6月30日の朝、松本市を襲った最大震度5強の地震は、地元市民に、改めて地震に対する備えの重要性の認識を呼び起こしている。私も発災後、松本市の被災現場を回り、被害状況を確かめた。
この地震で大きな人的被害はなかったものの、屋根が壊れたり家財が散乱したという被災家庭の数は多い。棚につっかえ棒をつけてないために棚が倒れ大事な食器や陶器が壊れたという家庭も多い。旧家の古い土蔵の屋根や壁が壊れ、補修には多額の経費を要するために、この際地区の伝統建造物である土蔵を壊さざるを得ないとの諦めの声も聞く。
ビルの設備関係にも被害が広がっている。突き上げるような地震が何トンもある設備機器を持ち上げ、配管設備に被害が生じているとの話を配管業界の社長から伺った。病院の水回りもいたる所で漏れが生じている。マンションの給湯設備に転倒防止の器具が取り付けられていなかったためにマンション丸ごと各家庭の給湯設備が倒れたとの話も入ってきた。
地区の一次避難所に指定されている小学校の体育館の壁が大音響とともに崩れ、今回の地震で災害に堪えうる避難所の安全性の再チェックが必要になったと地区の町会長は頭を抱えた。
他方で復旧に当たる土木・建築関係、設備関係の業界は、このところの事業規模の縮小で手が回らないとこぼしている。得意先からは直ぐの対応を迫られているものの、極端に人員を縮小してきた業界には機動力の面の余力はない。必要性に応じた対応について得意先に理解を求めているとの話を伺った。
先の配管業界の社長からは、「会社としても、本来は災害を見越したリダンダンシーを保持しておくことが望ましいが、この時代それは無理だ」との諦めの言葉が漏れた。
市内4か所の避難所には、松本市役所の幹部も動員し運営体制を敷いた。建物被害の査定に多くの市役所職員が動員されている。
東日本大震災の際にも松本市では売れなかった防災グッズが、地元での地震後、突然、ホームセンターで飛ぶように売れだしたとの報道がなされている。松本は大きな地震がないところだという一般的な意識が市民の間にある中で、今回の地震は、「太平の眠りを覚ます蒸気船」になった感がある。
東日本大震災の際には、この地域は支援側に回っている。建設業者は現在も東日本各地の被災地で仕事を行っている。そのために地震直後の事業者の人手、資材がこの地域で不足するという事態が生じている。
長野県は、江戸時代に大きな地震災害を受けた歴史がある。1847年の善光寺地震である。善光寺地震では、全震災地を通じて死者総数8600人強を数えたとされている。当時は、「死にたくば信濃へござれ善光寺 土葬水葬火葬までする」といった不謹慎な狂歌までが作られた。しかしこの後、1854年の安政東海地震・南海地震、1855年の安政江戸地震と大地震が立て続けに起こり、日本全国が天変地異に震えあがった。
歴史は繰り返す。しかし、人の記憶は3年、組織の記憶は30年、地域の記憶は50年と言われるように、善光寺地震の災害伝承は長野県でも一般的にはほとんどなされてこなかった。しかし、記憶の風化の中で他人事だと思っている災害は、いつ何時、自らに降りかかるとも限らない。
災害時には、普段手を抜いているところに被害が生じる傾向がある。「まあいいだろう」という甘い見通しが後悔を招く。今回の松本市の地震は、松本市民に普段からの準備の必要性を肝に銘ずる機会となったことは確実である。今回の地震はこれから起きる更に大きな「予震」としての警鐘の意味があると受け止めていこう。
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