「中山間地の小中学校が共同体で果たす統合機能」

 乗鞍高原を抱える安曇村が松本市に合併して来年2015年で丸10年が経過する。その間、旧安曇村の住民の皆様が、合併を評価しているかどうかに関心があり、様々な機会に合併についての評価を聞くこととしている。修学旅行で国会議事堂を訪問した小学6年生にも感想を聞いてみるが、殆どの住民は合併に幻滅している評価にショックを受けている。

 安曇村の時代には、乗鞍観光を役場は一生懸命に考えてくれたが、松本市になってからは他の市域の多くの観光地の単なる一つの要素となってしまい、市の観光面の目配りが少なくなっている、との話を聞く機会が多い。それに対する反応を市の当局者に聞くと、地元の受け皿が弱いからやり様がない、との返事が返ってくる。

 合併と同時に、役場に勤めていた職員が、市街地に住居を移転して過疎化が進むという現象も生じている。職住近接という観点からは、確かに地方においては片道1時間の車の通勤はきつい。しかしこれに関しては、市の人事当局として、被合併町村から市役所に通う職員には、特別に通勤手当を厚く支給するということもあり得ない選択肢ではなかったと考える。市当局は、旧安曇村の山を降りる職員を留める努力をせず、被合併町村の疲弊を加速した。

 そのような中で、たまたま乗鞍高原に所在する大野川小・中学校のPTA関係者から、同校の教諭の配置についての陳情を受ける機会があった。子供が減って複式学級を余儀なくされている中で、受験科目2教科の専門教諭が不在であることを解消してほしいという要請であった。市や県の教育委員会に何度も陳情しても、「複式学級校間の公平」の観点から難しい、との返事に終始し埒が明かないので私のところに駆け込んできたというのが実態である。

 県の教育長のところにまで出向きPTAの気持ちを伝えるなどしているが、役所が設定した教師の設置基準という壁は厚いというのが実態である。

 私は、山間地域の小中学校は、特にその地域の存立の象徴のような機能を果たしていると考えている。仮に大野川小・中学校の教育環境が市街地のそれに比べ劣るとの不安を父兄が感じると、その家族は、旧役場職員と同様に市街地に降りてしまうかもしれない。

 教育委員会というのは、特にハンディキャップ地域の義務教育学校については、地域社会存立のコアとして特段の配慮をしていかなくてはならない。県の教育委員会に私が申し上げたのは、非常勤の先生を配置することに加え、例えば優れた教科教育を行っている授業内容を大野川小・中学校にICTで配信するなど考えられないか、そうすれば、市街地の小学生もそのような教育が受けられるのであれば、自然環境に恵まれた大野川小・中学校で授業を受けたいと希望してくるかもしれない、といったことである。

 翻って、「限界集落の真実」の著者である山下祐介氏の話によれば、その昔、PTA会長は村民全体の選挙で決めるという仕組みがあり、子供のいない人も会長になれた時代があったということである。学校は、たまたまその時に子供がいる人たちのものだけではなく、本来だれでも子供を入れる可能性があるのだから全員のものであるはずだ、との考え方に立つ仕組みであったようだが、今ではその仕組みが変わって、PTAを子供のいる親に限定したために、地域全体でものを判断する視点が無くなったのは残念なことであると指摘されている。

 特に、中山間地域の義務教育の在り方については、共同体の機能を維持するという観点も十分に加味して、教育委員会的視点でのみでものを判断することを止めていかないといけないといけないのではないかと感じ入った次第である。

 地元の声を受けて政策に反映すべき代議士として、こういった観点で運用の改善や制度改正を求めてゆきたい。安倍内閣が掲げる「地方創生」の一環としても位置付けられるかもしれない。


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