〜国民福祉税をごり押しし、消費税増税に反対する政治家の矜持とは〜
次の世代を考えるのが政治家で、次の選挙を考えるのが政治屋だと言われて久しい。それを地で行く政治状況が繰り広げられている。税と社会保障の一体改革を巡る議論は政治に携わるものの姿勢が試される思いがする。
私は消費税の増税について、日頃、人間の体に喩えた説明をしている。「病気の患者に薬を処方する必要があるが、その薬には副作用がある。しかし薬を処方しないことにはその患者は重篤な状態に陥ってしまう。消費税はその薬の処方に置き換えて考えることが出来る。体を鍛えること(経済成長を果たす)で体力増強が出来ればそれに越したことはない。贅肉を無くすこと(行革)で免疫力が強くなればそれに越したことはない。しかし、その全てをやらなければ乗り切れないほど患者の状態は良くない場合もある。薬の副作用を勘案しつつ今必要とされる医療行為とは何か、といったアナロジーで自らの身に置き換えて考えると今の消費税増税の位置づけが分かりやすくなる」、と説明をしている。
それに対して、薬の副作用を強調して説くのが小沢一郎氏のグループのようだ。小沢一郎氏という政治家は、政治家なのか政治屋なのか。1994年(平成6年)の2月3日の未明、私は、当時の自治省税務局で地方消費税導入に向けての作戦作業に従事していた。突如、細川総理が未明の会見を行った。当時3%であった消費税を廃止し、7%の国民福祉税を創設するという会見であった。
唐突な総理会見に世間は驚愕し、7%の根拠を聞かれた細川総理が、「腰だめの数字」という有名な言葉を発し、その根拠のいい加減さもあって国民福祉税は数日のうちに撤回された。そして国民福祉税に代わり、その後、消費税増税、地方消費税創設が村山富一内閣で決定され、消費税と地方消費税合わせて5%の税率で現行制度が動いている。
その国民福祉税を実質的に主導したのは、実は小沢一郎氏と斉藤次郎大蔵次官(当時)であった。当時も国民福祉税により社会保障財源を確保しなければ国の財政は持たないという説明がなされた。
それから18年が経過し、小沢一郎氏は、消費増税に真っ向から反対している。当時の国民福祉税導入に見せた姿勢とは180度違う。当時以上に現在の方が、国の財政は窮迫し社会保障経費は飛躍的に増大している。小沢一郎氏の当時と現在の考え方の違いの理由を私は小沢氏に求めたい。
私が勝手に説明をするとしたら、究極的には冒頭の言葉(「政治家」と「政治屋」の違い)に行き着くように思われる。小沢氏は、配下の若手議員に、「今は消費税反対で動けば選挙はかえって有利に戦える」と言って鼓舞している。消費税反対の原動力が、自らの勢力温存、選挙を意識した対応であることは明らかである。
民主党の内部の議論を聞いていてもこれが政権与党の議論なのかと呆れるようなものが多い。民主党議員の中で、社会保障の改革案が示されていないのに増税先行はおかしい、との議論がある。その通りだ。しかし、与党民主党にそれを言う資格はない。政権交代後3年を経過しても政権公約をした最低保障年金や後期高齢者医療制度の廃止後の姿を自ら示そうという姿勢が微塵も見られないのである。そのことを民主党の代議士が内部であげつらうのだから笑止千万と言わざるを得ない。政権に携わっているという当事者意識の欠如は明らかである。
政府与党としての意思決定機能を喪失している民主党の現状で、現在の我が国が抱えている国難に対処する処方箋を描き、決定し、実施することは最早望むべくもない。
目を個別選挙区に転じる。私が属する長野県第2選挙区の民主党現職国会議員は、防衛政務官という政府の一員でありながら、つい先頃まで、選挙を意識してか、消費税増税に明確に反対していた。しかし、何故か衆議院の採決では、簡単に考えを翻し、消費税増税に賛成した。「党の分裂を避ける」という名分のようである。しかし、結果として党の分裂は不可避となった。どのような理由で反対意見を覆したのか有権者向けのきちんとした説明が必要である。
この代議士の方の前言撤回は消費税だけに限らない。2009年の前回衆議院選の折には、農家の戸別所得補償の創設の理由を「貿易自由化で関税が無くなり安い農産物が輸入されることになる。その際に、農家が立ち行かなくならないように市場価格と生産費の差額を補助する仕組みが必要だ」と松本青年会議所主催の公開討論会で説明した。(*注)私はこの発言の大胆さにびっくりした。しかし、何時の頃からか、正に農産物の関税もゼロとするTPPに反対の発言をしている。何時どのような理由で意見を変えた、或いは本人の意識の中では変身の認識が無かったのか、全く説明がない。
政治家の矜持とは何か。それは政策の一貫性ではないか。現在は、その時々の選挙に有利か不利かという理由だけで政策をころころ変える政治家が、政党の幹部から一般議員まで余りにも多すぎるのではないか。そのことで有権者の政治不信が増幅されていく。
マスコミの責任の一つに、一人一人の政治家の発言、主張の時系列上の一貫性を検証する作業が何としても必要ではないかと思える。そういう丹念なジャーナリズム活動が、健全な民主主義を育て、「政治屋」を排除し「政治家」を育む為にも、重要な鍵となると考える。
*注 前回衆議院選挙の直前の公開討論会の映像 (9分20秒ごろから農業についての議論)
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