしたいとも。
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