地域を巡っているとビックリするような歴史的遺産や人の営みに遭遇することがままある。どちらかというと文化的なものが重視されがちであるが、産業面の遺産的価値も同様に大切であると考える。
9月初旬、私が地元巡りをしている留守に、京都大学名誉教授の植村栄博士(化学専門)が松本の私の事務所にお立ち寄りになられた。書置きを見ると、大町市所在の化学遺産候補の昭和電工を視察に来られたとのことである。
同日たまたま松本市内を巡っていて、松本市島内で大賀蓮を栽培している農家や同じく里山辺で趣味の養蚕を営んでいる製糸業で隆盛を極めた元カタクラ製糸役員の方の自宅に行き着いた。既に老境に達しておられるこの農家の御主人や元カタクラ役員の方の話を伺うにつけ、実は地域社会には、思いもよらない歴史的産業の系譜を曳く技術が継承されていることに驚きを禁じ得ない。
以前も書き記したが、例えば長野県朝日村には東京電力の周波数変換施設がある。東日本と西日本で異なる50HZと60HZの周波数を変換し、ここを経由して東西の電力需給を調整する施設である。巨額の設備投資を行ったこの施設の古いものは現在では使われていないが、この新信濃変電所の敷地内で引き続き威容を誇っている。しかし、場合によってはこの施設も廃棄されかねない恐れがある(注1)。
また、安曇野地域は縦横に張り巡らされた拾ヵ堰などの農業用水路の密度は世界一ではないかと私自身は感じている。人々は先人が整備したこの堰と呼ばれる用水路を時代とともに整備管理しながら現代に引き継いでいる。しかし、事業仕分けなどによる農業予算の削減の行方によってはこれらの施設が機能不全になりかねない(注2)。
我々は日々何気なく接している人的構築物や生活の営みをより歴史的な観点に立って深く評価していかなくてはならない。そのためには学術的な評価も不可欠である。冒頭に述べた京都大学名誉教授の植村博士の様な碩学による体系だった客観的評価がより必要である。
こうした評価が行われないで放置されると何が起こるか。せっかくの歴史遺産の破壊がこともなげに起きてしまう。松本市にはその昔カタクラ製糸の拠点工場があった。カタクラは旧制松高や松商学園の創設にかかわっただけでなく、駅前から旧制高校に伸びる道路の整備、当時の路面電車、大糸線整備などにも力を尽くした。今でいえば、恐らくトヨタ自動車の様な存在であったろう。そのカタクラの跡地が、これからこうした産業遺産としての評価が行われないままに再開発計画の中で埋没・消滅しようとしている。
欧州では、産業遺産(インダストリアル・ヘリテージ)というコンセプトの下に、歴史的産業施設を維持・保存・展示し、これを壮大な規模で観光資源としても活用している。私もその幾つかを訪問したことがあるが、ウェールズの巨大炭鉱ビック・ピットは壮観であった。これらの施設には多くの修学旅行生が訪ねている。産業遺産を学校教育まで巻き込んだ形で地域再生の核として利活用をしているのである(注3)。
我が国においても、産業遺産を含めた様々な地域資源の価値を適正に評価し、その意義を現代に生かす取り組みこそが、地域再生の大きなヒントであると強く主張したい。
<参考> それぞれについて以下のブログで詳しく語っている。
注1 https://www.mutai-shunsuke.jp/policy64.html
注2 https://www.mutai-shunsuke.jp/policy19.html
注3 http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2008/02/bigpit_886e.html
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