〜法律の根拠なしに乱発される政治主導の弊害〜
日本政府の国際競争力が、政権交代後の2011年に世界で50位の低ランクに位置付けられているという報道に接した。東日本大震災が起きる前の時点の順位である。このランク付けがどのような要因に基づくものか、詳しくは知らないが、少なくとも、政治の力というのは、突き詰めると非常時のリーダーシップを果たし得るかどうか、ということに尽きる。そのリーダーシップに関して、今、日本の政治が厳しい国際的批判に晒されている。
政治主導とは、官僚組織との関係での手法かと思いきや、民主党政権は経済界にも踏み込み政治主導を進めているようである。「賠償の原資を出すために尾瀬の土地を東電が売るのはおかしい」、「中電は浜岡原発を停止してほしい」、「金融機関の東電に対する債務調整がありうる」などといった口先の政治主導が民間部門にも波及し、大きな波紋を生じている。これらは全て法律上の根拠のない話である。
政権を持ったとたんに、絶対権力者になった感のある菅首相や枝野官房長官の所作である。
法律上やるべき仕事が的確にやられていて、それでも足りないところを政治主導でカバーするのであれば納得できるが、法律上やるべきことも実行できない、法律による手当が必要なものは早期に法案を国会に提出して審議することもしない。そうした状況の中で法律の根拠があろうがあるまいが、政権浮揚に結びつきそうな案件には今の政権は嗅覚鋭く分け入って口を出す。まことに政治的パーフォーマンス優先のバランスの悪さが目立つ。
どうも今の政権は民主主義と法治主義という根本的なところで大きな考え違いをしているのではないか。そしてその発想の原点には、「政権維持」、「政権浮揚」に役に立つかどうか、という「世論迎合」の価値基準が相当の重きをなしているようである。どうも、現政権の判断基準は「国益」ではなさそうである。
米国では大災害などがあると非常事態宣言が発せられる。その非常事態宣言の実質的意味とは、実は大統領権限が危機管理の専門家組織である連邦危機管理庁(FEMA)の長官に全権委任され、FEMA長官は大統領権限を代行する立場に立つというものである。これが非常事態の米国の制度と運用の本質である。
大震災が起きた3月11日以降、日本国政府に存在する法律上のシステムは果たして十分活用されたのか。原子力災害対策特別措置法は、原子力災害対策本部長の権限の全部または一部が副本部長に委任され、更にその一部は現地対策本部長に委任されることを想定している。法律は被災地にいる現地対策本部長が地元自治体首長らとともに実務を取り仕切るよう作られている。しかしこのシステムが危機管理にとって極めて重要な初動段階で機能したようには思えない。原子力の専門家でもない首相、官房長官は、自らが記者会見の前面に出て来た。最高責任者が担当官やスポークスマンに成り下がり、間違ったあいまいな情報を流し続けた。内閣危機管理監以下の危機管理の専門家が活用された形跡は全くない。
ビン・ラディン襲撃に関して、最高司令官であるオバマ大統領が、関連法令に基づき、情報収集と実行作戦立案を専門官僚組織に任せたこと、さらに、命令後は作戦の詳細に口出しせず、失敗した場合の政治責任だけを考えたこととは大違いである。
浜岡原発の停止要請も、その結果の是非はともかく、政権浮揚の意識が臆面もなく前面に出た迎合的対応である。「核原料物資、核燃料物質及び原子炉等の規制に関する法律」の仕組みでは浜岡原発に使用停止命令は出せない。原子力委員会など専門機関に諮った形跡もない。エネルギー政策の根幹にかかわる決定が、完全なブラックボックスの中で、適正な手続きを経ずに下さたことは、重大な禍根を残すことになる。法改正もせず、総理の判断のみに依拠し、停止要請だけで中部電力に判断を委ねることこそ、法治国家にあるまじき恣意的行政である。浜岡原発を抱える中部電力は、首相の要請をはねつけると、何か起きた時には、「おれは言ったはずだ。そらみたことか」との責任転嫁を押し付けられる臭いを嗅ぎとり、受け入れざるを得ない立場に追い込まれたとも考えられる。
現行制度が全て良いとは言わない。しかし、制度がよくないのであれば、その問題点をチェックして、早期に法律改正を行えばよい。国会を通年国会にして、今やるべきことがあればどしどし法律を出せばよい。国会を閉会にしたいとする根底には、政権の評価、浮揚にとって不都合であるという政権の「あざとい」考え方が透けて見える。
法治主義は民主主義にとって不可侵の原則である。立法機関が法律により行政権限を限定し、意思決定のルールを設定したのは、為政者に恣意的行政を許さない歴史的知恵だ。今の政権は、思いもよらぬ政権奪取、そしてそこに起こった歴史的大災害の中で、何を行っても許されるという高揚した雰囲気の中で、権力を弄んで喜んでいるように思えて仕方がない。子供が政権という名のピストルを玩具にして遊んでいるような危うい思いを抱くのは私だけではあるまい。
Copyright(C) Mutai Shunsuke All Rights Reserved.