〜政策実現能力を争点に解散総選挙を〜
政治が混迷の度を深めている。衆参の国会のねじれ現象により国会で意思決定が出来ない。しかし政治の混迷は国会のねじれだけが原因ではない。
余りにも内閣の構成メンバーの資質の劣化が著しい。田中直樹防衛大臣の安全保障音痴は一国の危機管理を委ねることに大きな懸念を生ぜしめている。北朝鮮のミサイル発射の際の防衛省の混乱は大臣だけの責任ではないが、対外発表に関して事前に定められたルールを逸脱した大臣の対応は、非常時の日本の一糸乱れぬ対応が出来ない政府の劣化を国際社会に晒した。
前田武志国土交通大臣は民主主義のイロハを踏み外した行為を行った。地位利用は公務員が行ってはならない行為である。業界団体の責任者に業界に大きな影響力のある国土交通大臣が市長選挙の告示前に署名入り文書による応援要請を行うことは、事前運動と地位利用の両面において公職選挙法違反であることは明確である。
両名とも職責を果たすに堪えない状態にあることは国民も納得するのではないか。本来であれば職を辞することが適切な責任の取り方であるが、地位に固執する態度は醜悪である。内閣の自浄作用が期待できない場合に、国会がそれを咎め、問責決議を行うことは当然である。
しかしそれを見守る国民の気持ちは複雑である。また与野党が褒められた問題ではないことで泥仕合をしていると映る。資質に欠ける大臣を任命する与党も言語道断だが、それを咎めてばかりの野党の対応も褒められたものではない。喧嘩両成敗である、という評価になってくる。
そのような意味では、国会を舞台にした政党政治に対する国民の評価が著しく低下し、ある意味で民主主義の危機が到来しているとも言える。
日本が政治的に混迷している中、ソブリン危機に見舞われたイタリアは、国際社会から大胆な財政・社会改革を求められていたが、何とイタリア大統領は首相に非政治家の経済学者モンティ氏に政権を託した。モンティ首相は内閣の閣僚全員を非政治家のそれぞれの分野の専門家を任命し、イタリアが国際社会から求められている構造改革をサクサクと実施している。当初、政権の正統性が疑われたモンティ政権は、今やイタリア債務危機の救世主として受け止められている。
モンティ政権はある意味で民主主義の否定の中から生まれた。非常時に民主主義のシステムが機能せずに、それに代わり、非民主主義的な政権が求められる課題をこなすことを我々はどのように受け止めたらいいのか。
政治家とは何なのか。本来であれば国家に必要なことを国民の負託を受けた政治家による政権が行うべきところ、それが出来ない。国民に負担や犠牲を強いることができない。
これは政治家が覚悟、矜持に欠けるのか、或いは国民の側が悪いのか、大きな難題である。
日本がイタリアの様に専門家内閣に国政を丸投げすることは憲法上の制約がありそれはできない。そうであれば政治家が問題解決に向けてもっと踏ん張らなければならないのであるが、国難の最中に人材を得ない政権により国政の混乱はその極みに達している。
この閉塞感を打ち破るためには、今我が国に求められる骨太の政策の実現能力を問う早期の解散総選挙が不可欠になっている。
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