「若手安曇野移住者が語る安曇野の未来と夢」

 安曇野市内で2月の寒い午後の1日、「若手世代が語る安曇野の未来と夢」という安曇野夢フォーラム主催の発表会に顔を出した。最初はその冒頭だけを聞いて帰ろうかと考えたが、9人の発表者が1人8分の短いスピーチをするその内容に思わず惹かれて最後まで発表を聞くことになった。

 9人の発表者のうち8人は何と県外から移住してきた人たちであった。その何人かは私の知り合いでもあったが、何故移住したのか、移住して何を考えて活動しているのか、自分が住む安曇野をこれからどうしたいのか、との共通テーマに基づく話であった。

 主催者代表の増田望三郎氏は、「国政の混乱を見ていると何もできない自分たちがもどかしい。しかし自分たちの住むこの安曇野は自分たちの意見が届く。だからこういう機会を作り地元をよくするための意見を広く伝えたい」との趣旨の冒頭の挨拶をされた。これこそ住民自治の神髄を表現する言葉であると感じ入った。

 三郷地区で小倉山農場で循環型農業を営みながらWWOOFという体験農業の受け入れ機能を受け持っておられる松村暁生氏は、年間80〜90人の内外からの研修生を受け入れる中で、本当の日本を知りたいという外国人がお金をかけずに滞在でき安曇野の良さを体験してもらえるWWOOFを安曇野で幅広く展開したいという夢を語っておられた。

 穂高地区で福祉施設勤務の和田英三氏は、松村さんの小倉山農場でWWOOF体験をする中で家族と伴に安曇野に移住を決断されたのだそうだ。福祉の仕事をしながら、「福祉も自給自足で」という理念の下、お互いに困った時に助け合えるコミュニティネットワークの構築が夢だと語られた。高齢者を支える皆が全員給料をもらっていたら福祉はパンクする、との実感もあり、地域で支える福祉の制度の構築を熱っぽく語られた。

 穂高で子育て支援の取り組みを行っておられる柴田はる奈さんも安曇野市へのiターン組。3児の子育てをする中で、安曇野が子供を預かってくれる場所が多いことに感謝されておられた。お互いに子供を預け合うことの重要性を強調された。母乳育児の専門家としての活動の中で、「お母さんたちは集まってしゃべりたい。食べることとしゃべることが好きなお母さんたち。」との実感に満ちた思いを語っておられた。昔は地域に存在した子育ての知恵が崩壊し、井戸端会議で共有されていた育児の知恵が無くなったことが子育てを困難にしていると指摘。母乳育児もお母さんからお母さんの伝承が最もスムースに行くのだそうだ。安曇野で大家族を作るのが夢、との嬉しい言葉。

 三郷で小学校の先生をしている加藤圭氏は神奈川県からの移住者。自らの故郷安曇野を誇りに思う子供を育てたい、その為に授業の中で安曇野の良いと思うところを調べさせる授業をしているとのこと。「同窓会をシッカリと作り、ふるさと安曇野新聞を1年に1度発行してもらいそれを卒業生に送る。そこには定例の同窓会案内を入れる。同窓会事務局を作り継続的に同窓会を維持する」というクラス単位の同窓会の活用による故郷の活性化を提案されておられた。

 三郷在住の桑原理恵子さんは福島原発事故を契機に家族5人で東京西荻窪から安曇野に移住された由。フラダンスを通じネットワークを広げておられる由。原発から逃れてきた移住者だが、自らは安曇野への「再土着」を行ったと考えたいとの意識の持ち様を披露。

 穂高在住の岡本由紀子さんは安曇野スタイルネットワークの元代表。18年前大阪から結婚を機会に移住し、有明地区でペンションを営む生活。焼き芋屋になりたいという息子のために、リヤカーをもらい、さつまいもを植え、罐を作り、念願の焼き芋屋を作ることができた。そうしたことが容易に出来るのも安曇野の魅力、との生活の充実ぶりを御披露。「観光と何か。地域にすむ人々が幸せに過ごすことでその地域が光を持ちそれを他の人に示すこと」との含蓄のある観光理念を持つ人。

 三郷で農業を営みながら安曇野市の廃棄物行政を批判する津村孝夫氏は、地域環境を守る熱意に基づき、住民一人一人の思いをネットワークでつなぐ必要性を訴えておられた。津村氏は、産業廃棄物処理に関し安曇野市を相手に訴えを提起されておられる。議会が住民の声を踏まえず行政をチェックをする機能が不足しているとの認識を披歴。

 豊科で市民運動を行っておられる田村恵子さんは、都会で派遣切りにあい、結婚して安曇野に移住された経緯を語られ、地元に身寄りがなく、子育てをする際に地域に知り合いがいないと困るとの発想で、まちづくりの事業に参画するようになったとの実体験を披歴。本人の思いは、移住は「行き当たりばっちり」なのだそうだ。偶然が重なっての現在だが、結果オーライという意味なのだそうだ。市民運動のキャッチフレーズは、「卵を割らなければオムレツはできない」とのこと。

 以上、8名の県外からの移住者の生声は、移住先の心細い環境の中で、精いっぱい地元に溶け込み、地元をよくしたいとの気持ちに溢れたものであった。この日、安曇野市議会の3名の議員がしっかりと8名の話に聞き入っておられた。私が、市議の1人に、「どなたか知り合いがおられたのですか」、と聞くと、「いや、若い人の声をきちんと聞く機会が無いので、今日は新聞でこの企画があると知り駆け付けた」との答えであった。この姿勢に、安曇野市議会も捨てたものではないなと感じ入った。


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