〜分散型社会構造を実現し危機に強い国家構造を〜
2011年3月11日の東日本大震災の発災から丸1年が経過した。各種マスコミでは大震災後1年を振り返り、様々な特集を組んでいる。震災後1年が経過する中で、当初では思い知ることのできなかった色々なことが明らかになっている。
福島原発4号炉の大量の使用済み核燃料が、その溶融により下手をすると首都圏を巻き込む避難を導きかねない危うい状態にあったとの報道は目を瞬かせる。文科省の政務3役が避難誘導に不可欠の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の放射性物質拡散情報を「政治主導」により秘匿し、結果的に原発からの避難者を再度の被爆状態に置かしめた事実の重みは極めつけである。
大震災1年を経ての報道により、今回の緊急時の政府・政治機能の不全を嫌悪感をもようさせるほど見せつけられる。まさに「天網恢恢疎にして漏らさず」である。
他方で、突然の津波によりそれまで普通に暮らしていた家族を失った遺族の悲しみの報道に接するたびに、その悲嘆は如何ばかりかと同情を禁じ得ない。テレビに登場する津波で流された子供を諦めきれない遺族の姿は、戦争で息子を失った「岸壁の母」のそれに似ている。
震災後日本人の人生観、死生観、宗教観、思想が変化したと語られ始めている。人は何の為に生きるのか、何を大事にしていかなければならないか、をまじめに考えるようになったように思う。
家族と伴に地域社会の中で普段通りの生活が営めることが、実は本人たちは普段は気がつかないものの、実は幸せなことなのだということに日本人が気付き始めたと言えるのではないか。そして、家族や地域社会を大切にする社会の在り方とはどのようなものであるかを考え始めたということではないか。
これまで日本人は、経済成長を追い求める余りに、地域社会から若者を切り離し都会に集約し、家族を核家族化し、生産効率の高い社会構造を作り上げてきた。しかし、その副作用が如何に大きいものであるかがようやく社会全体で理解され始めて来たと言えるのではないか。
人口や機能を都会に集約し、農山村を疲弊させてきたことの問題が如何に大きいかがようやく明らかになった。疲弊した農山村の大きな災害が起きるとその復旧は困難を極める一方で、機能が集約した都会に一朝火急のことがあればその影響は日本全国に及ぶことになる。東日本大震災の教訓とは、ある意味で一極集中の弊害をあぶり出したのである。
家族や地域社会を大切にする社会構造は、実は非常時に我が国が生き残れる社会構造でもある。そしてそれはとりもなおさず、分散型社会構造である。分散型社会構造は、各地域毎に縦横斜めのネットワーク社会が張り巡らされた社会、「ソシアルキャピタル:人的社会資本」のレベルが高い社会でもあり、それは結果として災害などの社会の危機のストレスに強い社会でもある。その様な強靭な国土構造を作るためにも、一極集中の是正を行う地方分権が必要不可欠なのである。
大震災の教訓を受け、人々が大事にしたいと思うものを大事にする大きな政策転換を政治が率先して示していかなければならない。
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