〜機能不全の日本の政治が学ぶべき点〜
債務危機に見舞われているイタリアのモンティ首相が2011年度末に日本を訪問し、講演を行い、マスコミのインタビューを受けている。私もNHKテレビでモンティ首相のインタビューを聞いたが、債務危機に見舞われている国の首相にしては堂々として威厳があり、自ら進める政策遂行に対する自信がみなぎっているとの印象を受けた。
イタリアでは債務危機を乗り切るために政治家を除く有識者で内閣を構成した。そのことにより選挙を意識せざるをえない政治家とは異なり、「政治的なしがらみに捉われずに財政支出の削減や年金などの構造改革が可能となった」とモンティ首相は語っておられた。
本来国の行く末を決定すべきことこそ政治の本来の機能であるにも拘らず、政治が機能しないために、政治自らが国の行く末を有識者に丸投げするのは本来政治の役割放棄のように思われるが、「危機が生んだモンティ政権はイタリア国内のみならずEU内でも予想を超えた求心力を獲得しつつある」(日経新聞)とのことである。
自信がみなぎるモンティ首相の責任感の根幹にあるのは、当然のことながら、目先の人気や既得権に縛られがちな現行政治システムへの懐疑である。長期的視野に立った真の国益を追求するのではなく、当面の選挙目当ての目先の政策に走りがちな政治家の行動を咎める姿勢である。
モンティ首相のような対応が必要なのは、イタリアだけではなく日本も全く同様である。現在の日本も、目先の選挙対策や有権者に媚びる対処により政治が混迷の度を深めている。消費税をめぐる与党内の賛否の議論も、次の総選挙を意識した勢力が抵抗しているとの見方が恐らく正しい見方であろう。
社会保障の改革も、改革により不利益を生じる階層・世代に対する不都合な事実の情報開示を政治は敢えて避け、バラ色のイメージを振りまく対応に終始していると言わざるを得ない。
民主主義の根幹である選挙制度の改革にあっても、各政党は自らに有利な選挙制度の改革を提案して譲らない。最高裁で憲法違反とされた1票の格差是正についてすら、党利党略を優先し、定数是正についての大衆迎合施策を巧妙に組み合わせた結果、最低限の改訂作業すら全く進まない。政権与党自らが違憲状態を放置して憚らない事態は面妖である。
こうした現状を見るにつけ、日本でもイタリアのように、その道の専門家を糾合し、期間限定で、「日本人による現代のGHQ」を設定し、生活習慣病に陥った現代の日本システムを転換する大手術を急ぐという選択肢があってもよい、という思いに駆られるのは私だけではあるまい。
あまつさえ、国防・安全保障という国家存続の根幹にかかわる分野に、こともあろうに全く不安定で不正確な知識経験しかない人物をその責任者としての大臣に担がなくてはならない政治の劣化、しかもその人事を「適材適所」と言い張る首相の鉄面皮を見るにつけ、そろそろ政治の在り様について真剣な見直しが必要であると感じるのは多くの国民の素朴な感情ではないか。
モンティ首相は、自ら2013年春までと宣言した暫定政権を率いている。そしてその間に、「各政党は長期的な視野を身に付け、今までと違う姿で政界に戻ってくるはずだ」と政治機能の回復に期待感を滲ませている。
日本の政治も、日本が直面している最大の危機に臨み、今こそ大衆迎合ではなく、不都合な事実を敢えて国民の皆様に提示し、限られた処方箋を国民に皆様に示し、場合によっては長期的視点の下にその負担を国民の間で分かち合う大政策を国民の皆様に訴えかけることが出来る次元に脱皮しなければならない。政治が日本の「ゆで蛙」状態を脱する処方箋を示さなければならない。
そうでないと、民主主義は愚衆政治と堕し、それが独裁政治へと突き進む恐れなしとしない兆候が出始めることになりかねない。そしてそれは、何度となく繰り返した歴史が証明するところでもある。
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